平成26年11月度 高野山「町石道と高野詣で」写真集
 写真提供: 作本秀樹
 
 9:17に南海高野線紀伊細川駅着。落合橋まで一旦50m程下り、登山準備を済ませ9:45に出発。正月の生花用として栽培されている南天の真っ赤な実を眺めながら尾根の町石道合流点である矢立に向い村道を登ります。
 村道を登り10:25頃に六十町石が立つ矢立茶屋に到着(右)、此処からの町石道歩きに備え紅葉を眺めながら小休止。女性の方から行動食としてアンパンを頂き美味しく頂きました。差し入れ有難う御座いました。
 (左)六地蔵脇の五十九町石、(右)袈裟懸石の五十五町石。町石道(ちょういしみち)は九度山・慈尊院から根本大塔までの高野山表参道(世界遺産登録)で弘法大師空海が開山時に一町(約109m)毎に卒塔婆を道標とし180基が立てられた。
 その後、鎌倉時代に五輪卒塔婆形の高さ約3m・30cm角の石柱に立て替えられ、その内176基が700年以上の風雨に耐え今に残る。慈尊院から大塔までの180町石が胎蔵界尊を、大塔より奥之院までの36町石が金剛界尊を現しています。
 弘法大師が袈裟を掛けたという伝説の石。石の下をくぐると長生きするとか、仲間数人が見事成功。此処から清浄結界です。  町石道は道幅も広く整備され、急坂も無く歩き易いた登山道(参道)です。西国・四国巡礼者のお礼参りの道です。
 五十四町石を少し登ると押上石に出合います。弘法大師の御母公が結界を越えて入山しようとしたとき、激しい雷雨が火の雨となり、大師はこの大石を押し上げて母をかくまったと伝えられています。
 町石道脇の広葉樹は鮮やかに黄葉して綺麗。新旧二つの町石が立つ五十三町石(左上)を過ぎ国道480号線を横切り少し登り展望台(右下)に到着、眼下の紅葉越しに大阪湾や六甲山の眺望を楽しみながら一息入れました。
 11:40、高野山から町石道を逆打ちに下ってきた仲間と無事合流(左)。全メンバー揃って大門目指し登ります。
 11:50、鏡石に到着。鏡のように平らな石だった様で、角に座って真言を唱えると願いが成就するとの謂れがある。  二十町石を過ぎる頃から幾つかの木橋を渡り登って行きます。周りには古道に相応しい大樹が目立ちます。
 十町石辺りから大門までは九十九折れの登りが続きます。周りは鮮やかな黄葉で彩られ綺麗です。
 12:35、高野山の総門であり七町石の大門に到着、金剛力士像に迎えられる(左)。紅葉を愛でながら昼食をとりました。
 宝永2年に再建されたもので、五間三戸の二階二重門、高さ25mの建物、此処からの眺望も素晴らしく淡路島も望めます。
 昼食を済ませ残り紅葉の大門通りを壇上伽藍に向って歩みます。(左)13:10大門出発、(右)二町石を通過する。
 13:17、壇上伽藍に到着。高野山真言密教のシンボルで町石道の基点である根本大塔に参拝し記念撮影(右上)。奥之院とともに高野山の二大聖地である壇上には、大塔をはじめ金堂や西塔・東塔・御影堂・不動堂など多くの堂や塔が立ち、拝観しました。
 高野山開山の謂れが残る三鈷の松(左下)。三葉の松で落ち葉を縁起物として持ち帰り、お守りとされる方もおられます。
 壇上伽藍から、参道脇の真紅の紅葉等を楽しみながら金剛峯寺に移動しました。
 金剛峯寺を拝観した後、千手院橋からバスで奥の院前(左上)に移動。何百年も経た老杉が高くそびえ、平安時代の上皇から戦国時代の武将たちの五輪塔、現代企業や災害慰霊塔などが厳かに立ち並ぶ参道を登り、弘法大師御廟に参拝しました(左下)。
 奥の院前まで引き返し茶店で一服してバスで高野山駅に移動、ケーブルで極楽橋に下り(右下)帰路に着きました。
 ご参加の皆さん、ご協力有難うございました。来年には歩き残した町石道(慈尊院から矢立茶屋)を完歩しましょう。
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