高山右近高槻天主教会堂跡碑

S52年の生誕170年を記念して建てられた詩碑

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高槻市街地は城下町で、近年盛んに整備されています
が、曲が
った路地に、その名残りを感じます。
歴代の城主で有名なのは、
キリシタン大名の「高山右
(たかやまうこん)」で、領内に20以
上の教会を建て布教に力を注ぎましたが、秀吉や家康の禁教令に
従わず、結局国外追放となりマニラで病死しています。野見町に
は教会堂跡の石碑があります。


 その近くには、江戸幕末期の漢詩人「藤井竹外(ふじいちくがい)」
が住んでいました。 竹外は頼山陽(らいさんよう)に師事し、七言絶
句の漢詩と書道および砲術
にも優れていました。また、師と同様に
無類の酒好きで、
酒に関わる詩も多く残して います。
   竹外の屋敷跡 は、現在の高槻現代劇場付近で、建物の塀際に
詩碑が建っています。墓は、天神山の乾性寺(けんしょうじ) と、
大手町の本教寺(ほんぎょうじ)、それ
に京都の円山公園の奥にあ
る長楽寺(ちょうらくじ)の頼山陽の墓とL字型に隣あい、「竹外酔士
(ちくがいす しのはか)」と刻まれています。


 JR富田駅から南にかけての富田地域は、中世に興った一向宗
が盛んでした。蓮如(れんにょ)が富田道場を創建し北摂の 布教
拠点
としましたのが、現在の「教行寺(きょうぎょ
うじ)」であります。


 他にも寺院が多く、中国の高僧隠元(いんげん)が宇治に黄檗
山万福寺(おうばくさん
まん ぷくじ)を開くまで、6年間滞在したと
われています「普門寺(ふもんじ)」は、枯山 水の庭が国の名勝に
指定され、方丈(ほうじょう)は国の重要文化財に指定されていま
す。境内には見事な沙羅双樹(しゃらそうじゅ)が植わっていまし
て、6月に白い花が咲き始め、開いては夕べを待たず落ち る光景
は、『平家物語』の冒頭の如く無
常感に誘 (いざな)います。

普門寺(庭園から見た方丈)


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