小倉百人一首に魅せられて

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小倉百人一首に魅せられて

 

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百首暗記に挑戦、カルタ取りめざし!、暗記カードを片手に散歩を日課に!
  宝塚市 南部昌弘

1、   そもそものきっかけは「奥の細道」

一昨年高校時代の友人から「芭蕉について呑み会で駄弁ろう」という話を持ちかけられ、芭蕉より呑み会に惹かれてその話に乗りました。それというのも、これもたまたま1昨年の夏に従兄弟夫婦と東北を巡った折、当たり前といえば当たり前ですが至る所に芭蕉の句碑等その足跡を印す場面に出くわし、「自分たちは意図しないで芭蕉の足跡を追っているのだと納得し、あらためて芭蕉に親近感を感じていました。

 芭蕉についていえば、高校時代の教科書くらいしか知識がなく、呑み会とはいえある程度の基礎知識を仕入ておかなくてはと本屋に出向きました。その折、丁度ベストセラーになりかかっていた「エンピツでたどる奥の細道」に出会いました。「奥の細道」をエンピツでなぞりながら芭蕉の足跡をなぞるというものです。生来の悪筆で昔上司から「足で書いたか」と罵倒された記憶がありますが、自慢じゃないがそれほどのものです。ワープロが出てきて大助かりしたものです。「じっくり奥の細道を味わいながら字の練習にもなる」、年金生活者としてのあり余った時間の活用には一挙両得とばかり飛びついた次第です。

 ところがこれにはまってしまいました。久しぶりに鉛筆をけずってみて、シャープペンシルやボールペンにない書き心地(3〜4B)に震えました。また机に向かい鉛筆を削っているとなぜか精神が集中してくる気がします。「子供たちには鉛筆削りではなく肥後の守を持たせるべきだ!」と一人興奮したりしています。

 そうこうしているうちに芭蕉の旅は終わりました。副産物として女房から「あなたの書いたものとは考えられない」とお褒めの言葉をいただくほどに成長?しました。

要はゆっくり、正確に書く癖がついただけで上手とはお世辞にもいえませんが・・・。それでも内心うれしてたまりません。

2、小倉百人一首との出会い

 「褒められれば豚も木に登る」で次のチャレンジ目標は?という気になります。丁度そのころかかりつけの歯医者さんから斉藤孝の本を薦められて読んでいました。「ボケ防止には音読がいい」それも「美しい日本語」を声を出して読むのがいいというのが主旨でした。そんな折たまたま本屋さんの店頭で「鉛筆で感じる古の心―小倉百人一首」という「奥の細道」の二番煎じの本を見つけました。早速買い求め、天智天皇から取り掛かったのですが、より深く味わうためのなにか参考書をと考えていました。当時従兄弟に薦められ北康利の「白洲次郎占領を背負った男」を読み感激しましたが、その白洲次郎より奥さんの正子さんが教養人として有名と聞き一度その著書をと考えていました。これもまたたまたま立ち寄った本屋の店頭で白洲正子の「私の小倉百人一首」を見かけ「これだ!」と即購入した次第です。その序に「六十の手習いとは、六十歳に達して、新しくものをはじめるのではない。若い時から手掛けてきたことを老年になって、最初からやり直すことをいうのだ」と書いてありました。若い時から手掛けたことがない場合はどうすればよいのかとの途方にくれるばかりですが、なんのかのといっても、国語の授業やかるた取りでかなりの歌には親しみがあり、「私の百人一首」を参考にしながら「鉛筆で・・」にとりかかりました。鉛筆でなぞりながら、百首全部暗記してカルタ取りにも挑戦しようと久しぶりに暗記用単語カードをつくり、散歩中にカード片手に歌を声を出して(小さい声ですが)読むのを日課に致しました。

3、小倉百人一首の魅力

 まず、平安貴族の王朝文化に魅せられてしまいます。あれだけの貴族社会を支えるだけの強い社会的基盤が確立されており、女性も含めて高い教養、文化水準があったということの驚き。あらためて日本人の文化水準の高さを誇りに思います。今頃何を言うのだということですが、これが私の教養水準でまことにお恥ずかしい限りです

 なにより女性の強さ、すばらしさは紫式部、清少納言を持ち出すまでもなくいたるところに現れています。

 若い頃は

嵐ふく三室の山のもみぢ葉は
  竜田の川の錦なりけり」     (能因法師)

 月みれば千々にものこそ悲しけれ
   我が身ひとつの秋にはあらねど」(大江千里)語訳詳細

 といった平易で情景的で一目でその場面なり、そのときの心情が目に浮かぶような歌や

 「人はいさ心もしらず故郷は
   花ぞむかしの香ににほひける」 (紀 貫之)詳細語訳

 といった叙情的な歌に心惹かれたものですが、今回あらためて読んでみると女性の恋の歌における激しい情熱に圧倒される思いがいたしました。

 「あらざらむこの世のほかの思い出に
   今ひとたびの逢ふこともがな
」 (和泉式部) 

  「忘れじの行く末まではかたければ
    今日かぎりの命ともがな」    (儀同三司母)

といった女性の激しい情熱がほとばしっている歌や

「難波がたみじかきあしのふしのまも
   あはでこの世を過しとや」
    (伊 勢)

といった静かなうちに烈しい情熱を秘めた歌に圧倒される思いがいたします。

それに比べると男性陣の代表的な恋の歌

 「しのぶれど色にでにけりわが恋は
     物や思ふと人の問ふまで」    (平 兼盛

は上手い歌だと思いますが、なにか他人の目を意識して感情のストレートさに欠けているように思われ迫力に欠けます。全体に男性陣の歌は技巧に走りすぎて女性陣の迫力に負けているように思われます。現代の日本の男女の力関係と似ているようにも思われますが、日本は「天照大神の時代から女性の国だった」ともいえますが・・・。

4、賽の河原か冷や水か

数十年振りに百人一首に挑戦してみてつくずく思うことは、記憶力の減退が想像以上になっているという現実です。

確かに記憶した、もう大丈夫と思っていても数日たつとどうしても思い出せなかったり、上の句が全然別の下の句とくっついてもおかしく思わなかったりします。

最後には勝手に上の句と別の下の句をくっつけてこの方が納まるなどと毒づいたりして悔しさをまぎらわりする始末。

また、どうしても覚えきれない句がなん句かあり、紙に書いて机の周りに張ったりして呪文のごとく唱えてみても、数分後にはその句がぜんぜん出てこなくて「こんなはずではなかった」と何度歯軋りしたことか。 

 しかしだからこそ暗記、音読が必要なんだ、これはボケ防止なんだ!と「小倉百人一首」に出会ったことを感謝いたしております。

「奥の細道」にみちびかれて平安王朝の世界へと誘われてゆきましたが、振り返ると若気の至りで西洋かぶれに陥り日本のすばらしい古典にあまりにも目を向けてこなかったと反省しています。これをきっかけにすこしは日本の古典に目を向け「遅れを少しはとりもどしたい」とも思っています。 

 

来年の年始には久しぶりに女房や娘たちと「百人一首」のカルタ取りに挑戦しようかと思っていますが果たしてどうなることやら。60ならぬ70の果敢な挑戦!かはたして年寄りの冷や水!に終わるか・・・。

(2007・初秋)