桂川・宇治川の合流点 |
水無瀬離宮址の石碑 |
水無瀬神宮 |
桜井の駅跡 |
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さて、目を南に転じますと、島本町で北から桂川・宇治川・
木津川が合流しまして淀川と名を変えます。島本町は宇治
川の真ん中、高槻市は淀川の真ん中が南限となっています。
都が奈良の平城京から長岡京に移り、10年後には平安
京に奠都(てんと)しましたが、それらのことは、桂川や宇治
川さらには淀川の水運を盛んにいたしまし
た。
島本町の阪急水無瀬(みなせ)駅あたりから北の山裾にか
けての丘陵地は、西に天王山、東に男山、眼下に淀川が迫り、
古くから風光明媚な場所でありましたので、上皇の離宮や貴族の
別荘がありました。
島本JA前を北に進み、
JRの踏切を渡った先に水瀬
川の水を
引いて池を造り、築山から滝を落とし、庭には洛北の北白川か
らの砂を敷き、贅(ぜい)を尽くして、華やかな王朝絵巻を繰り
広げた、「後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)水無瀬離宮」の跡
を示す石碑があります。
後鳥羽上皇は、権威を示すためか、鳥羽・宇治などにも離宮
を造っていますが、水無瀬では前述の地の他にも離宮を造って
いまして、上皇没後、離宮跡に御影堂が建ち、後年神社になり
ましたのが「水無瀬神宮」で
あります。ここの御手洗(みたらし)
から、こんこんと流れ出る水は、環境庁によ
る全国名水百選に
大阪府下で、ただ一つ「離宮の水」として挙
げられています。
近くには、『太平記』の楠木正成(くすのきまさしげ)正行(まさ
つら)父子訣別の「桜井駅跡」(国史跡)もあります。
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