〔土の人、風の人〕-私的室蘭考-
佐々木寅二郎
今から42年前、サラリーマンの私は社命で室蘭に勤務したことがある。
以来この街には妙な愛着があって、このたびの転居にもどこか潜在的にこの愛着が作用したかもしれないと、しきりに思うのである。
かつて重厚長大が、わが国の経済を支えていた頃、この街は富士製鉄〔八幡製鉄と大型合併して新日鉄〕の企業城下町として大いに栄え、関連する企業をはじめ中小の商店に至るまで大いに潤った時代がながかったのである。
ところが、軽薄短小がもてはやされる時代とともに、これらの大企業の相次ぐ縮小、撤退の余波を受けて急速に衰退を重ね、経済活動もすっかり往時の姿は影をひそめ、小金を溜め込んだ商店主はひたすらこれ以上財産が減らないように汲々として、新たな試みとか復活に対する投資意欲を失ってしまい、かの作家「椎名 誠」氏をして「昼飯を食べようにも開いている店がないのだ」「日曜日のアーケードはゴーストタウンだよな」とまで言わしめる状態になってしまった。
時を経て、これらの二代目店主などが「これではいかん・・・」と立ち上がって昔の繁栄を取り戻そう、新しい街の姿を創生しようと懸命の努力を続けているのが現在の室蘭の姿なのだ。
この街では昔から長く住む人を「土の人」、ほかの町から来た人を「風の人」と呼ぶそうだ。
従って私は新品パリパリ、生粋の「風の人」ということになる。
今この街の復活を目指しているグループの中には「風の人」と呼ばれる人たちもたくさんいるようだ。
要は、これら「土の人」と「風の人」がお互いに、いいところを吸収し合い、大いに議論し、実践を通じてこの街に新しい「風土」が生まれることには大いに賛成だ。
時を経て、「風の人」も「土の人」と呼ばれるようになるのだろう。
ここで大切なのは、それぞれの時代において常に「風の人」を温かく迎え、常に新しい「風土」を生み出すエネルギーを蓄え続け、発揮し続けることではなかろうか。
それがこの街に愛着を感ずる私の念願でもある。
「水」のこと。
室蘭の水道水はとても冷たくて、美味くて、きれいだと思ったので、ある人に話したところ、「室蘭の水は駄目なんだ」理由は斯く斯くしかじか、と教えられた。
それでも大阪の水道水に較べると天国の水のようだと云い返したら暫くして態々20リットルのポリタンクに一杯「昨夜2時から採りに行ってきたんだ、いちどこの水を飲んでみなさい」と、届けてくださった。
聞けば「まっかりの水」というのだそうだ、「まっかり」とは羊蹄山の麓にある「真狩村」のことで、歌手 細川
たかし の故郷である。
なるほどこの水はもっと美味しい。
「冷暗所に置けば3年は持つ・・・」と言われたが、頂いた水を飲んでしまうと急に欲しくなり、かみさんと出かけることにした。
白鳥大橋を渡り、国道37号線を伊達市から昭和新山に抜けて洞爺湖畔の西岸を走り、国道230号線に乗り換えて「喜茂別〔きもべつ〕町」から「留寿都〔るすつ〕村」に至り、左折して「真狩〔まっかり〕村」に入った。左折して其の侭直進し約3キロで現場「羊蹄山の湧き水」の看板は道路沿い右側にみつかった。
いや、吃驚! およそ3~40台 各種の車がひしめきあって、凡そ100人ほどの人が順番待ちで持参した容器に湧き水を汲んでいる場面は実に壮観である。
村が管理しているこの山の麓に、こんこんと湧き出でる水を、汲みやすくするために十数列を二ヶ所に並べた蛇口は常時あけっ放しで、その出具合は水道の蛇口を一杯に開けたそれよりも勢いよく、まるで噴き出しているようである。しかも傍らを流れる川には直径1メートルほどの土管から轟々と音を立てて余った湧き水が注いでいるのである。
私のような一般家庭人もたくさん来ているが、聞けば喫茶店を経営している札幌の人、蕎麦屋を商っている旭川の人などなど、実に多くの人が道内各地からこの水を求めにやつて来て、車の後部が沈むほどたくさん積んで帰っていく、しかも無料なのである。
一説によるとこの水は羊蹄山ではなく、遥かに遠い大雪山からの巨大な水脈が地下を這ってここに湧き出ているそうで、凡そ90年の年月を要して到達しているらしい。
自然界の驚異としかいいようのないこの現象に打たれ、私も5ガロン入るキャンプ用タンクに一杯頂いてかえった。
うん、確かにこの水は美味ぃ!
すぐ近くに 細川 たかし記念像が建っていて、その像に触れると彼のレパートリー曲を聴くことができる仕掛けになっているそうだけど、それは次回にたずねてみることにしてようやく初夏の風情を醸す丘陵地帯を縫って、我が家から往復150Kmあまりの帰途についた。
「動・植物」のこと。
〔猫編〕
我が家には一匹の雄猫がいる。雑種だけどとても器量がよく、同居している孫が飼いだしてもう三年ほどになる。
当然、室蘭まで連れて行くので、いろいろ調べてみた。船はペットルームがあるから心配ない、直江津港までの車に乗せて6時間ほどはどうするか出発まで幾たびも悩みぬいたが、結局JAL便で本人と同行することに決定し、「風の猫」として仲良く同居している。
川西では家から勝手に出入り自由の扉をつけていたので、自由に外泊したり、あちこちと噛み合いの傷とか、時には相手猫の血がこびりついた姿で帰ることもあつたのだが、室蘭では今の季節は問題ないが冬には屋外に出かけることは即、命に関わることが予測されるので何とか屋内での飼育に慣れさせる必要がある。
だいいち、猫が自由に出入りができる扉を付けるなど、今度の家では高気密高断熱の構造上不可能なのである。
そのために川西で去勢手術をして、後姿に誇らしげに見えた大きな玉たまは二つとも今はない。
最近になってようやくJAL便の、あの寒い荷物室での轟音の恐怖から立ちなおり、新しい土地での生活は年中、屋内に居ることなのだと分かってきたらしく、カーテンをあげた窓辺に座ってジッと外の風景に見入っている姿を見ると「何を考えているのかな」と、時々いじらしく思うことがある。
ソファーに座ってテレビを見ている私の膝に飛び乗ってきて気安く胸まで這い上がって私の顎をかじつたり・・・、そういえばこんなこと川西ではまったく無かったことだ。
名前は本名「チャボⅡ」、普通我が家では「チャボ」呼んでいる。
可愛いい奴っちゃ。
〔庭木など、植物編〕
このたびの転居にあたり川西の家で育てた庭木のうち、どうしても未練が残る幾つかを持ってきた。
「ブラシの木」「花水木」は未だ苗木の侭なので育つかどうか不安だったが、ようやく土に慣れたのか四月、五月の時折吹き荒れる冷たい風と戦って何とか緑が濃くなつてきた、まあ大丈夫だろう。
しかし待てよ、この木が新しい庭で成木として育つまで私たちが生きているだろうか。とても無理のようだねと、近郊の園芸店で「めいげつかえで」と「おんこ」の成木を求めて植えたところ、まるで次の日から「自分たちが生きる場所は此処だ」と云わんばかりに定着して庭に少し格好を付けてくれた。
持参した「紫陽花」は同じ町内で見かける地元のそれは、すでに花が開きそうなのに、我が家のやつはようやく青葉がつきだした程度で、今年は川西で咲いたような具合にはいきそうにない。
植物も新しい環境に順応するまでは、暫くの時を経ないと駄目らしい。
立派に育つまで大切に見守ってやろう。
そういえば、こちらで咲く桜は開花してから散るまで、多少の風が吹こうがビクともせず三週間ほども咲いていて、桜の潔いイメージとは全く裏腹な、だけどいつまでも楽しめた複雑な思いであった。
「車・事情」のこと。
こちらの人たちは「兎に角飛ばす」。これが第一印象だ。
地下鉄も、私鉄もない室蘭では〔北海道の札幌を除くほとんどすべての地域と言うのが正しいか〕移動の手段としては車に頼らざるを得ないのだが、この車がほんと、矢鱈と飛ばすのだ。
見れば、おばさんから若い娘さんまで車を操っているが、全体の流れに逆らうわけにはいかないせいもあるが、それがとても早いのだ。
最初は街中を走るそのスピードに戸惑ったのだが、理由の一つが分かってきた。
いわゆるミニバイクというやつがほとんど走っていないのだ、川西で前後左右を、いつもこいつに挟まれながら走っていた街中走行の速度が身についていた私は、最近ではだいぶ慣れてきたが、こちらでは車の流れに自分のスピードをあわせるのに最初は怖かった。
それと、こちらの人たちの運転マナーはあまりよくない。片側二車線の主要幹線道路でも追い越し車線を我がもの顔に走り、後続で追い越したいと思ってる車に、決して車線を譲らないといっても過言ではないほどなのだ。
無神経なのか、おおらかなのか、これには長距離を走るときに、まことにうんざりさせられる。
これには未だ慣れることができていない。
がしかし、昨年の9月に新調した我がVWゴルフ-GTIは登録ナンバーも前と同じにして、毎日の如く小用に、買い物に、走り回っている。
2003.6.29
編
佐々木寅二郎