フランス絵画の生まれ故郷を旅して
フランスといえばやはり絵画。これまで沢山の画家を生み出してきました。パリ市内にはルーブル美術館、オルセー美術館はじめ、数え切れないほど美術館があります。今回は、その作品を見るのではなく、その作品の生まれた場所を訪ねようと思い、パリから少し足を伸ばし、ジベルニー、オンフルール、エトルタを訪れましたが、その印象と場所のご紹介を致します。(写真をクリック拡大してご覧下さい)
ジベルニー
睡蓮をモチーフに描いた画家は誰? と日本人に聞いたら即座に「モネ」と答えるでしょう。日本では19世紀後半から20世紀全般に活躍した印象派の画家の中でも特に名前が知れ渡った人です。日本の数多くの美術館が彼の作品を展示しており、皆さんも見られたことも多いと思います。という事は、多作であったと言うことになるのですが・・・
モネは1883年からこのジベルニーに移り住み、1890年に現在残っている家を購入。自ら花壇や池のある庭の設計と庭園活動を開始しました。ジベルニーはパリから西へ車で約1時間。セーヌ川がやや蛇行を始める辺りに位置する町と言うより村、集落です。平野をゆったり流れるセーヌ川と平行して少し小さな流れがありますが、その流れに沿ってジベルニーの町があり、モネの庭にもこの流れの水が引き込まれています。近場とあって、観光客にとっても日帰りバス旅行にはもってこいの場所で、多くのモネファンが訪れる場所になっています。
モネの家と庭園がそのまま一般に開放され、手入れの行き届いた花壇を眺めたり、睡蓮の池を巡る庭園を散策することが出来ます。モネが絵を描いていた場所とか、画材に取り上げたバラとか、藤の花や色々な花を観賞出来、モネの世界に浸れるわけです。モネの家は、外壁は淡いばら色、扉や窓のよろい戸、テラスの柵は緑、そして室内に入ると、食堂は黄色で統一、台所はきれいなタイル張りと画家の色に対する素晴らしい感覚が窺えます。圧巻は、モネが集めた浮世絵で、2階の部屋に所狭しと展示されています。その数200数十枚。日本の浮世絵が、当時のフランス、西洋の画家に多大な影響を与えた事実がうかがえます。1900年に開かれたパリの万国博覧会を契機に「ジャポニズム」が一世を風靡し、モネはその中でも強い影響を受けた一人でしょう。日本の文化が世界の流れに大きな影響を与えたことは誇りとすべきでしょう。
尚、蛇足ながら、睡蓮の池をコピーしたものが日本にあります。比叡山頂にあるガーデンミュージアム比叡と豊橋総合動植物公園です。睡蓮の絵は、近場では大山崎山荘美術館、倉敷の大原美術館に展示されています。一度訪れて見られては?
オンフルール
パリから車で約2時間。ル・アーブル市とセーヌ川を挟んで対峙する小さな港町がオンフルールです。16〜17世紀にかけては、セーヌ河口に面する海運の町として栄え、その頃の木造の教会や建築物が残っており、町全体が歴史を感じさせる静かな、ひなびた、趣のある街です。色とりどりの建物、石畳の坂道、木枠が特徴のノルマンディ風の民家など。そして、街の中心にある旧ドッグのあったビュー・バッサン周辺はそれらを凝縮した一角です。19世紀に入るとブータン、クールベなどの画家が活躍。更にパリの印象派を形づくったモネ、シスレー、セザンヌなどがこの地を題材に盛んに活躍したのもうなずける絵にしたい風景を提供してくれる街です。
コの字型に囲まれたビュー・バッサンは水に映るカラフルな建物の影が美しく、又、風のそよぎにそれらが揺れる。夕方になれば夕陽に映える雲が水辺に反射され、夕食の一時が一層ロマンチックになります。メリーゴーランドがくるくると光を回転させ、子供の歓声が時に水辺を渡ってくる。暮れ行く港の風情に浸って、ノルマンディの地酒カルバドス(りんごのブランディ)で喉を潤すには絶好の場所です。但し、今回訪れた6月は夏至に近く、夜の10時にならないと暮れなずまず、少し宵っ張りでないとこの気分が味わえないことを知りました。
第2次大戦で連合軍が起死回生を期してノルマンディ海岸に上陸を仕掛けたのが1944年6月6日。この日は作戦名「D−day」と呼ばれていますが、今年は丁度60周年。オンフルールの町でもこの日に記念式典が開催され、街中に当時の軍服と勲章を下げたご老人を多く見かけました。ユタ・ビーチとかオマハ・ビーチとかの名前のついた海岸は、オンフルールから西に100km程行ったところにあり、今尚歴史にその名を残しています。
エトルタ
オンフルールから1955年完成したヨーロッパ最長の優雅な吊橋、ノルマンディ橋でセーヌ川を越え、一路北へ約1時間。海岸に面してエトルタの町があります。対岸は見えませんが大英帝国に対座しています。目の前の海峡は日本製の世界地図では「イギリス海峡」となっていますが、フランスの道路地図を見ると、Manche(マンシェ)と記載されています。フランス語の意味は「海峡」。エトルタから更に北に遡るとカレー・ドーバーが位置するかのドーバー海峡に達します。これもフランスの地図では「カレー水道」とのたまっており、やはり、英仏それぞれの言い分があるようです。
この辺りは所謂石灰岩層が地表を覆い、フランス、イギリス側共に白亜の断崖が繋がっています。エトルタはその中でも絶景の場所として知られており、浜辺に立つと、左に下手の断崖「ファレーズ・ダバル」、右手に上手の断崖「ファレーズ・ダモン」が眺められます。どちらも断崖の頂点までいける遊歩道が続いており、お花畑の中を優雅に、しかし急な坂を登って行きます。驚いたことに、この遊歩道にはさして柵も設けられておらず、道をすこし外すと、断崖の淵に立つことが出来、恐々下を覗くと7〜80mの直角に切り立った岩肌が眼前に迫り、紺碧の海がはるか下に眺められます。規模的には左手の「下手の断崖」の方が見ごたえのある景色で、赤いカヌーがはるか下の水面を移動しているのが見えます。カモメが鋭く鳴きながらこの白亜の絶壁の間を飛び回り、青い空はあくまでも澄み渡り、フランスの海岸に来たという実感に浸れます。
画家モネもこのエトルタの風景を題材として絵筆を取り、1884年に描いた「エトルタ」はその代表作です。奇岩絶景は画家のみならず、現在は多くの観光客を惹きつけて離さないようです。海岸沿いに並んだレストランは、この絶景をほしいままにしつつ美味しい料理を食べさせてくれます。
以上