夕刻から雨の天気予報を気にしつつ、上野駅公園口を出発。
伊能忠敬墓所の源空寺から「恐れ入谷の鬼子母神」とめぐり、今年は”三の酉”(11月27日)まである鷲(オオトリ)神社で集合写真を撮り終えると、もう昼食の時間。
吉原神社近くの公園で昼食後、地元の古老曰く昔の面影がなくなった吉原本通りを”大門”へ向かい”見返り柳”に送られて、浄閑寺(投げ込み寺)で遊女の霊に手を合わせました。
江戸の刑場小塚原で安政の大獄に斃れし、吉田松陰、橋本佐内など志士の碑を拝察し回向院を後にして、程なく千住の”天王さま”素盞雄(スサノオ)神社に到着。
ここでは結婚式に遭遇。若い二人を祝しつつ、芭蕉が旅立ちの千住大橋を渡れば、もうそこは江戸~昭和初期まで続いた、旧日光街道千住の”やっちゃ場”通りでした。
重い雲に先を急かされつつ、現代の北千住駅にたどり着きました。日比谷線にして、たった4駅の区間ですが徒歩での旅は、平安~江戸そして昭和までの世紀を超えていろいろと空想できる日光街道の旅でした。
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