京阪御殿山駅から見える小高い丘の上に、1987年5月御殿山美術センターと図書館がオープンした。この地にはもと「大阪美術学校」があった。美術学校は愛媛出身の画家矢野橋村によって、1924年(大13)に設立され、1929年(昭4)天王寺からここに移転し多くの画人を輩出した。その跡地が芸術を愛する市民に開放され、センターへと生まれ変わりました。
美術センターには、四つの創作室があり油彩・水彩、 版画・工芸、日本画・水彩、陶芸など市民の自主的な学習活動に施設を提供する公民館としての運営をしています。
駅前の商店街を通り抜けて美術センターに登りつめる道が「御殿山アート坂」と名づけられた。 平安人から渚岡といわれ、領主永井伊賀守が陣屋を設けたことから御殿山と呼ばれる、この丘の上には御殿山公園、御殿山神社がある。
アート坂からさらに南に行くと、巨大な公団中宮団地があり「殿山百済寺道」が始まる。この道は百済寺址(中宮西之町)まで続き、両側には昭和44年以降に完成した中宮第3・第4団地が続き、啓光学園、明倫小学校を過ぎたところに百済王神社と百済寺址史跡公園がひろがる。
朝鮮半島の国、百済が新羅に滅ぼされ日本に亡命した善光などの一族が百済王という姓をもらって大阪に住み朝廷に仕えた。子孫の敬福が陸奥国の国司をしているとき、奈良の大仏鋳造のために金を寄付した、その功績によって枚方中宮に住み、先祖を祀るため百済王神社をつくり、菩提を弔うために百済寺を作ったと考えられている。大伽藍のあった百済寺址は1952年(昭27)に国の特別史跡に指定されている。
枚方と百済との関係については、ふるさと枚方発見第8回『伝王仁塚と特別史跡・百済寺跡』
に詳しく触れたのでその項をを参照されたい。(ここをクリックするとそのページにリンクしています。)
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