第1回『高槻市と島本町の今昔』  (文責 永野晴朗)  

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概          要

  1 ページ  「三島」と呼ばれていた 高槻・島本
  2 ページ  「安満遺跡」と古代三島地方
  3 ページ  「安満宮山古墳」と古鏡
  4 ページ  「阿武山古墳」
  5 ページ  「今城塚古墳」と埴輪
  6 ページ  「西国海道」と一里塚、芥川宿
  7 ページ  「伊勢寺」「能因塚」
  8 ページ  「水無瀬離宮跡」と「桜井の駅跡」
  9 ページ  「玉川の里」と柱本
 10 ページ  「高山右近」と高槻の町
 11 ページ  最近の高槻
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  現在の大阪府は、その昔、外洋に繋がる「和泉の国」。肥沃な平野に恵まれた「河内の国」
深い森林から山麓を経て豊饒な田園と清流の「摂津の国の東部」からなり、その地の利を生かした独特の文化と歴史を刻んできました。

茨木市・摂津市・吹田市のほ ぼ半分を古代
では「三島」と呼ばれていました。

西暦701年(大宝1)の「大宝律令」で

三島が東西に分郡され、平城京に近い方

を「三島の上郡(嶋上郡)」(おおむね今の

島本町と高槻市)、遠い方を「三島の下郡

(嶋下
郡)」(現在の茨木市・摂津市・吹田市

の一部)となりました。


          淀川 上流から水無瀬方面を見る

  そのようなことから高槻・島本地区は、大阪

府の最東北に位置し、北および東は京都府

に、南は枚方市・寝屋川市に、西は茨木市・

摂津市に接しています。


      大阪府内の三島の位置


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