第148回 漫友会 茨城県 友部・内原に残る戦争遺跡を訪ねる

 
実施日 :平成28年7月6日(水曜日) 10001900

参加者 :芳士戸稔(つくば),小森孝敏(竜ヶ崎),戸谷輝夫(取手),小石川 功(筑西),吉野 博(水戸),
(敬称略)  中嶋 繁(野田),上田 進(),五島周太郎(鎌ヶ谷),田口春一郎(取手),山下晃生(幹事・牛久)

                                                                                                                                    10名
行  程  : JR友部駅~(バス)~心の医療センター・筑波海軍航空隊記念館~(バス)~友部駅~(昼食)
     (JR常磐線)JR内原駅~(タクシー)~内原満蒙開拓義勇軍資料館~(タクシー)~加藤完治銅像
     ~渡満道路と内原訓練所之碑~JR内原駅~JR友部駅~懇親会~JR友部駅(解散)


内  容  : 戦後70年余の今日,平和日本の礎になった先人を偲び,茨城県下の戦争遺跡を,2ヶ所
     訪ねました。特攻起源の地(筑波海軍航空隊記念館=「永遠の0」ロケ地)と満州開拓の歴史が
     蘇る地,内原満蒙開拓青少年義勇軍資料館を学びました。
          「戦争はやっちゃいけませんな.」木名瀬信也さん.日本最大規模の戦争遺構・筑波海軍航空隊
         記念館は、~特攻起源の地~建物が耐震構造で無い為,今年中に閉鎖かも!ここは戦争を語り継ぐ為
         の大切な施設群と感じました.意志のこもった熱心な説明に,涙を浮かべながら聞き入っていました
           水戸市内原郷土史義勇軍資料館は,昭和1211月内原の地に全国唯一の満蒙開拓青少年義勇軍の
         訓練所が設置された場所を見学,当日,管理の方が丁寧にご案内頂き,知らなかった世界を想像でき
         ました。ありがとうございました。
           両施設も後世に残し伝えるべきで有り,茨城県を再発見,PRする良い材料と感じました。
         全国人気度47番目の茨城県もっと広報を!!
  

当時の指令本部の玄関前で全員記念撮影


説明内容がすごくよく、感動する

満蒙開拓青少年義勇軍訓練所、内原資料館入場は
無料だが入館手続きを
* このページは低速通信利用者に配慮して、画像解像度を押さえて作成しています。
  右の「スナップ写真コーナー」では、ここでご紹介出来なかった画像も含めて、少し解像度を
  上げた写真(拡大可)を掲げて、当日の雰囲気をお伝えしています。
スナップ写真コーナー
クリック (アルバムに写真多数)
報 告:

筑波海軍航空隊記念館
    「平和を求める人は、戦争の真実を知る必要がある・・・」日本最大規模の戦争遺構(いこう)で、
   陸海軍が特攻の実行が最初に決められた地・特攻の悲劇が生まれた地でした。
     戦死者のその生き様に共感し理解するのは難しいが!。

    海軍飛行隊の練習飛行場で旧司令部庁舎,号令台,滑走路跡,地下戦闘指揮所等の歴史物が有り、
   この施設を、戦争の知らない我々以降の人々に、残し・伝える義務が有ると考えました


水戸市内原郷土史義勇軍資料館
     昭和初期に日本は経済不況と農村の大不況に襲われた、更に年々百万人近い人口増加が続いて
   いた中、昭和7年「満州国」が建国、昭和11年「二十箇年百万戸送出計画」により、
  「満州開拓移民推進計画」を実行、家族全員で渡満する満蒙開拓団と青少年義勇軍(14歳~18歳)で
   500万人の移住が推進された、昭和12年11月、内原に全国唯一の満蒙開拓青少年義勇軍の訓練所開設、
   農家の長男が家督を継、次男、三男が義勇軍に応募し、内原で基礎訓練を3ヶ月、満州各地で3年間
   農業実習後、10町歩の土地を与えられ、大農経営が許可されたとある。
     終戦(S20年)までの8年間で86,530人の訓練生が渡満したが、戦後シベリア抑留等により半分の人が
   里帰りできなかったと記されていた。

        先人の国策の規模の大きさ,推進する人,実行し苦労した人(376.036人),この施設も後世に残すべき
   遺産と考えるが、個人の寄付に頼るしかないのが現状か?

行事企画(山下晁生)、記事(田口)、写真提供(山下・戸谷・田口)