146回松愛会静岡歩こう会

 ~ 井の国!直虎ゆかりの地 井伊谷の史跡めぐり ~

2017/11/25(土)

     ◆井伊谷周辺の歴史と文化:浜名湖の北側、奥浜名湖エリアにある井伊谷は、里山から注ぎ込    む清らかな水に恵まれ、古くから「井の国(水の国)」と呼ばれていました。また、気候・風土に    も恵まれた井伊谷周辺では旧石器時代より人々の営みが確認されており、井伊氏ゆかりの史跡だ    けでなく、古墳や遺跡などの有形文化財が存在しています。

  

井伊谷城跡城山公園  家族でパチリ!?       城山公園の説明板          

  

井伊谷城跡城山公園  城山公園の説明板        海抜113mからの眺望          

〔今回のウオーキングコース〕
コース説明:歩行距離・・約 10㎞
 天浜線・金指駅《スタート》→金指関所跡 →實相寺 →小野山稲荷大明神社 →コンビニ →井殿の塚 →浜松市引佐図書館 →浜松市地域遺産センター →コンビニ →天白磐座遺跡前・神宮寺川の畔《昼食休憩》→天白磐座遺跡・渭伊神社 →井伊谷宮 →龍潭寺 →井伊共保公出生の井戸 →井の国公園 (休憩) →細江神社 →犬くぐり道 →姫街道歴史民俗資料館 →おみやげ店 →天浜線・気賀駅《ゴール》解散。
◆10/28 (土)に実施計画の第145回歩こう会は、台風22号の接近で行先の「薩埵峠」付近の降水確率が80%以上の予報に中止しましたので。2ヵ月ぶりの歩こう会でした。
 季節は晩秋から初冬の気配が感じられる11/25 (土) 会員、奥様、友人合せて23名がJR掛川駅、新所原駅、浜松駅経由遠鉄・西鹿島駅で天浜線に乗換え、金指駅に下車。

  

遠鉄・天浜線西鹿島駅   駅前風景          遠鉄電車の車両        


身支度を整えた後、駅前広場に集合。リーダーの挨拶とコース説明、初参加で磐田市在住の柴田会員ご夫妻、湖西市在住の田渕会員の紹介と挨拶を受けました。引き続き白石支部長から当面の支部活動に関する説明をお聞きし、集合写真を撮った後、實相寺に向けスタート。

【 金指駅前 】

  

リーダーより朝の挨拶とコース説明          コース説明を聞く参加者

  

コース説明を聞く参加者

  

初参加者の紹介  柴田会員ご夫妻            田淵会員       



集合写真

◇駅前から国道362号を横断すると直ぐ左角に「市神様」のと説明板と「金指関所跡」の
石碑と説明板があった。

  

金指駅前~實相寺間    市神様の説明板         金指関所跡の石碑と説明板     


  ◆松源山 實相寺:嘉慶元年(1378年)開創、延宝6年(1678年)再建の本堂ほか、諸堂も古い建物  が多く、鏡楼門や庭園は特に美しい。引佐三十三観音・浜名湖新西国の札所でもあり、松嶋十湖  の句碑や渡辺謙堂の彰徳碑がある。

  【 實相寺 】


  

實相寺山門

  

實相寺     境内と参加者                本堂         

  

實相寺      美しい庭園        

◇實相寺の参拝と境内の散策・見学を終え、隣接する小野山稲荷大明神社の参道を通って
里山を散策しながら井伊谷に向った。

  

小野山稲荷大明神社    しだれ柳              参道            

井殿の塚:天文13年(1544年)12月井伊直平の嫡子直宗公の舎弟直満並びに直義兄弟は、戦国大名今川氏と武田氏両軍の対立に際し、家老である小野和泉守道高の讒言(ざんげん)により、駿河の今川舘に召喚され、遂に殺害されるに至りました。

  

井殿の塚     参加者の見学風景       

  

井殿の塚      参加者の見学風景       

◇里人はこれを憐れみ、末の弟井伊直元公に乞い、供養のため両者の塚を築き遺骨を納めて輪塔を建て塚の上に一本の松を植えたと言い伝えられています。以来これを濫塔の松、或いは井殿の塚と称し香華が絶えなかったと言うことです。この里に生まれ、箕輪に封ぜられ、封して彦根の太守となった井伊直政公は、直親の子で正に直満の孫に当たります。

◇井殿の塚を離れ、午前中最後の立ち寄り先である「地域遺産センター」へ向かった。

  

井殿の塚~地域遺産センター間 地域遺産センターへ向かう参加者


浜松市地域遺産センター:NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の放送にあわせて、戦国時代の井伊氏や井伊谷の 歴史や文化を紹介する特別展が開催されます。2階展示室では、井伊直虎の生涯や井伊谷周辺の戦国時代の様子をプロジェクションマッピングと ジオラマで物語風に紹介する「井伊谷戦国絵巻」や、城跡の推定復元ジオラマと360度動かせる3D画像により井伊谷城を俯瞰できるコーナー、井伊直親ゆかりの笛を再現した「青葉の笛」、北神宮寺遺跡を中心に井伊谷の中世遺跡の出土品などが展示されます。


【 浜松市地域遺産センター  】

  
地域遺産センター正面の全景        お茶の接待に列をなす参加者

  
館内を見学する参加者

  
館内を見学する参加者


◇地域遺産センター館内の見学を終え、山蔭の道をこぼれ日を浴びながら途中のコンビニに立ち寄り、思い思いに買い物をして昼食場所の天白磐座遺跡前・井伊谷川の畔に向った。

【 天白磐座遺跡周辺 】

  
昼食休憩と昼食後のひと時

  
昼食休憩と昼食後のひと時

  
昼食休憩と昼食後のひと時
  
昼食休憩と昼食後のひと時

  

昼食休憩と昼食後のひと時

  

昼食休憩と昼食後のひと時        神宮寺川に架かるい井の国橋

◇昼食休憩後、天白磐座遺跡と隣接する渭伊神社に向った。

【 天白磐座遺跡内を行く 】

  

大きな岩が点在しています
  

大きな岩が点在しています

  

天白磐座遺跡:渭伊神社の本殿の後方、薬師山とも呼ばれる丘の頂き、には、巨大な石が幾つも横たわっています。自然の造形とは思えないほど、見事にバランスのとれた配置で散在する石群は、巨石を神の拠り所(磐座)とした古代の祭祀場の遺跡。日本の磐座の中でも、神の気配の深さにおいて屈指。三方を神宮寺川に囲まれているので、水霊を祀る祭祀の場だったと思われます。

【 天白磐座遺跡 】

  

天白磐座遺跡への登山道            説明板     

  

渭伊神社:井の国の中心となる古来以来の神社。南北兵乱のとき龍潭寺の境内から現在地へ移ったと云われる。井戸の井水を祭祀対象とした神社で、井伊氏の発祥とともに氏神になった。本殿背後の丘には古墳時代の巨石際祀の遺跡・天白磐座遺跡がある。

【 渭伊神社 】

  

本殿                境内 (囲いはご神木)

◇天白磐座遺跡と渭伊神社の見学・参拝を終え、神宮川沿いに井伊谷宮、龍潭寺へ向う。

【 神宮川沿いを行く 】

  

井伊谷宮、龍潭寺へ

  

井伊谷宮、龍潭寺へ


井伊谷宮:御祭神「宗良親王」は、後醍醐天皇第四王子(宮内庁調べ)であらせられ、今より約650余年、動乱の南北朝時代に一品中務卿(いっぽんなかつかさきょう)征東将軍として、この地を本拠に50余年の間、吉野朝方のためにご活躍になられました。

【 井伊谷宮 】

  

井伊谷宮の参道            本殿参拝

  

本殿参拝              手筒花火

龍潭寺:天平5年 (733) 行基菩薩によって開創された臨済宗古刹。井伊谷地域を治めた井伊家の菩提寺として歴代当主から厚い信仰を受けたそうです。約1万坪の境内には、県指定文化財の本堂・開山堂・総門等の貴重な建物が立ち並び、国指定名勝の「龍潭寺庭園」とともに悠久の歴史・文化・信仰を今に伝えています。

  
龍潭寺境内

  

井伊直政公出世之碑            龍潭寺参道   

◇井伊谷宮と龍潭寺の参拝、散策を終えて「井伊共保公出生の井戸」へ向う。
井伊共保 出生の井戸:この井戸は井伊家の基礎を築いた井伊共保公出生の井戸として往古から伝承されています。1010年 (實引7年) の元旦、遠江国井伊谷の八幡宮神主が御手洗の井の傍らに男児の捨て子を発見した。7歳の時、神童と称され、その噂を聞きつけた遠江国司藤原共資の養子となり藤原共保と称し、共資の一女と結婚した。
1032年(長元5年)家督を継ぐと故郷の井伊谷に居館(井伊谷城)を構えて井伊氏を称した。1093年84歳で歿し、八幡山地蔵寺 (現:龍潭寺) に葬られた。
また別説として、延喜年間に奈良より荘司として着任した三宅好用が井伊谷に居を構え、それより三代目の井端谷篤茂の娘が共資に嫁し、共保はその実子として生誕したとも伝えられる (三宅氏の家紋は井伊氏と同じく橘)。

  

井伊共保公出生の井戸

  

井伊共保公出生の井戸の見学を終えて


◇井伊共保 出生の井戸に立寄りゴール駅の天浜線・気賀駅へ。途中、「井の国公園」で
思い思いに談笑しながら、ゆっくり休憩。

  

井の国公園 今  日のウオーキング最後の休憩

  

井の国公園 今  日のウオーキング最後の休憩

  

 休憩を終え、しばらく歩くと「ここから細江町」の標示板を確認。やがて、井伊谷川に架かる国道362号の「清水橋」を左弐見て細江町の市街に入った。気賀小学校前を通り過ぎて細江神社の北側にある史跡「犬くぐり道」を散策した。

犬くぐり道:徳川時代、気賀の関所は新居関所と並んで浜名湖の南北の二大関所だった。しかし、気賀の人は隣村、自分の畑に行くにも関所を通らねばならず、通行手形がないと役人に帰されてしまい、大変不便が多かった。それで村人は相談して、時の殿様・近藤縫殿助に穏便な措置を願い出た。

 殿様は、国の法は曲げられぬ、としたものの、情の厚い人でもあり「では、犬の通る道を作ってやれ」と命じた。そこで関所の裏側の山すそに沿って、細いうねうねとした粗末な道を作り、途中筵を垂らして下を五十センチほど開け、これは犬の通る道である、という建前の村人の道とした。村人たちは領主の慈悲に感謝し、村人以外が関所破りにここを通ろうとするときは、これを突き出し、関所の役人に協力したという。

  

犬くぐりの道

細江神社:林立する巨木が歴史を感じさせる
細江神社は、明応7年(1498年)に起きた大地震の津波により、旧新居町にあった角避比古(つのさくひこ)神社が流没し、その後、赤池に流れ着いたといわれる御神体『牛頭天王(ごずてんのう)』を祀る神社です。祀られるまでの経緯に由縁し、地震除けの神社として親しまれているようです。

そのほか境内には、この地方の藺草(いぐさ)栽培の基礎を築いた領主を祀る藺草(いぐさ)神社など複数の境内社や、樹齢500年を数える夫婦楠のほかクスノキの巨木7本(浜松市指定天然記念物)があります。なお、例年7月には、御神体が流れ着いた故事にならい、浜名湖上を渡御する祇園祭が華やかに行われます。

【 細江神社 】

  

大鳥居                   本殿


  

御神木                     参道


◇「犬くぐり道」から細江神社と「歴史民俗資料館」の間の道を国道362号に出た所を今回のゴール場所として、おみやげ店に向うグループと気賀駅に向うグループに分かれて帰途につきました。

                                     写真提供:幸岡会員、野神会員                                   

歩こう会世話人  幸岡(記)


   次回は 平成30年3月31日 (土)
~ 安倍川から富士山と用宗魚市場で新鮮魚ゲット ~
東海道線:静岡駅 改札口前 10時00分 集合 です!