ふるさと枚方発見タイトル

枚方の名勝

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出口御坊光善寺 第13回
「枚方の街を創った京阪電車」
 100年の歴史を重ねてきた京阪電鉄は、この枚方の町の唯一の足であり、また多くの住空間とまちづくりに寄与し、観光や娯楽の提供、教育の場の誘致など、まさに枚方市を作ってきた最大の功労者、生みの親であるあるといえます。
 明治39年11月に創業、同43年4月15日に天満橋-五条の間に京阪電鉄を開通し、町々に電力を供給してきた京阪電鉄の歴史を、同社の資料をもとに紹介させていただきます。
2003年
7月8日
11月16日

鬼頭 中西
日垣
冨田
岸本

出口御坊光善寺 第12回
「蓮如上人と
光善寺」
 京阪光善寺駅北の商店街を抜け、国道1号線の地下道をくぐり出口の昔ながらの村落に入り狭い旧街道を少し行くと、出口御坊光善寺の門前に出る。この寺院は、浄土真宗、中興の祖として知られる本願寺八世蓮如上人の開基された由緒あるお寺である。北陸吉崎を退去された蓮如上人(61歳)が、河内の国茨田郡中振の郷・出口に移られ、光善寺が建立されました。
 上人は光善寺を拠点として近畿一円に教化活動をされ枚方・招提・出口は寺内町として賑わいました。山科本願寺の再建のため、長男の順如師を光善寺初代住職にされ自らは山科野村に移られました。日本最大の宗教集団を興された蓮如上人と光善寺を取材しました。
2002年
12月8日
・28日

梅原
中西
日垣
冨田

協力小西

天野川河口 第11回
「枚方の母なる
川・淀川」
 琵琶湖に源を発する淀川は、滋賀県で瀬田川、京都府では宇治川と通称され、京都・大阪府境の山崎の狭隘部で桂川・木津川の大支流をあわせ、大阪府北部を南西に貫き大阪湾に注ぐ、琵琶湖から流れ出る唯一の川で、全長75km、流域面積8528平方kmの一級河川です。
 京・大阪の中間に位置する枚方は、淀川によって創られた町、淀川の舟運によって発展した枚方宿を始め、現在も、私たちの身体の70%を占める飲料水のほとんどを淀川に依存し、淀川の水によって生かされているといっても過言ではありません。枚方市は淀川に11.5kmも接し、淀川に直接そそぐ船橋川、穂谷川、天野川という三つの支川を持っている唯一の町です。今回のふるさと発見はそんな母なる川・淀川を取材してみました
2002年
10月18日
鬼頭
梅原
中西
冨松
冨田
くらわんか花火大会 第10回
「第27回枚方まつり・くらわんか花火大会」
 大阪の夏の終演を飾る「第27回枚方祭り・くらわんか花火大会」が、淀川河川公園枚方地区(ひらかた水辺公園)を中心に8月25日(日)に開催された。
 枚方市の市制施行55周年に当たる今年は、天候にも恵まれ一段と華やかな賑わいを見せた。中でもクライマックスの「くらわんか花火大会」には、枚方会場に15万人、対岸の高槻会場に5万人、周辺には50万人を越える人出となり、5000発の花火が真夏の夜空に色鮮やかな夢を描いてくれた。
2002年
8月25日
鬼頭
日垣
中西
冨田
国見山山頂 第9回
「国見山周辺と
津田城跡」
 枚方市の最高峰国見山は、枚方八景の一つ「国見山の展望」と名付けられ、ここからの展望は河内、摂津、山城を一望できます。またこの山には延徳2年、津田周防守正信が山城を築き、津田、尊延寺、芝、穂谷を領したといわれています。 これらの城跡は後年発掘調査によって確認され、濠や井戸、鉢、瓶、寛永通宝などが見つかっています。
 国見山の山麓には学研都市の一郭を担う津田サイエンスヒルズがあり先端技術開発の拠点になっています。南麓の穂谷側には枚方市野外活動センターなどもあり林間学校で賑わっています。今回は国見山周辺を取材してみました。
2002年
6月7日
鬼頭
梅原
中西
冨松
冨田
史跡公園百済寺跡 第8回
「伝王仁塚と特別
史跡・百済寺跡」
 枚方地方には古くから朝鮮半島百済国の人々との結びつきを物語る史跡がいくつもあります。そのひとつが4〜5世紀に百済から日本に漢字や儒教を伝えたとされる王仁(わに)博士の墓と伝えられている王仁塚です。
 また宮之阪駅近くにあり、枚方八景のひとつ「百済寺跡の松風」として市民に親しまれてきた百済寺(くだらじ)跡は、大阪城跡と並ぶ国の特別史跡で、史跡公園になっています。今年は史跡に指定されて、ちょうど60年目に当たります。
2002年
4月23日
鬼頭
梅原
中西
冨田
牧野の桜 第7回
「牧野の桜と
渚院」
 枚方八景の一つ『牧野の桜』は、今年も満開を迎えました。その後復刻建立され新石碑の解説を中心にたリニューアルしてご紹介しています。 交野ヶ原の桜は、惟喬親王と在原業平の交遊の場となった「渚院」での歌に詠まれたように、古今和歌集や伊勢物語にかかれて都の貴族のあこがれの地となっていました。今回は多くの文芸作品に結実した、渚院などの交野ヶ原の桜を取り上げてみました。 2002年
3月29日
2004年
2月13日
追加取材
冨田
山添
八重の白梅 第6回
「万年寺山古墳」
 枚方八景の一つ「万年寺山の緑陰」は京阪枚方市駅のすぐ南西にあるこんもりと常緑樹の茂る丘である。この山は古くは古墳、長松山万年寺、お茶屋御殿、須賀神社、枚方小学校と様々に利用され現在は最高部に意賀美神社、一段低いところに梅林が広がる。 2002年
2月15日
鬼頭
梅原
中西
冨田
春日神社で巫女さんがお札の受付 第5回
「枚方の初詣」
 枚方の初詣を地元の神社を中心に取材しました。意賀美(おかみ)神社−上之町、片埜神社−牧野阪2丁目、さだ神社−南中振1丁目、春日神社−茄子作3丁目、山田神社−山之上4丁目、友呂岐(ともろぎ)神社−寝屋川市香里本通町、成田山不動尊−寝屋川市成田西町、石清水八幡宮−京都府八幡市 2002年
正月
鬼頭
梅原
中西
冨田
旧田中家鋳物工場 第4回
「旧田中家鋳物
民俗資料館」
 16世紀後半から国中の鋳物師を統率し交野・茨田・河内三郡を独占営業して、昭和30年代まで続いた旧田中家の鋳物工場と主屋が「市立鋳物民俗資料館」として復元されている。貴重な資料を基に鋳物の歴史を振り返ってみた。 2001年
12月13日
鬼頭
梅原
中西
冨田
再生間近いけやき東街 第3回
「進化する
香里団地」
 香里団地は戦前の軍需工場から平和の街「東洋一のニュータウン」へと変身した。40年を越える歴史の中で今、21世紀にふさわしい街へと進化を遂げつつある。 枚方が40万都市に発展するきっかけとなった香里団地の歴史を取材した。 2001年
11月13日
鬼頭
梅原
中西
冨田
菊人形「紫式部」 第2回
伝統の職人芸
枚方菊人形」
 市の花「菊」は、常設館として最も古い歴史を持つ「枚方菊人形」の伝統芸術から決められた。(1910 開設)
 100年の歴史を持つ職人芸「菊人形」とリニューアルした市民の憩いの場「ひらパー」を取材してきました。
2001年
10月23日
鬼頭
梅原
中西
冨田
資料館になった鍵屋 第1回
東海道56次
枚方宿」
 東海道57次の56番目の宿「枚方宿」は1605年徳川幕府により指定された。
 紀州藩の参勤交代の常宿であった枚方宿を西見附から船宿「鍵屋資料館」を経て本陣跡、東見附、天野川にかかる鵲橋までを取材してきました。
2001年
9月17日
石田
冨田
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