|
掲載日 | 内容 | 投稿者 |
R元-06-07 | 2019.6.7吉野川ウオーキング | 矢達 稔会員 |
R元-05-13 | 住民手作りの「島メシ」で瀬戸内国際芸術祭を応援 | 大野善教会員 (情報提供) |
H31-03-10 | 徳島城祉公園(中央公園)蜂須賀桜 | 矢達 稔会員 |
H29-07-20 | 香川県美術展覧会(県展)鑑賞報告(三宮会員の作品が入賞) | 岩繰憲治会員 |
H27-06-10 | うずしおウォーキング2015 | 矢達 稔会員 |
H27-03-22 | 徳島マラソン2015 | 矢達 稔会員 |
H24-04-28 | とくしまマラソン2012 | 矢達 稔会員 |
H24-04-28 | はな・はる・フェスタ2012(徳島) | 矢達 稔会員 |
H24-01-20 | 2012年中四国地方花粉飛散量予測情報 | 宇賀孝之会員 |
H23-10-31 | 2011年秋・龍馬脱藩への道 20里を歩く | 樋口和矢会員 |
H23-08-20 | 2011年夏・熱い徳島市阿波おどりを写真に納めて | 矢達 稔会員 |
H19-08-25 | 2007年夏・京都祇園祭を見物して | 山田 實会員 |
H18-11-11 | 冨永 喬 会員 木彫り展 | 大坪勝一会員 |
H18-10-31 | 香川芋掘り体験会 | 大坪勝一会員 |
H18-09-11 | 誰にでも簡単にできるパピルス(エジプト古代紙)製作方法 | 工藤哲隆会員 |
H17-04-10 | 多層巻きによる免震技術で特許申請 | 三宮久幸会員 |
H16-09-02 | 北風陶芸作陶展 | 北風順宣会員 |
H15-04-02 | 京都シティマラソンに参加して | 酒井保則会員 |
H15-03-01 | わが支部の郷土自慢 | 竹中利彦会員 |
NEW
吉野川河口 |
橋桁工事 |
橋脚工事 |
阿波しらさぎ大橋 |
吉野川大橋 |
吉野川大橋 |
吉野川橋 |
高徳線鉄橋 |
隅瀬渡し跡 |
四国三郎橋 |
四国三郎橋 |
なだ渡し跡 |
名田橋 |
藍の館 |
第十の堰 |
第十の樋門 |
六条大橋 |
六条大橋 |
高瀬橋 |
高瀬橋 |
西条大橋 |
西条大橋 |
阿波中央橋 |
阿波中央橋 |
明光庵跡 |
川島橋 |
川島橋 |
川島城 |
川島城 |
阿波麻植大橋 |
阿波麻植大橋 |
JR学駅 |
地名の由来 |
瀬詰大橋 |
瀬詰大橋 |
岩津橋 |
岩津橋 |
穴吹橋 |
穴吹橋 |
脇町うだつの町並み |
ふれあい橋 |
ふれあい橋 |
脇町橋 |
脇町橋 |
小島橋 |
小島橋 |
美馬中央橋 |
美馬中央橋 |
喜来渡し跡 |
美馬橋 |
青石橋 |
青石橋 |
東三好橋 |
角の浦大橋 |
角の浦大橋 |
加茂の大楠 |
加茂の大楠 |
三三大橋 |
三三大橋 |
美濃田大橋 |
美濃田大橋 |
土讃線 |
徳島自動車道 |
三好大橋 |
三好大橋(工事中) |
四国中央橋 |
四国中央橋 |
JR池田駅 |
池田発電所 |
池田発電所 |
池田発電所 |
池田発電所 |
敷之上橋(渡る人いる?) |
徳島自動車道(愛媛へ向かう) |
池田大橋(ようやく目標達成) |
池田大橋 |
三好橋 |
三好橋 |
池田高校 |
池田高校 |
真鍋本家(タバコ資料館) |
うだつの町並み |
池田の町 |
JR土讃線(高知へ向かう) |
四国新聞5/4付12面の記事 |
瀬居島の面々(左端が向井会員) |
「島メシ」の紹介記事 |
蜂須賀桜遠景 |
蜂須賀桜 |
蜂須賀桜並木 |
平成29年7月20日 うだるような猛暑の中、第82回香川県美術展覧会(県展)に行って来ました。
今回は今年3期目(7/17~7/23の6日間)で主な出展は日本画・工芸・写真が展示されています。
本日県展に伺った最大の理由は、写真の部で見事入選された、三宮香川分会員の作品が展示されて
いるからです。
そして、奥様も見事同時入選されているからです。入選本当におめでとうございます!!
写真の作品名は、
三宮さん 「苦悩」・・・丸亀市で撮られた作品ですが、難しい方程式が書かれた白板に背を向けて、
こちらを向いて顎に手を添えて難しい顔で考え込む、一人の老年の男性の姿を透きガラスの亀裂を
通して描かれた作品です。なにを考えているのでしょうか?これまでの人生でしょうか?それとも他の
ことでしょうか?この「苦悩」は何か。回答は見る人によって違うのかもしれません。
奥様 「雑貨店」・・・琴平市で撮られた作品ですが、昭和的な家屋で雑貨店を営むおばあさんが、こちら
を向いて店の前にいる様子を撮られた作品です。軒先といわず、店先の空いた場所と言わず、それこそ
蟻のはい出る隙間も無いほど種々雑多な商品がこれでもかこれでもかと飾られているお店です。その
商品はひょっとこやおかめのお面、でんでん太鼓、招き猫、麦わら帽子、籠、うちわ、桶、その他知らない
商品もあります。牧歌的とでもいうのでしょうか。なにかしら昔に戻っ たような懐かしい風景でした。
以上
※後日談・・・奥様の作品名は、県展には「雑貨店」で出展しましたが、再検討の結果「商い中」と改題され
たそうです。
記事 香川分会 岩繰 憲治 会員
写真・後日談記事 香川分会 財津 会員
三宮会員の入賞作品「苦悩」 |
奥様の入賞作品「雑貨店」 |
三宮会員及び奥様 |
先般大鳴門橋が開通30周年を迎え、記念のイベントがありました。
その一つ「うずしおウォーキング」に参加しましたので報告致します。
このウォーキングの最大のポイントは、大鳴門橋の高速道路下の管理通路を
歩いて淡路島へ渡ることです。
通路の床はスノコ状で、50m下の海面が丸見えです。高所恐怖症の私には
恐怖のウォーキングですが、何とか我慢して渡り切りました。
記事・写真提供 徳島分会 矢達会員
受付場所 |
誓約書記載場所 |
スタート地点付近の風景 |
海の風景 |
ウォーキングスタート |
大鳴門橋 |
うず潮の型の説明板 |
ガラスの床 |
道路下の管理道路 |
道路下の管理道路 |
道路下の管理道路 |
貨物船通過 |
巨大な橋脚基礎 |
大鳴門橋 |
完歩証明書 |
平成27年3月22日(日)好天に恵まれた中、恒例の徳島マラソンが行われました。
今回で第8回目となりますが、年を追うごとに参加者が増え、本年は10,628人が出場し9,738人
が完走しました。
今回初めて国際マラソン・ロードレース協会の公認レースとなり、海外から43人の参加がありました。
写真の解説
①スタートラインのアーチ
②徳島県警音楽隊による出発式
③ゲスト徳島出身シドニー五輪女子マラソン代表「市橋有理さん」の激励挨拶
④スタート10秒前、スタッフの女性も緊張
⑤一斉にスタート
⑥徳島名物「お接待」
⑦徳島陸上競技場のフィニッシュライン
⑧トップランナーのゴール 和田壮平さん 2時間21分11秒
⑨歓迎セレモニー
⑩阿波踊りでお出迎え(女踊り)
⑪女性による男踊り
⑫男踊り
記事・写真提供 徳島分会 矢達会員
①スタートラインアーチ |
②出発式 |
③ゲスト「市橋有理さん」 |
④スタート10秒前 |
⑤一斉にスタート |
⑥徳島名物「お接待」 |
⑦フィニッシュライン |
⑧1位でゴール和田さん |
⑨歓迎セレモニー |
⑩阿波踊りでお出迎え |
⑪阿波踊りでお出迎え |
⑫阿波踊りでお出迎え |
徳島分会 矢達 稔
とくしまマラソンは2008年4月27日に第一回大会が開かれ、参加者3,000人を目標にしていたが、
4,045人が集まり順調なスタートを切った。その後、回を重ねるごとに盛況となり、本年第五回大会では
11,057人がエントリーするまでに成長した。
コースは福島橋をスタートし、開通式直前の阿波しらさぎ大橋を渡り、吉野川北岸を上流に向って進み、西條
大橋から南岸に渡って折り返し、徳島市陸上競技場がゴールとなります。コースの特徴は吉野川の堤防が大半
となるので、アップダウンが少なく、徳島のシンボル吉野川と眉山(びざん)を眺めながらの爽やかなコース
となります。
競技は22日午前9時にスタートしたが、あいにく台風なみの風雨となり、走者も苦戦ですが写真撮影も大苦
戦です。
メガネは濡れる、カメラのファインダーは曇る、突風で飛ばされそうになる。そんな状況ですから、途中の力
走ぶりは撮影出来ませんでした。
スタート前の長蛇の列 |
徳島県知事の挨拶 |
ゲスト高橋尚子さん激励の言葉 |
スタート前緊張の一瞬 |
知事の号砲一発、一斉にスタート |
ゴール地点歓迎セレモニー |
1着ゴール石川佳彦さん |
ご接待の準備完了 |
徳島分会 矢達 稔
徳島の春の祭典「はな・はる・フェスタ2012」が開催されました。
開催期間は4月20、22日、23日の3日間です。
催し物は阿波踊りコンテスト、エフエム徳島スペシャルライブ、阿波の伝統工芸、徳島ラーメン博覧会等です。
その一部を写真で報告します。
ひょうたん島クルージング・・・徳島の中心部は新町川と助任(すけとう)川に囲まれた中之島状態で、その
形が瓢箪に似ているので「ひょうたん島」と呼んでおり、この島を一周するクルージングです。ちなみに料金
は「ただ」です。徳島の自慢の一つは市街地にありながら、川の水がきれいなことと、護岸がコンクリートでは
なく、徳島産の青石で築いており風情があります。
メイン会場藍場浜公園の案内板 |
阿波の伝統芸能「人形浄瑠璃」 |
陶器「大谷焼」の体験 |
阿波和紙の体験 |
ガラス工芸 |
徳島ラーメン博覧会の案内板 |
有名ラーメン長蛇の列 |
ひょうたん島クルージング |
毎年、花粉症で悩まされている会員様は多いのではないでしょうか?
そこで環境省が出している花粉観測システム(はなこさん)の資料を紹介します。
昨年より少ない予測ですが、予防は早目の手当てが肝心なようですので、資料を参考にしてください。
花粉症対策
食事
ビタミンAを多く含む食材・・・うなぎ、卵黄、緑黄色野菜、青菜類、ひじき、のりなど
ビタミンCを多く含む食材・・・いちご、キウイ、みかんなど柑橘類、緑黄色野菜、キャベツなど
ビタミンEを多く含む食材・・・アボガド、クルミなどナッツ類、ごま、胚芽米、プルーンなど
低脂肪の食事・・・・・・・・・・・魚を食べよう 特にアジ、イワシなどの青魚がよい
花粉症に良いとされる食材・・・しそ、甜茶、きのこ類
頭
花粉は髪の毛の中に入りやすいもの
帽子をかぶる、髪の毛をまとめるなどできるだけ花粉に触れないように!
目
眼鏡や花粉専用のゴーグルで、目の粘膜を守ろう!
服装
ウールではなく、繊維の中に花粉が入り込みにくい化繊の物を!
静電気防止スプレーなどを使うとさらに花粉が付きにくい
鼻・口
マスクでしっかりとガードしよう!
学研パブリシツング 佐古 文男 著 |
--- | 大変役に立った案内板 写真に納めてガイドブック代わりに |
--- |
2011年10月11日(火)(1日目) 徒歩距離17.5km(所要時間 5時間15分)
①9:35 JR土讃線・斗賀野駅を出発(徒歩)⇒②龍馬神社⇒③朽木峠(昼食)⇒(梼原街道)⇒④西谷口14:50着
西谷口からは バスで梼原(ユスハラ)まで行く 今夜の宿泊は ⑤マルシェ・ユスハラ
2011年10月12日(水)(2日目) 徒歩距離33.6km(所要時間 10時間40分)
①6:00 マルシェ・ユスハラを出発⇒②維新の門群像⇒四万十川沿い⇒③宮野々番所跡8:05着④六丁⇒
⑤茶や谷の茶堂10:30着⇒(昼食)⇒⑥韮ヶ峠14:00着⇒県境(高知県と愛媛県)⇒⑦男水自然公園15:40着
⇒⑧龍馬脱藩の宿(今夜の宿)16:40着
2011年10月13日(木)(3日目) 徒歩距離24.5km(所要時間 9時間05分)
①7:25 龍馬脱藩の宿を出発⇒②榎ヶ峠8:00着⇒③御幸の橋9:10着⇒④三杯谷の滝11:20(昼食)着⇒
⑤水ヶ峠12:50着⇒⑤龍馬宿泊の地跡14:05着⇒⑥泉ヶ峠⇒(休憩)⇒⑦福岡集会場16:30着
福岡集会場からはタクシーで⑧内子・今夜の宿泊地『かわも家』まで移動
---------------------------------------------------------------------------------------------
2011年10月14日(金)(4日目)
①朝、内子(五十崎)・『かわも家』を出発⇒②JR内子駅⇒(列車移動)⇒③JR松山駅⇒市内観光⇒④宿泊ホテル「茶玻瑠」
2011年10月15日(土)(5日目・最終日)
①早朝、道後温泉本館で入浴⇒②道後温泉・宿泊ホテル「茶玻瑠」で朝食後、解散・自由行動
地図(行程全体) |
--- | 地図(部分拡大) |
参加メンバーそれぞれ各地からJR高知駅に集合
斗賀野(とがの)~~~梼原(ゆすはら)へ 最初の難所 朽木峠越え! まずは足慣らし
地図(JR斗賀野駅~西谷)
JR斗賀野駅(無人駅)で下車 さあ いざ出発 |
- | 龍馬神社で安全祈願 . |
- | 最初の難所・朽木峠へ これ 標識です |
- | 朽木峠山頂番所跡 このあたりから早くも一人遅れ気味.. |
坂本龍馬脱藩の道・標識 私のザックは12kg超え 酒類の詰め過ぎ? |
- | 休憩所の記録帳替わりの 板に名前を記す |
- | ここから(西谷口)からは バスで国道197経由梼原へ移動 |
- | ホテルの部屋でカンパ~イ 今日の反省と翌日の入念な打合 |
梼原(土佐・高知県)~韮が峠~野村町(伊予・愛媛県)へ
道中のハイライトである標高970mの韮が峠(にらがとうげ)を越える行程34kmの正念場!
地図(梼原~韮が峠~野村町 ポイント表示箇所付近が韮が峠)
長丁場になるため早朝に 維新の門から出発 |
- | 躍動的で迫力満点の 維新の門群像 |
- | まだまだ先は長い . |
- | 茶や谷の茶堂で休憩 花が一服の清涼剤 |
やっと辿りついた脱藩の地 韮が峠 |
- | 『龍馬になれ!!』 と 書かれています |
- | 土佐から伊予へ一歩踏み出す . |
- | 土佐国と伊予国境界の標識 我々も脱藩に成功! |
この日最後の休憩は 男水自然公園でとる |
- | 11時間歩いてやっと宿に到着 その名も龍馬脱藩の宿 |
- | 宿の部屋への入口 . |
- | 風呂は薪で焚く |
レトロな五右衛門風呂で 疲れを癒す |
- | 一泊目のホテルの浴槽 この新旧差が今回の旅の魅力 |
- | 83歳と84歳の老夫婦がもてなしてくれた ご主人が入院したので宿泊が微妙だった |
- | 龍馬の脱藩の宿 看板 この付近の宿はここ1軒しかない |
/
野村町~~亀の甲~~福岡集会場~~内子・五十崎へ
いよいよ『脱藩の道』 最終行程!
*龍馬は亀の甲から小舟で小田川・肱川を下り、伊予長浜港から長州(山口県)上関へ渡った
地図(野村町~亀の子~五十崎・内子)
我々の姿が見えなくなるまで お見送りいただいた 7:25 |
- | 途中から激しい雨が降ってきた . |
- | 案内板に距離と所要時間が記載 ポイント毎に写真を呼出し役立った |
- | 三杯谷の滝の前で雨宿り ここで昼食&休憩 |
水ヶ峠・泉ヶ峠と峠が続くが ひたすら歩き続ける |
- | 午後から雨が上がり、緑の木々 アーチをくぐる龍馬ヘアースタイルの著者 |
- | 龍馬宿泊の地跡 驚異的・龍馬は梼原からここまで1日で来た |
- | 龍馬宿泊の地跡前で . |
気分はすっかり坂本龍馬 . |
- | あと一息・あと2時間!この日は 9時間の強行 雨の影響で遅れた |
- | 豪勢な料理に舌鼓・地酒も旨い またまたカンパ~イ |
- | この日 部屋で深夜2時まで談笑と討論 野宿に備えた携帯コンロとコッヘルは使わずに済んだ |
内子駅~~松山駅 一路 道後温泉をめざして!
洗濯までしてくれた親切な かわも屋の女将を囲んで |
- | 内子の町並み風景 鯖の炭火焼き |
- | JR内子駅前で . |
- | 全員無事、脱藩に成功し 道後温泉の旅館でまたまたまたカンパ~イ |
松山・道後温泉で解散&自由行動
まだ暗い中、道後温泉本館の 一番風呂に向かう 5:45 . |
- | 宿泊ホテル「茶玻瑠」の10階屋上露天風呂 朝食後・解散&自由行動 . |
- | (陰の主役?) ゴリラポッド 4人の集合写真撮影に大活躍 |
- | - | |||
日露戦争の・秋山兄弟と正岡子規が主役 | 松山城 | 松山城と蒸気機関車 |
脱藩首謀者(樋口)の感想 | 脱藩同志から寄せられた意見・要望・反省など | |
まえがきで記述の通り、構想は2年前からあったものの、 昨年(2010年)は私の再就職、膝関節痛、右足甲剥離骨折等が 重なり一時は実施も危ぶまれた。 しかし、今春4月 春日井へ出向き参加者の意思を確認してから の動きは速かった。 2日目宿泊の龍馬脱藩の宿は「老夫婦(84歳・83歳)が 切り盛りしている。 後継者もなくいつまでも営業しているとは限らない… ということも早期実現の後押しの一因となった。 2011年秋に実施することとし、精力的に情報収集、資料集め、 下見を行い、行程表の第1校は早くも5/15に策定できた。 (その後、改定を加え最終版は10/1に第4校-2として完成) その間、各方面から人的な力も借り、人の紹介もしていただいた。 また自治体の観光課に問い合わせると丁寧に対応してくれ、 活きた生情報が得られた。 遠隔地からの混成メンバー(春日井2名、奈良1名、高松1名)の ため、中間で集合してミーティングをしたかったが、未実施のまま ぶっつけ本番となった。 その分、トレーニングの様子や近況をPCメールや電話で 情報発信、情報交換を頻繁に行い、お互い刺激し合い、 モチベーションを高めて行きカバーした。 メンバーは「同じ釜の飯を食った職場仲間」ということもあるが、 基本ルール(1~4)を事前に定め共有化していたため、大きな トラブルや混乱もなくよかった。 |
.. |
龍馬脱藩の道 全行程(170 Km)は2県複数の市町村にまたがる。 行政単位になりがちなので各自治体がもっと相互連携して 一気通貫の取組みが必要 道標は随所にあるが、道の案内標識や方向指示のみで距離や 時間表示がほとんど書かれていない。そのため、目安が立て にくかった。 また、キロ表示があってもどこまでの距離か不明であったり、 地点の住所表示であったり意味を判読できない道標もあった。 これから脱藩の道を目指す人へのアドバイス 心構えも装備も山登り。 道標は比較的整備されているがそれを見落とさないこと。 また示している方向を注意深く確認のこと。 特に林道脇道は 登山道のようには整備されていない。 (今回は先頭が岐路を見落としたりしても他の誰かがそれに すぐ気付き、結局道を間違うことは一度もなかった) 危険なところはないが登山道のようには整備されていない。 3日間、他パーティーには一度も会わなかった。 (一人では不安になる) 中間地点の宿泊施設が必要 。 「 坂本龍馬脱藩の宿」がなくなれば一体どうなるだろう? ルート上、他に宿泊施設はない。 |
徳島分会 矢達 稔
今夏も待ちに待った阿波おどりが地元徳島の各地で催されました。
400年前から始まったと言われる阿波おどりは地元徳島はもとより、全国15以上の都市や地域で毎年開催
されています。各地の徳島県人会が中心となって広められ、東京高円寺の阿波おどりは50年以上の歴史が
あり、連(踊り手集団)も40以上を数えます。いずれの地域の阿波おどりも30年以上の歴史があります。
また、阿波おどりは全国的にも有名な四国の三大祭りの一つです。
因みに四国三大祭りと称せれるのは阿波おどり・高知よさこい祭り・新居浜太鼓祭りと言われています。
阿波おどりの中で、一番大きい徳島市阿波おどりは8月12日~15日まで開催され、全国から135万人観光客が訪れ、
1,000組以上の連と飛び入りを含め10万人以上の踊り手が参加しました。
徳島県の人口は78万人 県民の2倍近い観光客が4日間に訪れたことになります。
今回 その徳島市阿波おどりの写真を撮ってみましたので、一度ご覧ください。
また、まだ本場徳島市阿波おどりを観ていない皆様は 是非一度、徳島にお越しいただき、ご覧ください。
しなやかな女踊り |
勇ましい男踊り |
女性達の男踊り |
選抜男踊り手 |
選抜女性踊り手 |
地方版 |
名人の踊り |
女踊りの模範演技 |
山田 實 会員
今年で3年連続で祇園祭を見物しました。
ご承知の通り、京都の祇園祭は大阪の天神祭と東京の神田祭(山王祭)と合わせて、日本の三大祭りと有名です。
1100年前、八坂神社で疫病退散を祈願し、日本全国の国の数と同じ66個の鉾を作らせ、その崇りを沈めるために祇園御霊会を行なったのが始まりと言われています。
祇園祭は毎年7月1日から7月28日まで行なわれますが、その中でハイライトは7月17日の長刀鉾を先頭にした32基の山鉾巡業で、日本全国から見物客が大勢集まります。
山鉾がよく見える場所に行くには真夏の暑い中での体力勝負になります。
最近は体力的に限界を感じ、今年が最後の祇園祭と思い、カメラを新しく購入して(ニコン・デジカメ一眼レフ・品番D-80)写真をたくさん撮りましたので、思い切って『何でもコーナー』に投稿しました。
レポーター 大坪会員
10月の月例懇談会席上で ご本人から案内がありましたように冨永喬会員はこの程、高松市内「宮武画廊」に於いて
『冨永喬・博子と仲間たち 木彫展』を開催されました(11月6日~12日)
この展示会は ご本人と奥様が讃岐彫りに魅せられて 20数年に亘り讃岐彫りの基本を身につけながら 自らの腕を磨き 更には退職後に漆彩色も学び作品作りに励んでこられました。この集大成といいますか、一つの区切りとして自分と奥様の作品更に一部友人の作品も加え長年の夢でもありました「作品展」を開催したものです。
会場は一年半ほど前から予約し漸く確保できたという高松市内では大変知名度の高い画廊です。 そこに長年丹精込めて作られた作品がところ狭しと言わんばかりに並べられていました。
作品は「日常身近に使われるものを中心に作っています」と奥様の弁飾り盆、香合、茶托、筆入れ、書類入れ等々、専門的には、讃岐彫りの中でも象谷・後藤塗りが多く、本当に木目細かな心のこもった作品がたくさん展示され、大変根気の要る冨永さんの性格ならではの作品と感心致しました。
お聞きしますと 讃岐彫りの歴史は古く 松平藩城主の勧めで発展してきた伝統があるのだそうですが そのような讃岐彫りに魅せられて、それをご夫妻で趣味にされこのような展示会まで開催されることは大変素晴らしいことであります。
今後とも更に腕を磨きつつ作品作りに励まれることでしょう。
画廊の入り口の富永会員 |
作品の展示風景 |
作品の前で |
レポーター 大坪会員
香川10月の月例懇談会で、四国支部特別会員の鎌田会員より自宅に植えたサツマイモが収穫期を迎えたので
いもほり希望者と収穫作業者の募集がありました。
そこでお手伝いが出来るならと10名程の参加希望者が10月31日に「サツマイモ掘り体験」をさせていただきました。
当日は 好天に恵まれ 参加者は地区毎に4台の車に分乗し現地へ向かいました。
(鎌田さんは 当日雨が降ったらどうしようと 随分心配されたそうです)
鎌田会員の実家は香川県の東端 東かがわ市引田町に位置し 高松より車で約1時間の場所にあります。
鎌田さん宅に到着、挨拶もそこそこに 自宅横に ある畑に向かいました。
そこで目にした畑はとても一人で植付けしたとは思えないほどの広さです。
鎌田さんより「今日は この場所の芋を掘って欲しい。 掘った芋は私は要らないから一つ残さずすべて持ち帰って欲しい」
とのお話を戴き早速に芋ほり開始、 慣れない手つきで汗を拭きながらの作業 それでも紫色に成長した鳴門金時?が
次々と掘り起こされてゆきます。大きな芋が取れると歓声が上がり 小さいとブツブツ言いながらの楽しい芋ほりです。
男10人もおれば人力も凄いもの、おおよそ60~70坪の広い畑も 鎌、鍬、スコップ等を使い2時間ほどで芋の収穫、そして次期玉葱等の植付けにそなえて大まかな畝をつくることができました。
収穫した芋を参加者で等分に分け 夫々が大きな土産を手にし 満足気に近くのレストランで昼食反省会を実施しました。
鎌田会員にお礼を申し上げ帰路に着きました。
すがすがしい秋晴れのもと、心地よい汗を掻きながら 自然の恵みを収穫でき 大変充実した楽しい、そして感謝の一日を過ごすことが出来ました。 鎌田さん本当にありがとうございました
参加者(写真参照)
後列 = 田中 竹中 峯重 坂本 秋山 大坪
前列 = 市村 山田 太田 鎌田 西村
参加した会員の面々 |
芋掘り風景1 |
芋掘り風景2 |
【はじめに】
今年(2006年)初めて、人類が作った最初の紙と言われるパピルスを自分の手で苗の栽培から紙の製作までを体験しました。
ちょうど今年の2月にエジプト旅行でカイロ考古学博物館に行き、4000年経過しても未だに色褪せないパピルスに描かれた色彩色の絵や象形文字を見学していたので、自分の作ったパピルスを手にした時は大変感動しました。
そこで、これからパピルスを作ってみたいと思っている人ために『簡単にできるパピルス製作方法』を紹介します。
(写真はすべてクリックすると拡大、再クリックで戻ります)
【第一章 パピルスの栽培】
1)事前準備
苗(10cm以上に成長したもの) 5本程度(紙に必要な茎の本数を確保するため)
10リットル ポリバケツ(100円ショップで購入) 5個
バケツの中に入れる(7割程度)肥えた土(田圃の土がベター) 5個分
肥料 野菜菜園用肥料(8-8-8)チッソ・リン酸・カリュームの混合肥料
消石灰(土質中和用) *肥料関係はホームセンターで購入
2)栽培方法
5月初旬から中旬にかけて、バケツの中に準備した土と適度な混合肥料と一握り程度の消石灰を混ぜてから、
バケツ7割程度の分量を入れ、その中に水深3センチまで水を入れます。
次にパピルスの苗をバケツ1個に対し1本を、稲の田植えの要領で植えます。ここで注意することは根を土の中深く
入れるようにします。 浅いと倒れたり、根付かなかったりします。
水は苗の成長とともに水深を深くします。最後はバケツの縁いっぱいに水を与えます。
夏場は水の蒸発が激しいので朝夕2回与えます。また、お米の洗い汁を水の変わり都度与えます。
肥料は植付けから約1.5ケ月後に適量を与えれば必要がありません。
できる限り一日中、太陽の光が当たるところにバケツを置いてください。
植付けから2ケ月位で穂の先に小さい蕾が付くまで成長します。この時が刈取りの好機です。
順調に成長すれば高さ1.5メートル 茎の太さは一番太い所で正三角形(茎断面形状)の一辺が2.0~2.5センチ位に
なっています。
最初1本の苗からどんどん茎が増えて10本位になります。
1ヶ月後 | 2ヶ月後 |
【第二章 紙の製作】
1)事前準備
①カッター(茎の皮切断) 刃幅15mm以上ものが使い勝手が易い 300円程度
②剪定鋏(茎切断) カッターで代用可
③物差し(長さ40cm以上) 30cm用でも可
④家庭調理用薄切り(1.3mm標準)スライサー・・・京セラ製セラミックス刃 ホームセンターで980円
⑤合板(ラワンカットベニア) 定寸(910×300×12mm)を(340×300×12)*2枚と
(230×150×12)*2枚に切断(ホームセンターでカットしてもらう) 費用 カット代含め1070円
* この合板の組合せでA4サイズと葉書サイズ各1枚同時にプレスできる
* 板厚はできる限り厚い方がよい(15mm)
⑥C型クランプ(懐寸法65mm ネジ径10mm)*4個 1個493円
* 懐寸法は65mm以上が望ましい
* ネジ径は10mm以上必要(細いとクランプ力が弱くなる)
⑦さらし布 340×300を2枚 それを3組用意する・・・A4サイズ 1枚製作時
230×150を2枚 それを3組用意する・・・葉書サイズ 1枚製作時
⑧新聞紙 朝刊3日分程度 A4・葉書サイズ 各1枚製作時
⑨1辺が40mm以上の長方形トレー(容器)*2個(水を入れ、スライスしたパピルスを入れる)
*洗面器・バケツ・ボウルでも代用可能
⑩調理用まな板 茎の皮を切断・パピルスを押し伸ばす時に使用
⑪丸棒(擂り粉木・麺類を伸ばす丸棒) パピルスを押し伸ばす時に使用
左から ⑥C型クランプ ⑤合板(340x300x12) ⑤合板(230x150x12) |
左から ①カッター ③物差し ⑪丸棒 ⑩まな板 ④薄切りスライサー |
2)製作方法(A4サイズ(295×210mm) 1枚を作る場合
①蕾が付く手前まで成長したパピルスを鋏で根本から切断します。(断面は正三角形の形状)
②次に茎をA4サイズ長辺295mmと短辺210mmの各プラス20mmの長さに切断します。
<注意事項>
○ 一辺が10mm以下の茎は捨てる
○ 切断面が薄茶色ものは捨てる(良好なものは白色)・・・紙にすると茶色に変色する
○ 茎を摘んで、柔らかいものは捨てる・・・中がスポンジ状でスカスカになっている
○ 極端に曲がっているものは捨てる・・・格子状に並べ難い
必要本数は仮に茎の1辺が20mmの太さのパピルスとするとスライスを
して表面の皮を2mm切り取ると幅は16mmになる。
格子状に並べると重ね代が2mm程度必要になるため長辺用315mmの
ものは計算上では210÷14≒15枚必要になる。
茎は下図のように1本の茎から3枚スライスできると計算すると5本必要に
なる。
また短辺用のものは同様の計算では295÷14≒22枚になり、7本の茎が
必要となる。
しかし、実際には下図のようにスライス幅や茎の先端が細くなるので、
その5割増しの茎の本数とスライスが必要になります。
③次に一定寸法に切断した茎をスライサーで1.3mmにスライスします。
<注意事項>
○ 曲がっている茎は真直ぐにして、スライスする。
○ スライスした時の茎に幅が10mm以下になれば捨てる。
○ スライスしたパピルスは直ぐに水の入った容器に入れる。
④スライスされた茎の両端の皮を物差しとカッターを使って、切り落します。
皮を切り落としたパピルスは直ぐに水の入った容器に戻します。
左写真の下から ①315mmに切断した茎 ②1.3mmにスライスしたパピルス ③皮を切除した皮とパピルス ④丸棒で伸ばしたパピルス |
⑤次に皮を切除したパピルスをまな板にのせ、丸棒で柔らくなり、色が薄い飴色になる程度まで押し伸ばします。
出来上がったら、もう一度水の入った容器に入れます。
⑥今度は合板の上に8枚重ねの新聞紙を置き、その上さらし布を1枚敷いた後、柔らかくなったパピルスを縦に並べ、
次に横に並べます。この時、重ね代は2mm程度取ります。
格子状に並び終えたら、次にさらし布をのせ、8枚重ねの新聞紙・合板の順番で重ねます。
(左横写真) ⑦均一にプレスができるよう、C型クランプ 4個でバランスよくクランプします。 (左下写真は2個のクランプを使用) ⑧30分間に3回さらし布と新聞紙を交換します。 その後は2日間位、完全に乾くまで クランプすると完成します。 (右下写真) |
|
【あとがき】
今回、始めてのチャレンジでしたが、数々の失敗をして工夫(ノウハウ)と課題が生まれました。
最後にその事例を紹介します。
1) パピルスを紙にした時、茶色に変色するのを防ぐのには
正常な色は白に近い薄茶色をしている(漂白していない再生紙に近い色)
① 茎を切ったとき断面が変色している茎は使わない。
土に近い所は変色している場合がある⇒少しずつ切って、白くなった所から使う。
② スライス後、水(水道)に長い間漬けておくと、変色する。
原因 水道に含まれる塩素に化学変化していると考えている。
裏付け検証していないが、塩素系漂白剤に漬けると直ぐに茶色に変色した。
対策 茎を定寸に切断後は極力短時間でプレスできるまで作業をする。
実証していないが、淡水魚を飼育するときの中和剤を水道水に入れる。
③ プレスしたとき、30分間はこまめに水を含んだ新聞紙とさらし布を取替える。
水分がほぼ取り除かれてから、プレス保持をする。
④ 栽培する時 鉄分の含んだ土は使用しない。 最近、鉄分を含んだ肥料を田畑の土に撒く場合がある。
2) プレス前にパピルスを格子状に並べるときの重ね代を2mmにした理由
重ね代は1mm程度が理想であるが1mmでは目測で重ね合せるため、ずれて隙間ができる可能性があるので
2mm程度にした。
3) 茎切断の一番良い時期は花の蕾が付く前・・時期が遅れると茎内がスポンジ状になる。
まだ早い |
切り頃 |
蕾が付いている頃 |
花が散った後 |
4)プレスが不十分でそのまま乾燥するとパピルスが接着できないのでバラバラになり、紙にならない。
また、プレスが不十分な箇所があるとその箇所だけ未接着になる。
対策
○挟み付ける板は堅く反らない材料を使う
今回は12mmのラワン合板を使用したが、簡易プレスのため合板の剛性不足によって端の部分のプレスが
不十分だったので15mm以上を推奨する。
○簡易プレス用クランプは4箇所でクランプする。
今回は2箇所クランプしたが、A4サイズでは面積が広く、均一なプレスが不十分だった。
○合板を4枚(2枚は葉書用でも代用可能)使い、プレス圧力を均一にする。
5)クランプが十分でパピルスが接着出来ていても、十分乾燥が出来ていない状態でアンクランプをすると乾燥したとき、
パピルス(紙状)がスルメのように曲がる。
対策 48時間程度完全に乾燥するまでクランプを保持し、完成後は本などに挟んで保管する。
写真左 スルメ状になったパピルス 写真右 プレス不足でばらけたパピルス |
6)次のチャレンジ
今回はいただいた苗の栽培から始めましたが、今度は今ある『かぶ』を越冬させて、来春は『かぶ』から栽培したい
と思います。
記載日 2006年9月11日
三宮久幸会員が主宰する「サンテク」が画期的免震技術を考案されこの度 特許申請されました。日本経済新聞4月8日号にその記事が掲載されました。
多角巻きバネ横揺れ吸収 建物からパソコンまで
機械設計を手掛けるサンテクノ(香川県多度津町、三宮久幸社長)は三角形など多角形の形状に巻いたバネを利用してボルトをセメントや金属などに固定する技術を開発した。ボルトとパイプの間に巻きバネを仕込み、すき間を設けたのが特徴。バネが横揺れのエネルギーを約30%吸収するため、建築物や機械の免震に役立つ。今秋をメドに商品化する。
バネの巻き方は三角形と六角形のものを試作した。ボルトを囲むように多角形のバネを装着。バネに接して外側にパイプを固定した。ボルトの側面とパイプの内側に刻んだ、らせん状の溝にバネをかませて固定する。二月に免震装置として特許を出願した。建築物の免震の場合、建築物にパイプ、基礎にボルトを固定する。揺れが加わるとバネが変形して力を吸収する。建築物だけでなく、航空機や鉄道施設、ノートパソコンなど電気機器にも応用が利く。この仕組みを外側に二重、三重に使って更に免震能力を高めることもできる。
価格は単純なボルトとナットの1.3倍程度に抑える予定。ボルトの直径は三㍉㍍から対応し精密機器の組み立てなどにも使えるようにする。振動吸収により、機械の騒音を抑える効果もある。発注者のボルトの寸法に合わせてバネを設計するといった受注生産を想定している。生産自体は外部に委託する方針だ。
従来はボルトを固定するためワッシャーをかませたりピンを打ち込んだりしていたが、費用がかかるうえ、完全に緩みや脱落を防ぐのは難しかったという。ステンレス製のため、免震ゴムのように劣化する恐れもない。
サンテクノは松下電器産業出身の三宮社長が二〇〇三年七月に設立した。〇四年から四国経済産業局の助成を受け、同研究を進めていた。
(情報提供 平成17年4月10日 三宮会員)
平成16年9月21日 香川 竹中会員投稿
小池百合子環境大臣の作品ほか |
展示会場前で筆者と共に |
北風兄弟のうち3人が共通の趣味を持ち、互いに陶芸の道を極めている。 平成16年9月19・20日 第10回作陶展を高松で開催された。会場を訪問すると、特別出展者として小池百合子環境大臣の作品が出展されており、「風」をテーマにした見事な陶器が展示されていた。三兄弟の作品は自由な発想で作陶されており、それを使う人がどのようなステージで使っても作品が生き生きとしてくるような出来栄えでした。ユニークな作品では、陶器の照明器具で柔らかな明かりを演出し、また置物としても楽しませてくれ、心を和ませる一品でした。来場者は、毎回来場されて作品の鑑賞に加え、お気に入りの作品を買い求めている人が後を立たないほどの盛況振りでした。趣味に熱中することは、すばらしいものだと感激しました。(写真をクリックすると拡大、再クリックで縮小します)
平成15年4月2日 香川 酒井保則会員投稿
ジョギングを始めて今年で18年目に入り、3月9日に初めて『京都シティハーフマラソン』に出場しました。
昨年1月末に退社し、月間300Kmの走り込みを目標にして2年間4100Km余りを走った結果が今年になって効果が表れているようで、後半粘れるようになってまいりました。
2月には2日に『丸亀ハーフマラソン(21K)』、9日に『天狗マラソン(15K)』、16日に『愛媛マラソン(42K)と3週連続大会に出場し、記録もベストに近い状態でありました。
当日は早朝から雪が降り、最高気温5度と少し寒い天候でした。10回記念大会で9千人近い人が出場し、制限時間の2時間以内には5361人が完走し、私は901位でした。
今回は地理的なものもあり、15Kから20Kの5キロを20分40秒で走り、前半よりも後半が少し速く、1時間29分41秒で完走しました。男子の優勝はフルマラソン世界最高記録を持つ「ハヌーチ選手(米国)」で、女子の部には資生堂の弘山選手も出場しておりました。今後も月間300Kmを走り込み目標に故障に気をつけて走り続けたいと思います。
酒井保則 |
公式記録証 |
記録証明証 |
平成15年3月1日 香川 竹中会員投稿
四国の玄関の生い立ち
香川県の件都高松は、四国の玄関として、明治43年に宇高連絡船が就航して依頼四国の政治・経済・文化の中心都市としての地位を築いてきましたが、昭和63年瀬戸大橋の開通を機に長年親しまれてきた
宇高連絡船は廃止となりました。船上で食べた『讃岐うどん』の味など懐かしい思い出が蘇ります。
宇高連絡船廃止以降旧国鉄用地跡地を核に、新都市整備事業が開始され21世紀の城「新玉藻城」作りがスタートしました。新都市づくりは天正16年(1588年)に藩主生駒親正が日本3大水城の一つといわれる高松玉藻城と隣接した高松駅を中心に高松港頭地区を再開発し、国際化に対応した新しい核づくりと、瀬戸内海の景観と玉藻城址を生かした『シンボルゾーン』が着実に整備されています。
新都市拠点の概要
シンボルタワーは文化・コンベンション機能・情報発信交流機能・商業機能など地上30階の高層ビルです。
周囲には新JR高松駅、大型客船が接岸できる港湾施設に加え、国合同庁舎・本格的なシティホテル・
周辺には瀬戸内海の多島美を満喫できるシーフロントプロムナード等都市文化の創造拠点がテーマです。あたかも今「讃岐うどん」が全国的にブームとなり、四国の新観光名所に加え、食文化も注目されています。
是非もう一度讃岐に「おいでまーせ」。(お越しください)
整備が進むシンボルゾーン 写真提供サンポート推進室 |
|
昭和61年頃の港頭地区 |
平成15年1月のサンポート界隈 |
旧高松駅 |
現在の高松駅 |
初代高松駅 |
四国各地区の情報(旅行記・趣味・楽しい出来事 等)の投稿をお願いします。
送り先=HP担当 樋笠