芭蕉が訪ねた、下野の歌枕
 
    1689年、俳諧の巨匠、松尾芭蕉は良を伴い「奥の細道」の旅に出発しました。
    旅の目的には、万葉の古来から読み継がれた、憧れの歌枕を訪ねる事にもあったようです。
    この下野の地にも、芭蕉も訪れたという歌枕が多くあり、そのいくつかを訪ねてみました。
    (*説明には、個人の勝手な解釈もありますので参考程度で、写真をクリックすると大きな写真になります)



室の八島
 
栃木市惣社町大神神社((おおみかじんじゃ)

「いと遊に結びつきたるけふりかな」

鳥居をくぐると、池の中に八つの島が
あり、それぞれに祠がある。
配祀神の木花咲耶姫((このはなさくやひめ)の神話からと、
または清水からわき出でるもやの情景
から、煙を歌の中に詠むらしい。

芭蕉が一番訪ねたかった所らしいが、
池も涸れ果てていて、期待が裏切られ
たのか、奥の細道に句は記載されて
ない。後に良の著書で、芭蕉が詠ん
だとされる句が、句碑としてある。
 
黒髪山
日光男体山

「あらたふと青葉若葉の日の光」(芭蕉)  「剃捨て黒髪山に衣更」(曾良 

東照宮にお参りの際に、古くは二荒山
と呼ばれ、山岳信仰の聖地でもあった
こと、また家康公の威光にもふれ、書
くべきこと多くあるが、おそれ多くて
筆をおいてしまったと言う。

同行の曾良が黒髪山の名でこの山を詠
んでいる。
 
遊行柳
那須町芦野 

田一枚植えて立ち去る柳かな

支部行事の「下野の奥の細道を歩く」
でも訪ねた所。
その昔、西行も訪れ西行の跡をたどる
思いで、訪れたかった所と書いてある
が、本当は芦野氏が必要に薦めたの
で立ち寄ったとも言われているが?

芦野地区では、この柳を維持保存のた
め、代々から植え替えていると言う。
西行の跡を芭蕉が、その跡を蕪村が…
3歌人の句碑が建っている。
 

この後峠の明神を訪ね、いよいよ心定まりみちのく白河の関へと・・・・・。