阪神須磨方面へは約3年ぶり。 NHK大河ドラマ『平 清盛』や『メーデーの日』の影響で人出が多いのではと心配していたが肩透かし。くらわん会の本拠地
枚方市からは実に遠い。バス 電車 地下鉄等を乗り継ぐこと約2時間 漸く山陽須磨駅に到着。
朝礼場所の海岸までは交通量が半端でない国道2号線を横切り、さらにJR須磨駅内を通り抜け 南出口階段を下りて約5分、海までは数十メートルの近さだ。
春の陽光を期待していたが今日は薄曇りで風も結構強い。それが早起きした我々の肌に程良く心地よい。須磨の浜辺は、柔らかい波が打ち寄せ、西には須磨浦山上遊園がある鉢伏山・旗振山が臨める。今日の受付は砂浜。
受付を済ませたメンバーの中には海辺まで行く者も。 遠隔地での開催 それともGWの真只中であろうか集合した元気印はいつもよりやや少ない。
朝礼・ストレッチを済ませて、いざ出発。風向きのせいであろうか潮の香りがあんまりしない。海岸線にそって整備された歩道を暫く足軽に東にすすむ。有名な海水浴場とあって漁業関係の船や器具が少ないようだが、それでも魚を干す朽ちかけた棚や釣り客専用の船が見られる。恐らく今は若者相手がメインであろう。サーファー相手のお店やレストランもあるが人の気配がしない。
10分ぐらい歩いただろうか左手の国民宿舎“シーバル須磨”の隣に存在感ある赤色の『旧和田岬灯台』が姿を現した。地元周辺の住民には「赤灯台」の愛称で親しまれている。
この灯台は、もともと神戸港の入り口和田岬にあったもので、明治4年(1872年)に完成したときは八角形の木造製だったが、明治17年(1884年)に鉄製灯台に改築、「日本の灯台の父」と称されるイギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンによって設計されたもので、高さが15.76メートルの三階建て、初代とは異なって六角形の形をしている。現存する最古の鉄製灯台として昭和38年(1963年)廃灯を機に永久保存のため『須磨海浜公園』に移設され、平成10年に国の登録有形文化財となった。ここで小休止となったが疲れた様子は見られない。
気温といい心地よい風といい絶好の歩こう日和。須磨海浜公園は、市立須磨海浜水族園や東端にはヨットハーバーもあり、阪神間随一の海水浴場で、砂浜の長さは、約1.8km。1シーズンに約80万人の人が訪れる。白砂青松の美しい海岸を持つよく整備された公園だ。中央には神戸商工会議所創立100周年記念の帆船をイメージした時計台のモニュメントがある。ウイークデイで海の季節には早いせいか砂浜にいる人はまばら。
砂浜のヤシの木5本が何となく南国情緒を醸し出している。しばらく東に向かって歩いたところで隊列はUターンし、松林の中でこれからの登りに備えてトイレ休憩となった。
休憩後国道2号線に出た。歩道橋を利用して国道を横切り今度は西に向かう。左手に『神戸市立国民宿舎“シーバル須磨”』。天神橋東詰交差点辺りでJRの無人踏切を渡るが多人数のため一度には無理。それが後の集団にとって“開かずの踏切”となった。待つこと約7分ばかり漸く全員無事に渡たれた。県道65号線を北に進む。この道はかって皇室の別荘『武庫離宮』(現名『須磨離宮公園』)の造成にあわせて整備された道で『離宮道』と呼ばれ、なだらかな登りが約1Km続く。山陽電鉄の踏切を越えた辺りから道の両側に一見「盆栽では」と感じさせる素晴らしい枝ぶりの黒松が植わり、美しい景観の並木道となっている。
『離宮道』の近くには『村風村雨堂』『元宮長田神社』の史跡があり、登りきったところにある『須磨離宮公園』は月見山とよばれる景観地に位置しており、明治40年(1907年)に本願寺大谷光瑞法主別邸を宮内省が買収して大正3年(1914年)に完成した旧武庫離宮(須磨離宮)で、昭和42年(1967年)に神戸市に下賜され市立の公園になった。隣の植物園は、岡崎財閥(山崎豊子の小説「華麗なる一族」のモデルとも言われる)の旧岡崎邸の敷地と建物を1973年に神戸市が買収したものである。
また路を挟んで『神戸迎賓館須磨離宮(旧西尾邸)』等あるが、我々は登りきった五叉路を左折し急な坂道を下って桜が有名な『須磨寺公園』に向かう。『堂谷池』を時計回りに半周したところで昼食休憩。いつもより早い昼食に物足りなさを感じる健脚がいるかもしれない。が、空の色が怪しくなり雨の心配も出てきたので正解だ。『須磨寺』は直ぐ横にある。
昼食時間をたっぷりとった後『須磨寺』に入る。正式名は『上野山福祥寺』真言宗須磨寺派大本山。漁師が和田岬の沖で引き上げた聖観音像を886年(仁和2年)に聞鏡上人が現在の地に移したのが始まりといわれる。源平ゆかりの古刹で、入ってすぐのところに源平合戦の一場面を再現した源平の庭 平敦盛・熊谷直実の像がある。重要文化財も多く、平敦盛遺愛の「青葉の笛」や弁慶の鐘、一弦など宝物や歴史的遺物も多いが雑然と宝物殿に展示されているのには驚いた。
須磨寺の本堂から左に行くと、三重塔や 敦盛の首塚などが祀られている。参拝していると句碑・歌碑・文学碑等結構(24碑)ある。源平の浪漫を偲んで訪れる文人墨客が多い証拠であろう。
須磨寺にはいろいろと不思議なものがあり、公式HPでは「おもろい寺」として紹介されている。亀の背中に乗った七福神がくるくる回る「七福神マニコロ」、見ザル・言わザル・聞かザル・怒らザル・見てごザルの手が動く「五猿」、目玉と首が回る「ぶじかえる」、頭を触ると一絃琴で「異国の丘」が鳴る「ミーシャぐま」、からくり時計など思わず笑ってしまうおもしろいものがたくさんある。
十分時間をかけて参拝後、仁王門の所で早めの解散となった。
殆どの人は龍華橋を渡り参道(またの名『須磨智慧の道』)を歩き出した。商店街を通り抜けると、やがて山陽電鉄本線の『須磨寺駅』に来たがここから乗車する人はいない。より便利なJR須磨駅を皆さん利用するようだ。
歩き足らない好奇心旺盛な元気印は、近辺の源平ゆかりの名所・旧跡を引き続き探索されたであろう。お疲れ様でした。
<取材 勝川、吉川、冨田>
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