さだ神社の石段
菅原道真が太宰府に左遷の途中、娘の苅谷姫は父を見送りに、この地まで来たが既に出発した後で逢えず、足ずり(さだ)して嘆き悲しんだので「蹉だ山」と名付けた 戻る 本文 次へ