tour de SILKROAD
2006年  2012年 
テヘラン(イラン)  ローマ(イタリア) 

自転車旅行の紹介  後編

シルクロードツーリング17次 2009
    イスタンブール⇒ニッシュ(セルビア) 
2009年7月29日(水)⇒2009年8月12日(水)
  走行は7/31から8/9までの9日間 走行距離800km

 本来、今年は昨年の終着点のカッパドキアからのスタートのはずですが、2002年9月11日のテロ後の中央アジアの不安定要因を避けて、この年(2002年)に、トルコのカッパドキア⇒イスタンブールのルートを走ったため、今年はその部分を飛ばして、トルコのイスタンブール⇒セルビアのニッシュまでのルートを走りました。
 今年は、いよいよアジアからヨーロッパに入り、トルコ、ブルガリア、セルビアの3カ国を走りました。トルコから西は、バルカン半島に位置する国で、どこでも地平線が見えるぐらい土地がフラットで、隊列の写真を撮る際、今までは少し高いところに登り、撮影していましたが、ブルガリアに入ってからは、それが全くと言っていいほど無く、撮影ポイントを探すのに非常に苦労しました。
 今年は、ヨーロッパに入ると言うこともあって35名大所帯で走ることになりました。
 スタートがイスタンブールのアヤソフィアの前からとなり市街地をしばらく走りましたが、車が多く、且つ走る車がクラクションを鳴らしてくれるので、驚いたり、嬉しかったりと田舎道を走るときとは別の緊張感があります。
 







イスタンブールの市街を車と一緒に走行
 今年は今までよりも標高の低いところを走ることもあって少しでも暑さを避けるため、朝4時起床、5時20分にはスタート。それでも気温は22度を越えている。今日も暑さが心配。
 走行時の隊列は先頭にパトカー、伴走車、白バイ、35名の自転車隊、軍の車、サポートバスと
トラックが連なっています。この隊列で街中は、VIP扱いで、信号は無視でGO、信号の無いところは警官が立って車を止めて我々を優先で通してくれました。こんなことは初めての経験でした。






 
  先導してくれた
  白バイ警官
 
 
 最初にも書きましたが、バルカン半島の東側は
トラキア平原といいます。
 ちょっとしたコブもなく、隊列の写真を撮るところを
探すのに苦労しました。 

見える限りヒマワリ畑で、そのフラットさに驚くとともに、ヒマワリ畑の広大さにもびっくり
 フラットで走りやすかったのですが、周りは畑だけで、高い木々もありません。11時近くになると、気温は30度を越え、暑くてたまらず、休憩にはサポートバスのちょっとした陰で休むことも度々ありました。
 

 
   
 
 今回は、2回目の国境の通過を経験しました。トルコを出国しブルガリアへの入国です。
 今回は、イラン−トルコ間の通過のときのような事は無く、荷物はバスやトラックに載せたままで、我々は自転車に乗った状態で、通過することができました。
 




   

 左 トルコからブルガリア
    への入国に向かって
    走行

 右 ブルガリアに入った直後
 

 ブルガリアへ入国後も日中の暑さを少しでも避けるため、朝5時には集合し、出発前の体操は
 


ヘッドランプを点けて行いました。

 早朝のスタートにより、太陽が地平線から頭を出すのを見ながらの走行も度々ありました。 


 
 ブルガリアでも警察のお世話になりました。交通整理は写真のポケットのある小さな札を出してやります。
(丸い札はStopと反対側がGo)
 又、今年は旅行社がブルガリア旅行社に変わり、社長のロボさんも自転車が好きらしく我々と共に走られ、ずっと、最後の走行者まで守っていただきました。 
 
旅行社のロボ社長
 

 今年もかなりの区間でVIP並みの扱いを受けました。又道が狭いことや安全のため、警察の指導もあって、私たちが走っている時、車が隊列を追い抜くことが出来ません。それである距離ごとに道を空けるのですが、その間車の大渋滞が起こっています。
 100台ほど渋滞したこともありました。
 ご協力ありがとうございましたと言うほかありません。
 
我々のために渋滞になった車列
 
      
 ブルガリアは緑が多く、沿道の両側には木々が植わっており、乾燥地帯が終わったことがわかりました。その昔のキャラバンもほっとしたのではないでしょうか。 又道路わきには食べられる実がなる木々が植えられており、休憩時、最初はわからず恐る恐る食べていましたが、食べても問題が無いことがわかってからはずいぶん助かりました。
  
  
  スモモに似た、ちょっと酸っぱ味のある実で、結構おいしかった。 

 私たちの旅行は、特に観光日が設定されているわけではありません。
 ツールドに入る前に、自転車を組み立て後の空き時間の半日ほど、それと中日の休息日の一日、
最後目的地に到着後の一日が観光に行ける日です。
 今年はスタートがイスタンブールと言うこともあって、イスタンブール二回目です。
 大分慣れましたので、ツールド前は仲間を誘って、ボスポラス海峡に通じるマルマラ海のクルーズや、アジア側の鉄道の終着駅などに行きました。
 







マルマラ海のクルーズは黒海に行くことはできませんが、海峡にかかる橋の近くまで行くことができます。  
写真は小さくしているのでわかりませんが遠くに海峡の橋が見えます。
 
アジア側の鉄道の終着駅
 
     
ヨーグルトの作り方の実演
 今回のツーリングでは有名な観光地へ行くことはありませんでしたが、民族衣装を着た地元のおばあさんたちの糸繰り歌を聞かせていただいたり、その後、糸の繰り方を教えてもらったり、最後には一緒にダンスも楽しみました。
 また、家庭でのヨーグルトの作り方も実演を交えて教えていただきました。 
 地方の地元だからできた交流でした。
 
    
 各国には日本語学校があるようです。そこを訪れて、交流をしました。
 持参した日本の本を渡したり、歌の披露もしました。
 一時の交流ですが、この会でしかできないことです。
  

 ブルガリアに行ったら楽しみにしていたことがありました。それはどんなヨーグルトが出てくるかということです。日本では、メーカーのコマーシャルのせいかもしれませんが、ヨーグルトと言えばブルガリアと私は思っておりました。しかし期待は裏切られました。
 食事時にヨーグルトが出てくることは無く、又、街でもほとんど見かけませんでした。
 聞いてみると、ヨーグルトは各家庭で独自の味付けで作っているもので、お客さんに出すようなものではないとのことでした。
 思えば、ヨーグルトはイランでは毎回出てきました。酸っぱかったので砂糖や蜂蜜を入れて食べてました。
 下の写真はいろんなレストランの雰囲気と、出てきたメインディッシュ。 詳しくは忘れました。
 











 
日よけも兼ねて
いるブドウ棚
   
       
 
シルクロードツーリング18次 2010
    ニッシュ(セルビア)⇒ウイーン(オーストリア) 
2010年7月27日(火)⇒2010年8月13日(金)
  走行は7/30から8/10までの12日間 走行距離970km
 
 今年のツールドはバルカン半島の国5カ国を通ってオーストリアのウイーンまでの970kmの走行で、後半はドナウ河沿いを伴走なしで走りました。
 まずトルコのイスタンブールに入り1泊。あくる日、飛行機でブルガリアのソフィアへ、そこからバスでセルビアのニッシュへ入り1泊。あくる日、自転車の準備をして、午後、近くのニッシュ城の観光後、翌日のツーリングに備える。
 今年の走行開始は7/30。セルビアの首都ニッシュの花の公園からスタート。中心地の東方を大回りし、ニッシュ城を見ながら高速を避けて旧道を走る。紆余曲折した道だが景色はよい。今年も警察の先導を受けているが、初めて婦人警官も同行していた。
  








ニッシュの町中の走行
並木の木々が美しい町中の道路
 
  
 
先行して我々のために
車を止めてくれている

 さすが街中は信号どおりに走行したが、中心地を外れると、警察先導のおかげで、信号無視のVIP走行となった。走行の途中、一人が隊列を見失い、道を間違うと言うハプニングがあった。それに手間取ったこともあって、昼間の30℃を越える気温の中、昼食抜きで、15時までの走行となって、かなりこたえました。
 又、ある日は雨の中のスタートとなり、何時もと打って変わって寒い。郊外の走行途中果樹園の





 傍で休憩をしていると、果樹園で
 ちょうど収穫中の家族から、採れ
 たての桃の差し入れを戴いた。
 ことのほか美味であった。
 
 この後ドナウ河が見えるところに
 出ましたが、広く、水面が道路に
 近いのにはびっくりです。
 又、途中で、一人でヨーロッパから
 走って来たという60過ぎの男性
 サイクリスト夏目さんに会いまし
 た。

 

  
 セルビアの首都ベオグラード市内を
 ホテルに向け、バスで移動中、半分
 壊れたビルを見かけました。
 これはNATO国連軍の爆撃を受けたビ
 ルで、その象徴として保存している
 そうです。別のところでは橋も爆撃
 を受けて消失、新しく架け替えず、
 そのままにしてあるところもありま
 した。 心の痛む保存物でした。
  
 
 
 
 
     
しばらくは車の少ない、農道を走るが、とにかく畑のスケールが桁違いに大きい。1辺が5km程ある。
真ん中の写真は農作業中の人達が手を振ってくれたところ。
右端は地平線の向こうまで牧草の畑で、刈り取って2mほどの円筒に纏めて転がされている。

  今回は4カ国をまたいでツーリングします。
 2カ国目セルビアからハンガリーに入りました。
 国境通過は緊張しますが、イランートルコ間のようなことは無く、緩衝地帯も無く、パスポートの簡単なチェックだけで通過できました。
 
 ハンガリーに入ると写真のような道路標識がありました。絵表示で非常にわかりやすい。
 縦が車の種類。
  横が道路の種類
   高速道路、一般道路、
   郊外、街中
 













 ハンガリーに入ってからドナウ河の土手の自転車専用道路を走りました。この道路は徒歩と自転車専用ですので車は走ることが出来ず、もちろんパトカー、伴走車も走ることは出来ません。
 従ってこの道路を走っている間は数キロごとのポイントでしかサポートカーとは接触できず、我々だけでの走行となりました。     
ドナウ河の右岸、ハンガリー側を1列縦隊で走行
 
 その代わり、写真左端の地元の女性ツーリストとロボ社長が先導をしてくれました。














 河そのものは木々に隠れて見えませんが、対岸はスロバキアが河を挟んで向こう側に対峙しています。 
 昨年(2009年)共に走っていた会員が癌に侵され亡くなりました。 故人の遺志であった『遺骨をドナウ河畔に散骨』し、故人を偲びました。
 




 ドナウ河ではそれ以外にもいろんなことがありました。
 一つ。ドナウ河で水泳を楽しみました。  
 川岸には、ボックスタイプの脱衣場もあり女性も水に入りました。
 これまで、イランでは、カスピ海で、トルコでは、黒海、チグリスユーフラテス川で、泳いできました。
 ここハンガリーではドナウ河で水泳をしました。
 又、ドナウ河沿いで、ヌーディスト村があり、男性も女性も完全なヌードでいるのを見かけました。ほんとにあるんだと認識。 

 








  又、この年は川が増水していました。普段なら、支流の川は水が無く、そこを渡るのですが、今年はなぜか水量が多く、その道路が冠水していました。最初は道に迷ったのかなと思いましたが、冠水で道路がなくなっていたのです。仕方が無いので、各自それぞれの格好で水の中を渡りました。
 この時、この増水で困っていたスイス人親子のリヤカー付自転車を4人で担いで、渡河をし、感謝をされました。
 この後スロバキアに入りましたが、国境の表示がアーチ橋の上に掲げてあるだけで、国内の橋とまったく変わらず通過。少し味気無い。
 
 
 セルビアでスカルタワー(骸骨の塔)を見に行きました。 この塔は、セルビア兵が絶大最強であったオスマントルコに対抗して、自爆テロで多数のトルコ兵を殺害しました。

 そのためトルコのバシャ(王)はセルビア兵を皆殺しにし、頭の皮をはいで頭蓋骨の塔を造りました。
 こんなのもあるんだと改めて感心しました。

骸骨の塔が収納
されている建物 

骸骨の塔 

 又、ハンガリーの市庁舎を見学した。庁舎の壁に仮面を被った人と馬上の人が戦っている様子が描かれた大きな絨毯がかかっていた。
 これはハンガリー兵がトルコとの戦いで仮面を被ってトルコ兵を怖がらせた様子を描いたもの。
      
 



 その後夕方に少しはなれたレストランに食事に行きました。近くまでバスが入らず、徒歩で夕暮れの垣根のあるところを歩いていると、突然写真のようなものがカタカタと大きな音をさせながら垣根の隙間から現れました。
 レストランの歓迎とわかりましたが驚いたこと、驚いたこと。 
 レストランでは、民族衣装を着た主人の暖かいもてなしで楽しい夕食を楽しみました。
 ツアーでは体験することができ出来ないものです。
 


 右の写真はモハチの戦いの門ですが、門の格子は14,000個の部材で出来ているそうです。その数はここで発見された人の数だそうです。
 ここはかつてハンガリーとトルコが戦った戦場の跡です。そこが遺跡として保存されているところです。 
 
 
  スロバキアのブラスチラバの街の散策で、左のような彫刻を見かけました。
マンホールから顔を出しているのは、パルチザンゲリラがマンホールから出てきたところの彫刻だそうです。

ヨーロッパは陸続きで国境を接し、そのため、いろんな国間で戦いが繰り返され、その遺跡が多い。
 この後オーストリアのウイーンに到着し、今年のツーリングを終えました。
 あまり時間が無かったため、街の散策で主だったところの外観だけを見て廻るのみで終わってしまいました。

シェーンブルン宮殿

モーツァルト像






シルクロードツーリング19次、20次
   2012ウイーン(オーストリア)⇒ローマ(イタリア) 1440km
2012年7月13日(金)⇒2010年8月10日(金)
   走行は前半 7/15〜7/25までの10日間走行距離840km
       後半 7/29〜8/7までの9日間走行距離600km
 
 本来は、2011年のはずなのですが、2011年は東日本大震災があり、この年のツーリングを実施するかどうかで議論がありました。実施する、しないで激論の結果、最終的には実施することになったのですが、私は行きませんでした。
 それで、2012年の20次のツーリングに先立って、2011年の19次の走行ルートと同じところを走りました。






《前半 ウイーン(オーストリア)からヴェネチァ(イタリア)  2011年度19次分》
 前半は、2011年の19次と同じルートを走りましたが、ツアーとしてはプライベートなツーリングです。従って、「地球と話す会」の会員4名とそれ以外の3名の7名で走りました。旅行社は昨年の旅行社と同じで、且つブルガリアに入ってから同じ旅行社ですので、顔見知りであり、少人数の家族的なツーリングとなりました。 



   ツーリングは左の写真のメンバー+自転車が積める1Boxカーの運転手1名の11名でヴェネチァまで走りました。 
 ツーリングはまず、一昨年の終着点のプラーター公園からです。この公園は映画第三の男でも知られる大観覧車が目印です。
 ウイーンは緑が多くしばらくは、両側が木々で覆われたルートを走りました。
 この日は朝から天候がいまいちで途中から合羽を着ての走行となりました。
 
 この日はまず隣国のハンガリーに入りました。ハンガリーへの入国は国境を示すゲートがあるだけで、監視所も無くもちろんパスポートチェックも何もありません。このゲート状のものが無ければ、国内の道路と一緒です。
 これからもユーロ圏では国境は一応ありますが、その痕跡があるだけで何も無く、せっかく通過したのに、その証明が無いやんと思ったほどです。
 この日は国境が入り組んでいるため、ハンガリーから又、
オーストリアに入り再度ハンガリーに入ったりしました。昔だったらめんどくさくて仕方が無かったと思いますが、今は全く国内の道路を走っているのと同じです。
  
この写真は麦畑です。道路の反対側から180度カメラを振るとこのような写真が取れます。
    ハンガリーはこの写真を見れば農業国だということがよくわかります。
    平野と言うのはこういうところをいうのでしょうね。

この後、スロベニア、を通り、クロアチアに入りました。クロアチアも作っている作物は違いますが、全く同じようなフラットで、地平線の見える畑が続きます。

走行は車を避けて、農道を走ることが多いのですが、時々通る街の家のテラスを見ると写真のような、見ていても飽きない家を多数見かけます。






 前半の走行では、ハンガリー、スロベニア、クロアチアの国々を通りました。
どこを見渡しても絵はがきの景色の中を走っているといっても過言ではないところをしばらく走りました。
 
こんなところは車で通り過ぎるのはもったいない限りです。  
 観光ツアーでは得られない手付かずの景色を楽しみました。  
 又、この地方は、街々にはもちろん立派な教会がありましたが、田舎のちょっとした道路際にも、小さな社が立てられており、その中にマリア様が祀られていました。
 


信じる神様は違いますが、農業をする中で自然に出てくる信仰の思いはどこの国でも変わらないものだと改めておもいました。
 
 自転車道については一昨年ドナウ河の土手を走りましたが、セルビアに入っていらい、どこも自転車道が整備されており、ある国では自転車道が複線のところもありました。


イタリアには、スロベニアから入りましたが、スタート時点の高さは700mそこから海抜0mまでのダウンヒル。 下がっていくと突然前方開け、海が見えてきます。久しぶりに見る真っ青な海。自転車を止め見とれました。
 前半のツーリングで2011年に行ったグループと違うところが一つだけあります。
 それは前半のゴールであるヴェネチァまで自転車で行ったことです。
 19次のグループは自転車ではヴェネチァまでは行かず、一つ手前のメストレがゴールでした。今回は、ラグーナの干潟に懸かる8kmの橋を自転車で渡り、ヴェネチァの中心まで行きました。 
 
 前半のスタートは、オーストリアのウイーンでした。一昨年はゴールで訪れていますが、あまり時間が無く、外観しか見られませんでしたが、今回は少し時間があったので、シェーンブルク城の内部を見て廻りました。残念ながら内部は撮影禁止のため写真はありません。
何点かガイドに載らないウィーンの写真を載せます。
 






モーツァルトの格好の呼び込み屋

 

何と言う乗り物でしょうか?
電動で動いていました
前半部分最大の観光で、世界の3大洞窟の一つといわれるポストイナーの鍾乳洞を見に行きました。
 

 

 
 
 
 
 
 
 この洞窟は、スロベニアにあり、多くの観光客が来ていました。洞窟に入るには、上段中央の写真のようなトロッコに乗って、洞窟に入ってゆきます。今にも頭が当たりそうな洞窟を結構なスピードで奥へ入って行きます。進むに従って、鍾乳洞が見えてきます。そのスケールのすごさは、言葉では言い表せません。
 トロッコの終点に行きますと、話す言語ごとのグループに分けられ、説明員がつきます。私たちはその他で英語で説明がありました。説明はほとんどわかりませんでしたが、見るだけでも十分すごさが伝わってきます。
 写真を載せるとキリがありません。
 
 走行のところでも記載しましたが、本隊が来るまでの3日間ヴェネチァで逗留しましたので、
そのうち2日間はヴェネチァ観光に出かけました。  







≪後半 20次 ヴェネチァ(イタリア)〜ローマ(イタリア)  2012年度分》
   2012年7月28日(土)⇒8月10日(金)
      後半7/29〜8/7まで9日間走行距離600km
 後半は、本来の20次の部分で、ヴェネチァ、実際は一つ手前のメストレから目標のローマまでの走行です。
 私は既にヴェネチァに入っておりましたので、そのまま逗留し、本来の20次隊と合流しました。前半もそうでしたが、今年は、警察の先導などは一切無く、我々だけの走行です。サポートは、先導は添乗員の乗る旅行社のバン、自転車を載せる貨物用の貨車を引っ張っている大型バス、現地のバイク2台のみという従来から比べると少ないサポート体制でのツーリングでした。これで38名もの大所帯で大都会を走れるか心配でした。
 それで、38名を4班に分け、走行順を決め、班以外の追い抜きはだめというルールで走りました。又、信号などで停止したときは、出来るだけつめて、1回の信号で通過できるようにするとかして何とかしのぎました。走行を管理する走行班の方たちは、気苦労が耐えなかったと思います。但し、私は写真担当でしたが、写真班員は例外で、自由に動き回れました。
 
 又、今年はシルクロードを走り出してから20年目の年ですが、その間に4人の同士が亡くなっておられます。その内2名の方は、私も一緒に何度か走らせていただきました。それで4名の方の写真を小さな一枚の写真に纏め、全員がそれを持って走りました。

















 イタリアに入っても交通の邪魔にならないよう郊外を走りました。道は2車線で、ほとんどは1列縦隊で走りました。右の写真は最後尾ではなかったと思いますが、後方から撮った写真です。100mほどの長さになります。  
 イタリアに入って一番驚いたのは歩道が完全に駐車場と化していることです。 又、下の写真はビニールがかぶせられた畑ですが、私は中学校で習ったときイタリアは縦に長く、山も多く日本によく似ていると習ったような気がしますが、それはうそではないかという印象を持ちました。
  
イタリアでは、写真のような広大なフラットな畑を多数見かけました。耕地面積はイタリアの方がずっと大きいのではないかと走ってみての感想です。
又、右の写真ではおじいさんが小さなリヤカーに子供2人を乗せて買い物でも行くのでしょうか、日本では見かけない光景に出会いました。 
 是も自転車道が整備されているから可能なのでしょうね。
 ヴェネチァからローマへ行くには、イタリアの中央を走るアペニン山脈を超える必要があります。
 ヴェネチァからボローニャを通り、そのアペニン山脈の今回の最高地点のラチコサ峠(968m)を越え、フィレンツェへ入ります。ボローニャがほぼ0mですから、この日は終日、登りオンリーでした。
 
登ったと思ったら、又、坂。最高の景色と、登り切った
ときのダウンヒルを楽しみに登ります。
疲れを吹っ飛ばしてくれる景色
 
 自転車で坂を登るのはなかなかつらい。いつも、もう少しもう少し頑張れと自分に言い聞かせながら登ります。救いは登るに従って周囲が開け、すばらしい景色に会える事です。是が無いと、自転車なんかで走っていられません。

坂の途中、陰を求めて休憩

 次の日はこの逆で、終日ダウンヒルの快適なツーリングで、車間距離を十分あけて、快適に下ります。とても写真を撮ってる余裕はありません。ハンドルをしっかり持って45kmはくだらないスピードで一気に下ります。
 フィレンツェで一日休養日、リフレッシュをしてローマを目指します。しかしなかなか簡単には行かせてくれません。フィレンツェからはアペニン山脈の西側を山の裾野を走るため、毎日登り下りを繰り返します。
 それと、緯度が低くなったせいか朝6時過ぎでも20度を超える気温があり、 暑くなってきました。又、ローマ時代の街道であるカッシュア街道では、なぜか上のほうにしか枝が無い、独特の松並木を見かけました。ローマ人が見た木々と同じ格好なんでしょうか。
 そんな中、火山の噴火口に出来た湖、ラゴブラッチャーノ湖でしばしの休憩。海水浴を楽しみました。







ローマの手前、カンパニアャデローマの近くで、ちょっぐらいの坂ではめったに歩かないメンバーですが、5kmで400mの急坂があり、遂に歩いて押すこともありました。しかしローマの標識を見かけるようになると、もう少し、声を掛け合いながら頑張りました。

走る途中で遺跡を多数見かけました
 ローマに近づくに従って、遺跡がいたるところにあり、歴史と共に暮らしていることが見受けられます。
 そんな苦労?を繰り返しながら、遂に8月8日ローマ市内の小国、バチカン市国にたどり着きました。ここでは、「地球と話す会」のツールド以外のメンバー、「歩くど」「ライフド」のメンバー、それと、出迎え隊の人達も集結し、20年のシルクロード完走を祝いました。







歩いてバチカン広場に入る

バチカン市国 ゴールのサンピエトロ広場に到着
西安から20年、14,200kmを走り終えました   

東大寺、北河原別当から教皇様に親書を届ける。
その内容の披露

全員で達成を祝う

ホテルでの祝賀会

20次のツーリングは下記の10人のサポーターのおかげで、無事完了することが出来ました。
ありがとうございました。


 
ロボ社長 ターニャ カロヤン ミトコ 斎川
【ブルガリア旅行社】 【通訳】 【添乗員】
     
イヴァン サワ ストラコフ ダリオ ルーカ
【バス・ドライバー】 【Dr】 【オートバイ・ドライバー】
 イタリアに入り、観光に行けたのは、20次隊が来るまでの2日間、中間の休養日、走行後の1日がありました。その他に、今回は、走行日数の割には距離が短く、1日の走行距離が短い日があり、今までで、一番余裕のある走行だったと思います。
 走行2日目にボローニャ市を表敬訪問しました。この日は朝6時に出発していたので12時にホテル到着、昼食後走行時の服装のまま、市庁舎を訪問。副市長及びNIPPONICA代表、事務局の女性のサポー
トで、よいムードでパーティーが進行できました。
 その後市役所付属の美術館を開放して頂き、絵画、彫刻を鑑賞しました。
 又、街中の英雄の銅像の台座には女性の大胆なポーズの彫刻もありました。 

NIPPONICA代表、
中島さん、副市長

訪問時の様子

美術館で鑑賞

銅像の台座、女性の彫刻
美術品の一部
 休養日の日には、ピサの斜塔を見に行きました。
 ピサの斜塔は世界史には必ず出てくる建築物で、ローマに来ているのに見に行かないのはもったいないということで、バスで3時間ほどの距離にあるピサの斜塔を見に行き、みんなが撮っている写真を撮ってきました。

ピサの斜塔を支える
 
 
  上:コロッセオ 建設当時
謁見場入り口の衛兵
 
謁見場のベネディクト16世
 
  下:コロッセオ 現在
 
 ローマを代表する遺跡、凱旋門とコロッセオ。
他にも遺跡が多く、観光には事欠かない。
 一応、主だったところは外観だけでも見たが、ゆっくりと観光をしたいものです。

真実の口

凱旋門

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2013年 6-7月
    大津市
  
  宮嶋孝二