第151回松愛会静岡支部合同歩こう会レポート
                                             2018/10/5(土)

 今回は 『東海道五十三次! 丸子宿から宇津ノ谷集落と宇津ノ谷峠越え』 と銘打って
東海道五十三次・日本橋から20番目の宿場町、丸子宿を散策。国道1号の道の駅・宇津ノ谷峠(静岡市側下り)で昼食休憩。疲れを癒したのち、宇津ノ谷集落から「明治のトンネル」を通り抜け、道の駅・宇津ノ谷峠(藤枝市側上り)のバス停「廻り沢口」からJR静岡駅と藤枝駅をゴールとする、約 9kmのウォーキングでした。

■ コース順路・見どころ 【昼食場所:道の駅・宇津ノ谷峠(静岡市側/下り)】
JR安倍川駅 →寺田鎌田第二公園 →丸子川左岸 →谷津神社 →水神社 →旧東海道 丸子宿本陣跡 →
お七役所跡 →丁子屋→高札場跡 →丸子紅茶(日本の紅茶発祥地)→長源寺 →道の駅・宇津ノ谷峠
(静岡市側/下り)《昼食・休憩》→宇津ノ谷集落・御羽織屋 →宇津ノ谷峠公園 →明治のトンネル→
道の駅・津ノ谷峠(藤枝市側/上り) 廻り沢口バス停 === JR静岡駅 / JR藤枝駅《ゴール/解散》

■ 当初の計画は9月29日(土)でしたが、台風24号の影響で当日の天気予報は、降水確率が60%以上のため、翌週の(土)に延期しました。しかし開催当日も台風25号が朝鮮半島をかすめて日本海を北上。進路コースが気懸りでしたが、県内の日中は降雨もなく無事に実施できました。
お天道さまに感謝!感謝!

■ 曇り空で蒸し暑い10月6日(土)の朝、当日は、静岡支部合同歩こう会に設定し、JR安倍川駅の改札口前に11名の参加を得て開催しました。(西部地区/10名、東部地区/1名)直ちに西口を出て、寺田鎌田第二公園に移動し、リーダーからコース説明と集合写真の撮影後、丸子宿へ向けスタート。


 【 寺田鎌田第二公園 】

  

リーダーの説明を聞く参加者

  

リーダーの説明を聞く参加者

  

リーダーの説明を聞く参加者
  

集合記念写真

集合記念写真


■ 東海道新幹線のガードを通り抜け、西へ向うと丸子川に出る。丸子川の堤は「太平洋岸自転車道」になっており、上流に向って行く。白垣公園からは丸子川を左手に眺めながら進むと、花々が目を楽しませてくれる。住宅地の中を流れる川にしては驚くほど水が澄んでいて、川面を眺めていると小魚の群れが見えた。


【 丸子川左岸 】

  

太平洋岸自転車            丸子川堤防に咲く彼岸花

  

丸子川堤防に咲くコスモス              地蔵堂の石碑   

  

■ さらに上流に進むと、対岸に鳥居が見える。背後に山が迫る「谷津神社」です。社殿の脇に樹齢1000年、目通り幹周6.1mの大きなクスノキが枝葉を広げている。静岡市の天然記念物でもある。
ここで思い思いに小休止。休憩後、さらに先に進むと赤い鳥居の水神社に到着。

 【 谷津神社 】

  

一息入れる参加者            お話に夢中のお嬢さん


  
一息入れる参加者               社殿   

  

境内のクスノキ           境内の全景  

◆ 水神社から見る丸子川は穏やかで細い流れだが、一級河川である。下流で同じ一級河川の
安倍川に流れ込む。昭和49年(1974)の七夕豪雨のときは被害が大きかったと云われている。
水神社脇の石段を下りると旧東海道の丸子宿に出る。行き交う車に注意しながら丸子宿を散策する。

【 水神社 】

  

水神社


◆ 丸子宿 鎌倉時代、源頼朝が手越蒙悪に丸子一帯を領地として与え、宿駅を設けたのが始まりといわれている。東海道の中で最も小さな宿場だったが、宇津ノ谷峠がある交通の要所として栄えた。広重が描き、芭蕉が俳句に詠んだと同じに今もとろろ汁が名物。
家数211軒、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠24軒、人口795人(1843年資料)
◆ 丸子宿本陣跡 丸子宿が東海道伝馬制の制定により宿場町に定められたのは、関ヶ原の戦いの翌年慶長6年(1601)。江戸から数えて20番目の宿場町で、江戸期の宿場戸数は200戸。本陣は参勤交代の譜大名・幕府の役員・勅使や公家等の宿泊所だった。


【 旧東海道丸子宿 】

  

丸子宿問屋場跡              丸子宿本陣跡の石碑

  

旧東海道をテクテク               お七里役所


◆ お七里役所跡 西国の大名の中には、江戸の屋敷と領国の居城との連絡に直属の通信機関(七里飛脚)を持っていた。この役所跡は紀州徳川家のもので当時、江戸―和歌山間(584 km)に約七(28km)毎の宿場に中継ぎ役所を置き、主役(お七里役)と五人一組飛脚(お七里衆)を配置していた。飛脚には剣道、弁舌にすぐれた者が選ばれ、昇り竜、下り竜の模様の伊蓬撃策を着て「七里飛脚」の看板を持ち、腰に刀と十手を差し、御三家の威光を示しながら往来したようだ。普通便は毎月3回、江戸は五の日、和歌山は十の日に出発し8日間、特急便は4日間で到着したそうで、県内には沼津、由比丸子、金谷、見付(磐田)、新居に設けられていた。

◆丁子屋 慶長元年(1596)創業。広重浮世絵にも登場する「とろろ汁」の店。丸子宿には「とろ汁」を出す店が何軒もあり、多くの旅人がこれを目当てにやってきたという。芭蕉は「梅若菜 丸子の宿のとろろ汁」と詠み、東海道中膝栗毛では、喜多さんが「けんかする夫婦は口をとがらせて、鳶とろろに、すべりこそすれ」と一首ひねっている。敷地内には「芭蕉句碑」「十返捨一九の碑」「辰石」などがある。「辰石」とは、家康公が近隣より集めた駿府城の石垣の石の一つ。1976年、電話ケーブル埋設事業の際、偶然見つかり、辰年にちなみ名前をつけ丸子の縁起ものとしている。

  

丁子屋展示所           とろろ汁の丁子屋


◆ 丸子宿高札場 高札とは、古代から明治時代初期にかけて行われた法令(一般法、基本法)を板面に記して往来などに掲示して民衆に周知させる方法である。なお、特定の相手や事柄を対象として制定された法令(特別法)を記した同様の掲示を制札(せいさつ)と呼ぶが、その実際の運用上は厳密に区別されていたとは言い難かつたようである。


【 旧東海道丸子宿 】

  

  丸子宿の標識               丸子川に架かる丸子橋

  
   丸子宿高札場             丸子川右岸の遊歩道

  

 丸子元宿高札緑地              丸子宿高札場


■ 丸子橋を渡りすぐ右側にある、丸子宿高札場に立寄ったのち、車両の走行が激しい旧東海道を避けて旧東海道に沿って流れる丸子川の遊歩道をしばらく歩き、再び旧東海道に合流し西へ。国道1号に出て少し進み、再び旧東海道に合流。「日本の紅茶発祥の地・丸子の丸子紅茶」を横目にして、長源寺へ。

◆ 日本の紅茶発祥の地 丸子の丸子紅茶
明治時代、日本の近代茶業の先駆者-多田元吉は中国・スリランカ・インドを命がけで旅し、紅茶の製造技術や種子を持ち帰った。その後隆盛を極めた日本産紅茶も次第に衰退し忘れられていった。現在この歴史ロマンあふれる丸子紅茶が再生産され、その成分・味・香りなどの秀逸さで注目を集めている。多田の石碑は起樹天満宮に、墓は隣接する長源寺にある。

  

丸子紅茶発祥の地

  

起樹天満宮               長源寺山門

■ 長源寺の山門前広場で小休止の後、国道1号を跨ぐ歩道橋を通って丸子川沿いに旧東海道を西へ向い、道の駅の手前、宇津ノ谷・逆川歩道橋を渡り、昼食休憩場所の「道の駅・宇津ノ谷峠」に到着。

◆ 道の駅・宇津ノ谷峠 周辺には、ハイキングコース「蔦の細道」、国の登録有形文化財「明治トンネル」、家々の軒先の屋号が風情をしのばす「宇津ノ谷の家並み」など見どころ満載です。
「道の駅」宇津ノ谷峠は、峠を挟んで静岡市側と藤枝市側に駐車場や物産館など3つの施設を持つ全国でもめずらしい構成をもつ「道の駅」です。また、物産館では地域と地域の連携・交流を目的として、地元で生産されるお茶・みかん・たけのこなどの農産物を中心に、新鮮な自然の恵みを販売しています。丸子は自然薯が有名ですが『とろろ定食』が食べられます。静岡おでんも365日食べられます。

【 道の駅・宇津ノ谷峠 】

  

集合記念写真


  

思い出すなぁ少年時代を...         道の駅・宇津ノ谷峠の駅舎

■ 道の駅では60分の休憩時間をとり、昼食後は館内で思い思いにひと時を過して疲れを癒してから集合写真を撮り終え、宇津ノ谷集落に向った。

【 国道1号歩道橋 】

  

宇津ノ谷集落へ向う             宇津ノ谷集落の入口

  

集落の案内板               集落内の掲示板

◆宇津ノ谷集落 丸子宿と岡部宿の間の宿であった40戸ほどの集落。静岡市の都市景観条例で「美しいまちづくり推進地区」に指定されており、地区では「宇津ノ谷地区美しいまちづくり協議会」を設立し街道の面影のある町並みを保存している。江戸末期~明治にかけての建物が多く現存している。

◆ お羽織屋 天正18年 (1590)に豊臣秀吉が小田原攻めで宇津ノ谷峠をとき、この集落にある石川家で馬の草履を求めた。主人は三脚分しか渡さなかったので秀吉が訪ねると、四は死に通じるのでとの返事だったというが、石川さんの話では一脚は無事でお戻りのときまで戦勝を祈念してお預かりしますとのこと。山の名を聞かれれば「カチ山」 木の名を聞かれれば「カチの木」と答えたという。
戦勝した秀吉が再び立ち寄ってそのお礼に羽織を与えた。それが残っている。

【 宇津ノ谷集落 】

  

集落内を散策する参加者

  

集落内を散策する参加者   集落の緒羽織屋

  

集落の緒羽織屋               集落の全景

■宇津ノ谷集落の散策しながら通り抜け、当初計画では登山道を歩いて峠越えをする計画でしたが、事前の下見で倒木や登山道の荒れている箇所が見受けられたので、明治のトンネルを通って藤枝市岡部町へ行くコースに変更。めいじのトンネル入口前の公園で最終休憩をとり、ひと息いれる。

【 宇津ノ谷峠公園 】

  

地形の確認する参加者

  

一息入れる参加者

  

一息入れる参加者

◆ 明治のトンネル 東海道の難所であった宇津ノ谷峠に日本初の有料トンネルとして開通。明治9年(1876)に開通したため、明治トンネル呼ばれています。赤レンガの内壁とランプがレトロな雰囲。明治時代の貴重な建造物として現役のトンはじネルとしては、初めて国の登録有形文化財となっている。

  

明治のトンネル  藤枝市側へ向う参加者      蔦の細道公園  下見の日に撮りました

■ 全長200m余りの明治のトンネルを通り抜け、150m余り先の県道208号(旧東海道)に合流し、国道1号へ向う。やがて藤枝市側にある、上りの「道の駅・宇津ノ谷峠」に到着。ここで東部から参加者で熱海市にお住いの佐藤壽男様はしずおか駅行きのバスに乗車のため、バス停で分れ、西部からの参加者10名は歩道橋を渡って下りのバス停からJR藤枝駅へ向かった。

■ 今回は、台風の影響で一週間延期しての開催でしたが、11名の参加者を得て実施できた事は、嬉しいかぎりです。願わくは「支部合同歩こう会」と銘打っての開催でしたので、中部・東部地区の会員様の参加を期待していました。
次回のご参加をお待ちしています。

レポーター:幸岡          
写真の提供:野神 ・幸岡   
  


 次回は 平成30年10月27日 (土) 開催!
~ 東海道五十三次・金谷宿から大井川の川越遺跡と島田宿の散策 ~
JR金谷駅・駅前広場 10時00分 集合 です!