下野「おくの細道」を歩く

==健康マイチャレンジ 支部特別企画第3弾==

 11月23日(土)紅葉真っ盛りの中、抜けるような青空に恵まれ18名が参加し、約320年前に松尾芭蕉が歩いた道を、黒羽から芦野(遊行柳)さらに2つの白河の関跡までを、バスと徒歩で訪ね歩いてきました。

  白河の関という名前は知っていても、これが奥州街道と東山道に2つあり、芭蕉もどこにあるのか迷ってしまったらしいこと、また白河の関は期限1000年ごろに廃止されており、芭蕉の頃には何もなかったことなどをご存知でしたか?

 支部総会でも講演いただいた桑野先生に、出発から帰着まで同行して説明していただいたおかげで、今回は個人では見つかりそうのない場所を訪ねたり、俳句の真の意味を聞くこともでき、非常に興味深い一日でした。

 先生のお話は俳句の話しにとどまらず、宇都宮の御幸町の由来や、道がまっすぐな理由、奥州街道と東山道の利用の仕方の違いや、栃木県の地形や水系などにも及び、栃木県に永く住んでいながら知らなかった事柄の多くも理解することができました。

 昼食は東山道伊王野の道の駅で、名物の蕎麦と鮎飯をとり、残念ながら生ビールの季節は終わってしまいましたが、楽しく歓談することができました。


     田 一 枚 植 て 立 ち 去 る 柳 か な (芦野 遊行柳)

訪ね歩いたところ

那須神社    
天照大神、大和武尊などを祭ったのにはじまるとされ、のち坂上田村麻呂が東征のとき、応神天皇を勧請して金丸八幡宮と号し、
戦勝を祈願したという。また那須与一が扇の的を射る時に祈願した神社と言われる。
余瀬 鹿子畑桃翠邸跡    
田の中に鹿子畑邸跡がある。奥の細道の中で、芭蕉が一番の長逗留した所だが今は墓石が残るのみ。
また、芭蕉が初めて歌仙を巻いた所として知られている。    
篠原 玉藻稲荷神社    
参道の奥には源実朝と芭蕉の碑があり、九尾の狐の伝承を伝える鏡が池が今でも水を堪えている。    
黒羽城址公園・芭蕉の館周辺    
城跡から那珂川や那須連山の眺望はどの季節でもすばらしい。芭蕉の館では、芭蕉と曽良像に迎えられる。    
像の前で記念写真撮影の後、黒羽藩家老の屋敷 浄法寺邸で地元ボランティアの方から茶を振舞われた。    
伊王野 東山道道の駅    
昼食は、名物の蕎麦と鮎飯を堪能しゆっくりとくつろぐことができた。    
芦野 遊行柳    
今もあたりには水田が広がり、遠目にも大きな柳の木が見える。これが有名な遊行柳だ。「田 一 枚 植 て 立 ち 去 る 柳 か な」
先には西行法師、のちには 蕪村も訪れたという歌枕、それぞれの句碑がある。   
境の明神    
当時の関東と東北の国境であるこの地(栃木と福島県境)に二つの明神がある。    
白河の関跡    
古来有名な歌枕の地であり、その先にはこの世の異界とも思える未知の地平が広がる。
「白川の関にかかりて旅心定まりぬ」
と芭蕉は記している。    


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