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 三島地方は、北に山地を背負い、南に向かって平野が開けた穀倉地帯で、この恵まれた環境に人々が早くから住み着いたことは容易に想像できます。


 それは淀川に至る各地に残る集落の遺跡からの出土品が裏 付けています。なかでも、高槻市八丁畷町の「安満(あま)遺跡」は、三島地方で最初に

米作りが始まった所とされていまして、遺跡の中心部が、国の史跡に指定され保存が図られています。



三島地方で最初に米作りが始まった安満遺跡
(左後方は安満山)


弥生時代中期頃と見られる木棺(S45年出土)


S43年の調査で出土した赤漆塗りカンザシ

















また三島は日本有数の古墳地帯で、丘陵地に各期の古墳がそろい、延喜式(えんぎしき)の神名帳(じんみょうちょ う)に記載された式内社(しきないしゃ)が、
旧嶋上郡に3座、旧嶋下郡に17座を数えることも、有力な古代氏族が早くから存在していたことを示しています。

 そんな三島地域のなかで、もっとも都に近い高槻市および 島本町は、古代から中世・近世にかけて、 この地域特有の
歴史や文化・生活の跡が見えてきます。

 
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