シルクロードツーリング14次 2006 イランのテヘランからタブリーズまで
2006年7月31日(月)⇒2006年8月14日(月)
走行は8/2から8/9までの7日間 走行距離680km
海外ツーリングに申し込んだものの、海外のツーリングはもちろん初めてで、どのような自転車だったら行けるるのか、どのような装備が必要なのか、服装は等・・・わからないことばかりで事務局の方に疑問点をリストアップし、教えていただきました。
この会は、東京に拠点があり、会員も、関東地方の方がほとんどです。従って、シルクロードのツーリングで、いきなりではまずいということもあって、これも毎年実施されている、ツーリングの訓練もかねて行われる一泊二日の合宿に参加しました。この合宿で、団体で走行するときの基本的なことを教えていただきました。又、この合宿で、私を会に紹介していただいた方とも会うことができました。お話をしたときに、職場は同じ事業部で、営業を担当されている方とは聞いていたのですが、私は技術畑で、当時は営業の方とは接触が少なかったので、同じ事業部とはいえ全く初めて会う方でした。
この年は、私にとって海外ツーリングはもちろん初めてですが、成田まで夜行バスで行きました。成田空港も、夜行バスも初めてで、万事初めてづくめの旅行でした。
2006年は会としては14回目のツーリングで、イランの首都であるテヘランからタブリーズまで680km の走行でした。実際の走行は前半が4日間、中一日の休養日を挟んで、後半は3日間でした。一日の走行距離は最高が120
km、最低は最終日の59 km、平均96km/日の走行になります。
初回の感想は、期待はずれのツーリングでした。シルクロードのツーリングというから古くからの道路をオアシスの拠点をたどっていくものと期待していたのですが、実際は、高速道路の走行が大半で、私が想像していたシルクロードの走行とは大きく違っていました。 しかし、日本では絶対経験できない高速道路をパトカーで前後を守られての走行などを経験しました。 |
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3車線の高速道路の端を走行
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パトカーの護衛の下で走行
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ツーリングは期待はずれでしたが、地平線を見ながら、行けども行けども同じ景色が続く大陸の走行は日本では絶対に経験のできないもので、昔、学校で習った大陸とはこういうものだということを始めて理解しました。ほかにもいろいろのことを体験しました。そのいくつかを紹介します。
イランというと、雨が降らず非常に暑い国だと思っていましたが、そんなことは無く、標高が1000m以上あり、湿度が非常に低いため、影には入れば、汗はすぐに引き、日本のことを思えばずっと過ごしやすい気候です。夏はイランに住みたいと思ったほどです。また蚊やハエが居ませんので、寝るときは窓を開けたままにできるので、結構涼しく、冷房設備がなくて寝られないといったことはありませんでした。
イランはイスラム圏の国の中でも、戒律の厳しい国だとニュースなどでは知識としては知っていましたが、それを往路の飛行機でまず、実感しました。
飛行機内は、アルコール類は一切でてきません。機内のアテンダントのひとも大半は男性だったと記憶しています。又、街中でもアルコール類は販売されていません。また女性は、チャードルと言われる真っ黒い衣服をまとっており、外国人でも街中に出るときは、髪の毛はスカーフで覆う必要があります。
しかし街中で売られている服や、下着類は普通に日本なんかで売られているものと変わらないものが、堂々と展示販売されている。黒い服の下はおしゃれなんだなということが想像されます。
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チャードルを着た女性たち |
店頭の女性の洋服 |
チャードルの下には、何を着ているのでしょうか
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イスラム教の寺院すなわちモスクの中にも入り、初めて内部の様子を知ることができました。又、実際に礼拝中の方を見かけたり、コーランも見かけました。イスラム教は偶像崇拝が禁止されているので、彫刻や画はありませんが、非常に緻密なタイルで天井や壁が構成されており、技術の高さが想像されます。
イランで水泳をしました。砂漠の国で水泳といえば疑問に思われるかもしれませんが、カスピ海で泳ぎました。イランの海水浴場は男女が同一の場所で泳ぐことは禁止されていて、男性の泳ぐ場所と女性の泳ぐ場所は天幕で区切られており、50m以上離れたところに設定されているので、覗き見ることはできません。又、男性の設定場所でも背の立たない所に泳いでいくと監視員から呼び戻されました。イランの海水浴は泳ぐのではなく漬かる感覚です。
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コーランの一部
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モスクの内部
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カスピ海で海水浴
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男女別々の海水浴区域
テントのこちらが男性用区域、緩衝地帯があって
その向こうが女性用区域 |
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「ツール・ド・シルクロード」は、所謂観光旅行ではないので、観光は少ないのですが、休養日とか、最後の1日間は観光に出かけます。その中で印象に残っているのは、マスレ村観光です。
この村は、山の急斜面に平らな屋根の家が層を成して並んでいる。急斜面であることから、一階の屋根が、2階の通路になっており、1階がお土産屋さんなどのバザールになっている。又、地面が少ないことから、その少ない地面がお墓になっており、そのお墓の上は通路になっている。
広い土地があるイランでも、地方では住めるところが少ない所もあるようだ。
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マスレ村の一部 |
1階の屋根が2階の通路に
なっている様子
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土のある道路に作られているお墓
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シルクロードツーリング15次 2007 イランのタブリーズ⇒トルコの東端エルズルム
2007年7月29日(日)⇒2007年8月15日(水)
走行は8/1から8/10までの9日間 走行距離590km
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今回は2回目なので、シルクロードツーリングも少しは慣れました。
今年は、イランからトルコにかけてのツーリングなので、乗る航空会社も変わり、トルコ航空となりました。トルコは、宗教と政治を分離しており、又、イランほど戒律が厳しくないのか、飛行機の中でもアルコールが出てきます。今年のツーリングも、基本的には乾燥地帯の走行であり、イラン国内では、やはり高速道路の走行で、昨年と大きくは変わりませんでした。
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昨年のイランのタブリーズを出発、イラン警察の先導で、国境の町マークを目指しました。タブリーズも交通渋滞が激しく、それを避けるためと少しでも涼しいうちに走るため、朝6時には走行開始です。途中道路工事に遭遇し土埃の中の走行となったところもあります。工事は日本のように水を撒きながら短い距離ごとにやるのではなく、数キロに渡って乾燥の中で行われるので、土埃が舞い上がり、それはひどい状態が続くこともありました。
又、走行途中で町の近くで休憩をしていると、近く住民や、子供たちがたくさん寄ってきました。国境の近くで、特に観光地でもないところへ外国人が自転車でやってくるのですから、珍しいのでしょう。 |
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土埃を上げて走行するトラック
途切れるまで一時待機です
左 休憩していると、付近の住民
が集まってきます
右 今日は、ずっと登りで山岳
地帯の走行になりました |
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今年一番大きく昨年と違うのは、イランからトルコへ国境をまたいで走行するということです。
国境に近づくせいか、走行を開始してからずっと登りが続いており、これからどうなるのか、自転車で越えられるのか、心配が募りました。走行していると、正面に雄大なアララト山が万年雪を戴いて現れました。
乾燥地帯の中に、万年雪を戴いた山があるなど感激でした。この山の麓を捲いて国境へ向かいます。
国境を自分の足で越えるなど、日本では絶対に経験することは出来ないので、ある意味期待がありました。
国が変わることで、今まで先導していてくれた警察官や、ガイドともお別れです。 |
アララト山 5165m
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国境の丘に立つトルコ(左)と
イラン(右)の国旗
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国境でイランでお世話になった人達
との記念写真
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イランとトルコの間で我々のサポートしてくれた先導車、バス、トラックは国境を越えられないため、一旦全て下ろし、自転車とともに、各自のザック、輪行袋や梱包資材一切合財を持って徒歩で国境を越えました。
国境は、1kmほどの緩衝地帯が設けられており、その間を先ほどの荷物を持って歩きました。国境通過にはまずイラン側で出国手続き、少し離れたところで、トルコでの入国手続きと続きます。幸い荷物の検査などは無かったので、スムーズに通過することが出来ました。これが国境なんだと改めて感じました。
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イラン側国境で、車から降ろした荷
物を持てるように纏めて通関の準備
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トルコ側で、通関後、緩衝地帯を
荷物を持って車のところまで移動
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通関後、新たなサポート体制で、トルコ側を走行
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通関を待つトラックの車列
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トルコ側に入ると、周囲の雰囲気が違い、国が変わったのだと、実感できました。国境の近くにも民家があり、国境の直近に住むということは、大変ことなんだろうな思いながら、そこを通過しました。
今回のツーリングでは、アララト山の麓の国境越えということもあって、低いところで900m、高いところは2200mの高さがあり、結構アップダウンのきつい走行でした。
又、トルコは、イランと国境を接するとともに、アルメニアとも国境を接しています。アルメニアとの国境では谷の向こうに監視塔が見えたり、又、道路には、以前に戦いで動かなくなった装甲車が放置されており陸続きの国同士で国境を守ると言うことの厳しさがひしひしと感じられる。
トルコに入ると周囲の環境も今までの乾燥地帯から、緑が増加。トルコ側は黒海の近くのせいか緑が多くなる。
トルコ側から見える
アルメニアの国旗と監視塔
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戦いの後、放置
されている装甲車 |
トルコに入って、緑が増えてきた
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今回も数箇所観光に行きましたが、その中で印象に残っているのは 岩山に穴を掘り、そこで今も生活している人達がいるカドバーン村の観光です。
その場所はイランの西の端に近いカドバーン村を観光。ここは2000mのところの100〜200mの高さのところの岩に穴を掘り、そこで実際に生活をしておられる。ここの住民はアルゼバイジャン人で700人ほどが住んでおられるとか。実際に家の中にも入れてもらったが、絨毯がしかれており、結構快適であった。
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カドバーン村の岩屋 |
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宿泊したホテルで結婚式があり、垣間見たというか、イランの結婚式の実態を見ました。
イランでは披露宴も男女が同席することは無く、男女別々で行われていました。たまたま覗き見た女性の話では普段黒いベールの下は派手な服で、ダンスを踊りまくっていたそうです。それを聞きつけて覗き見をしようとした男達は怒鳴り怒られそうです。
右 披露宴から出てきた女性、外見では
スカーフが 普段よりカラフルで、
見るからにあでやかな美人
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ノアの箱舟の話は聖書の中での話では?????
聖書の世界での話だと思っていたノアの箱舟遺跡を見に行きました。
旧約聖書の物語では、堕落した人類を大洪水で滅ぼそうとした神が、ノアに方舟を作って、あらゆる動物をつがいで乗せるように命じる。洪水が引いた時、方舟がたどり着いた陸地がアララト山の山腹とされている。アララト山は中東で最も標高の高い山で、同山に本当に方舟が乗り上げ、乗っていた人間や動物の子孫が船を降りた場所だと信じる人は多いそうです。
こんなことを書いたら失礼であるが、旧約聖書に書かれていることを信じ、発掘や解析をされているのは驚く限りである。 |
ノアの方舟の遺跡といわれているもの
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遺跡の形状と方舟の関係を示した解説図
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その他のトピックスの写真 |
護衛のポリスから借りた
自動小銃を持たせてもらう |
左の写真は、警護ポリスから借用して持って見たもの。
重かったです。 |
トルコの販売店 プラズマテレビを展示
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シルクロードツーリング16次 2008 トルコの東端エルズルム⇒カッパドキア
2008年7月27日(日)⇒2008年8月10日(日)
走行は7/29から8/6までの8日間 走行距離707km
今年はトルコ国内走行2回目、昨年までのイランとは違い、ずいぶん緑も多くなってきた。とは言え標高は低いところで1000m、高いところは2200m近くまである山岳地帯もあり、結構走り応えのあるツーリングであった。
今年の16次のツーリング参加者は25名、昨年のゴール地点のチフテ・ミナーレ(セルジューク時代のモスク)からスタート、今年もポリスの警護付である。走行開始時は13℃、自転車で走るにはとても半そでの服装では寒くてたまらず、上にジャンパーを羽織るぐらいの寒さである。真夏とは思えない気候、高さと、乾燥でこんなにも違うものかと、実感する。 |
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山の登りを一団となって走行、
登りはきつい
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天の恵み、道端の水場、
頭からかぶりました
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しかし陽が上がりだすと、急に暑くなり12時には38.7℃、この温度で上り坂になると汗が
額から滴り落ちてきます。
又、この地域は、国境に近いことや、民族間の抗争の恐れがあるらしく、我々の走行に警察とともに、ジャンダルマといわれる国境警備などをしている軍隊もついてきて、物々しい走行となった。
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雲ひとつ無い晴天、地平線の
かなたへ向かってひたすら走行
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しかし我々に対しては、親切で、駐屯地のトイレを借りたり、全員に、チャイ(紅茶)をご馳走してくれました。
又、隊員達ともひと時の交流を楽しみました。
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峠への道を必死で登る隊員
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又、NHKの自転車の番組で、下り坂最高というフレーズが出てきますが、下るためには登らなくてはなりません。我々のツーリングでは、途中で輪行すると言うことはありません。
8/1には今回最大の難所の2100mの峠越えをしました。スタートは1500m。
最初は高原の爽やかな中を走行しましたが、登りの10km程手前から勾配20/100の坂に差し掛かりました。
日光のイロハ坂の比ではない登りに、心臓もパクパク。この坂でバス友(しんどくなってサポートバスに乗ること)が7名でました。
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やっとの思いで登った峠、今度は待望の下りです。
この後14.7km、近くで言えば、浜大津から堅田までの間を、ひたすら下りました。
ほとんどの人が40km/hで下りました。私は57km/hが最高でした。
でも下りの時間はあっという間に過ぎました。
この後、Sivasと言う街に近づきました。まれに、小さな起伏がありますが、基本的には平坦で地平線が見えます。
これが平原と言うんやと改めて感じました。又、道路の直近では放牧がされており、全く柵も無く、のんびりと草を食んでいる景色にはこちらものんびりしてきます。
又、一人の青年が牧羊犬と共に数百頭の羊を連れて移動しているのにも出会ったりしました。
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我々を見て、近づいて来てくれました。
その間、羊は犬が先導していました。
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ツーリンクでは街の中心街をはずして走ることが多いのですが、そのせいか、コウノトリが巣作りをしているところを各所で見かけました。
こんな直近で見ることが出来るなんて、まだまだ自然が多く残っているとこんなことことがあるのだと改めて感じました。
又、自転車で外国人が団体で街を訪れるのが珍しいのか、地元ケーブルテレビ局の取材を受けたこともあります。 |
テレビ局の取材を受ける隊長と副隊長 |
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一方、「地球と話す会」は、ただ走るだけでなく、地元の人達
との交流や、日本語を勉強している現地の若者たちとの交流も
行っています。
シーバスで地元の人との交流会では、一緒にバーベキューを楽
しみました。
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今回のツーリングの終着点はカッパドキア。ここはトルコでも一番目か二番目に有名な観光地。
せっかくここまで来たのだからと言うこともあって、200ドルぐらいだったと思いますが、気球で
上からカッパドキアの観光に行きました。
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朝、夜が明ける前にホテルを出発し、バルーンを膨らませるとこ
ろから見ることが出来ました。
気球は、朝の風が少ない時にしか飛ぶことができないため、早朝
の出発となるのですが、この日は風の状態もよく、飛ぶことが出来
ました。
空からのカッパドキアの景色の写真を貼り付けます。
バルーンの籠は10人ほど乗れる大きさで、バーナーの燃える
「ゴー」音と共にゆっくりと上昇していきます。
最高の高さは200mを越えました |
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この後、地上からも見学しました。
やわらかい岩とはいえ、又、宗教を守る為だと聞きましたが、全て手作業で彫られたのだろう。
人間、執念を持てば何事でもできると言うことでしょうか。
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今年はイスタンブール経由でトルコに入りましたが、帰りも同じルートのため、帰りもイスタンブール
へ入りました。そのこともあってイスタンブールの観光もをすることができました。
イスタンブールのアヤソフィヤやブルモスクは見られた方は多いと思いますが、ガイドブックに載って
いないベリーダンスショーを見に行きました。
ショーでは各国の有名な歌を歌ったりして盛り上がりました。 |
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日本の歌は『上を向いて歩こう』でした。
ショーそのものは期待はずれなぐらい正統派のものでした。
300人ぐらい入れるホールが満員でした。 |
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