玉川の里に建つ松尾芭蕉句碑 |
三島江浜のにぎわいをしのばせる妙見燈篭 |
くらわんか舟発祥地碑 |
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淀川を下って行きますと芥川が淀川に合流する唐崎に着きます。
ここから陸地に少し入った所に「玉川の里」がありまして、古くから
多くの和歌に詠まれた「歌枕の里」として知られ、山城・紀伊・近江・
武蔵・陸奥と共に天下六玉川の一つに数えられています。
古来、卯(う)の花や月の名所として名高く、芭蕉の“卯の花や暗
き柳のおよびごし”の句碑が建ち、5〜6
月にかけて、白い可憐な
卯の花が咲き乱れ、「市民の花」として親しまれています。
さらに少し下りますと、万葉集以来「淀の玉江(たまえ)」として、
淀川の自然を表す歌枕となりました「三島江(みしまえ)」に着き
ます。
ここは、近世以来対岸との渡し場で、河内と北摂を結んで賑わい
ました。また三島江浜とも呼ばれる河港で、上流の唐崎浜と共に、
淀川過書船(かしょぶね)(官許の荷船)の出入りで大いに栄えま
した。
今は、「妙見灯籠(みょうけんとうろう)」が
往時を偲ばせてく
れています。
三島江の南にある「柱本(はしらもと)」が、高槻市域の南西
端になりますが、ここは、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『東
海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくり
げ)』にも登場する
「くらわんか舟発祥の地」であります。
大坂夏の陣で徳川軍の兵糧輸送に協力した功績で、営業特権を
得たため、淀川を往来する三十石船の乗客に「喰(く)らわんか、
喰らわんか」と、酒や餅などを、乱暴な言葉で売る光景が名物に
なりました。
その後、川の流れが枚方寄りになり、「くらわんか舟」は枚方が
有名になりましたが、元祖はここであります。