西大寺から平城京跡へ

第113回くらわん会 2005/10/4

HR
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西大寺門前の石落神社に集合
<行程> (ここをクリック) ⇒コース地図
近鉄・大和西大寺駅 ⇒ 石落神社 ⇒ 秋篠寺 ⇒ 稱徳天皇陵 ⇒ 平城京資料館(昼食)
 ⇒ 法華寺門前(解散)⇒ 近鉄・新大宮駅
<距離> 約8km  <参加者数> 99名

 雨模様の天気予報を気にしながら、西大寺から秋篠寺、平城京址へと古都奈良の秋を歩いた。西大寺門前の石落神社(いしらくじんじゃ)に99名が集まり、佐々山会長の挨拶と本日のコース説明と注意事項を聞いて出発、天気予報では「曇り後雨」となっていたが、朝の集会中に薄日がさしてきて暑くなってきた。気象庁は気象衛星を使って予報を出しているのに今日は外れたな、等と話しながら出発した。
 石落神社を出て西大寺の塀沿いに狭い歴史街道を、自動車をよけながら秋篠寺へ行く。途中のたんぼの畦道には真っ赤な彼岸花が目を楽しませてくれる。
 程なく秋篠寺に着く、今なお大和の古里の面影を残し、その閑寂な佇まいは、忘れかけている郷愁の思いを蘇らせてくれる。秋篠寺は、光仁天皇の発願とか秋篠氏の氏寺であった等と云われていて、はっきりしないところが神秘的ある。礼宮さまが、平成2年ご結婚の時、陛下から「秋篠宮」の宮号を賜った。妃殿下「紀子さま」の横顔が「伎芸天像」に似ておられると云う評判が起こり、観光客が多くくるようになった。門を入ると大きい樹が鬱蒼と茂って一瞬目先が暗くなった。樹下は一面絨毯を敷きつめたように緑のこけに覆われていた。この先平城京資料館までトイレがないので、ここでトイレ休憩にした。
 秋篠寺を出て奈良競輪場前から、秋篠川沿いの道を暫く歩くと稱徳天皇陵に着く。ここで稱徳天皇陵の参拝をかねて小休止。稱徳天皇は、聖武天皇の第2皇女で、奈良朝4代目の第46代孝謙天皇で一度退位したが、764年再び第48代稱徳天皇になり、弓削道鏡を重用し53歳で崩御された。
 稱徳天皇陵を出発して右手に奈良ファミリーが見える、奈良の道は車優先か?歩き難い道が多いようだ。西大寺交差点を左に曲がると、程なく二条町交差点にくる、この交差点には数体の地蔵さんが交通の安全を見守っている。 二条町交差点を過ぎると直ぐ平城京資料館である。11時40分頃到着、12時40分まで昼食休憩。平城京資料館前の芝原で昼食、会員は三々五々それぞれに場所を選んで、愛妻弁当やコンビニの弁当を広げて賑やかに食事を楽しんだ。
昼食の後、資料館の前で学芸員の中村さんから、平城京の概要を説明して頂いた後、資料館に入って数人のボランテアの説明員から、それぞれに詳しい説明を聞いて勉強した。平城京は、和銅3年(710)藤原京から遷都された平城京の宮殿や役所があった所で、東西約6km、南北約5kmの広さが有る。平城京跡は、歴史的、学術的に貴重な価値がある遺跡として、昭和27年に国の特別史跡に指定された。
 資料館に着いた時はまだ薄日が指すくらいの天気だったが、見学中にぽつぽつ雨が降り始めていた。見学を終わって13時30分出発した時は、もう傘がいるほど降っていた。平城京資料館から東へ、大極殿正殿復元工事場前を通って、平城京跡を見ながら法華寺へ、雨は風を伴って次第に強くなり会員は皆傘を斜めにし歩いていた。14時30頃、法華寺門前に到着。雨が激しくなってきたのでここで解散した。
 法華寺は、大和三門跡に数えられる、品格ある尼寺。もと藤原不比等の住居であったものを、光明皇后が総国分尼寺として建立された。法華滅罪の寺と称し隆盛を極めたが、平安遷都とともに衰え、秀頼の母淀君によって現在の姿に整えられた。
 激しい雨に打たれて、新大宮駅に着いた時はみんなずぶ濡れになっていた。
安井重仁 記
西大寺の塀に沿って秋篠寺へ
歴史街道を行く
秋篠寺南門
秋篠寺
稱徳天皇陵を出発
平城京資料館前の芝原
平城京資料館を見  雨の中を法華寺へ  法華寺前で解散

石落神社(いしらくじんじゃ)出発
西大寺東門前に鎮守社として仁治3年(1242年)叡尊によって祀られた石落神社(いしらくじんじゃ)を出発
車の多い道を1列で歩く
狭い歴史街道を秋篠寺へ、自動車をよけながら1列で歩く
歴史街道を行く
たんぼの畦道には真っ赤な彼岸花も咲いている
彼岸花
真っ赤な彼岸花が目を楽しませてくれる
秋篠寺の南門を入る
秋篠寺の南門を入ると大きい樹が鬱蒼と茂って一瞬目先が暗くなった
秋篠寺
秋篠寺は宝亀11年(780年)光仁天皇の本願により興福寺の僧善珠が創建したと伝えられ、奈良時代末期に建てられた寺である
秋篠寺を出て平城京跡資料館へ
秋篠寺を出て平城京跡資料館へ向う
奈良競輪場横
秋篠寺を出て奈良競輪場前から、秋篠川沿いの道を平城京資料館に向う
稱徳天皇陵
秋篠川沿いの道を暫く歩くと稱徳天皇陵に着く
天皇陵で小休止
稱徳天皇陵の参拝をかねて小休止
平城京資料館前の芝原で昼食
平城京資料館前の芝原で、三々五々それぞれに場所を選んで、愛妻弁当やコンビニの弁当を広げて賑やかに食事
.第一次大極殿復原工事場
第一次大極殿正殿は、平成10年に復原された朱雀門の北約700mにあり、平成13年度に工事に着手し、盛土工事のほか、基壇及び素屋根の建設工事が完了
平城京資料館前の梅林で休憩
平城京資料館前の梅林で休憩
平城京資料館前
昼食の後、資料館の前で学芸員の中村さんから、平城京の概要を説明して頂いた
平城京資料館を見学
資料館に入って数人のボランテアの説明員から、それぞれに詳しい説明を聞いた
平城京址の模型
平城京資料館にある平城宮第一次大極殿院の復元模型
遺構模型
平城京遺跡発掘の模型
天平の貴族人形
平城京資料館に展示された天平の貴族人形
資料館見学を終わり休憩 資料館見学を終わり休憩 朱雀門の斗きょう模型 平城京朱雀門軒を支える斗きょうの一部の実物大模型
斗きょう模型の説明 平城京朱雀門斗きょう模型の説明 平城京資料館見学 平城京資料館をボランティア説明員から解説を受け見学
資料館を出発 見学を終わって13時30分出発した時は、もう傘がいるほど降っていた 平城京跡地を行く 平城京は、和銅3年(710年)藤原京から遷都された平城京の宮殿や役所があった所で、東西約13km、南北約1kmの広さが有る
朱雀門を右に見ながら平城宮跡を行く
平城京跡は、歴史的、学術的に貴重な価値がある遺跡として、昭和27年に国の特別史跡に指定された
法華寺へ
雨は風を伴って次第に強くなり会員は皆傘を斜めにし歩いていた
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