<第18回 学ぼう会>                                       2012年7月5日

          「平清盛と摂津の国U―大河ドラマ「平清盛」によせて―」

  講師: 田辺 眞人(たなべ まこと)先生 ・・・ 園田学園女子大学名誉教授・歴史学者 

  場所: 総合市民交流センター 7F

    拝聴中   田辺 先生
           講演会 拝聴の様子                         講演中の田辺先生

 この日は48名の参加で「源氏・平家と摂津の国 U―大河ドラマ「平清盛」によせて―」を学びました

講演
 *趣旨
   今回は
大河ドラマに因んだ平 安時代末期の源氏・平氏勃興の歴史についての2回目です

 *内容
 第1章:平 清盛(1118〜1181)
  a.権威獲得(1156保元の乱、1159平治の乱)・・・最終的な勝利者となり源氏は崩壊状態                      
   ・一門の公卿化:公卿16人、殿上人30人⇒一門の中で一人でも公卿(官位3位以上)や                       
    殿上人(官位4位、5位)が出れば子〜孫まで影響を受ける(官位が自動的に飛び級)                   
   ・1167清盛(
太政大臣= 従1位<武士として初>)
     西国武士の「家人化」:地頭制の萌芽                       
     その経済基盤:知行国30、荘園500                       
   ・娘(徳子)を高倉天皇に入内、子の1178言仁親王(後の1180安徳天皇)
  b.平氏の福原の荘
       ・大輪田の泊:塩槌山を切崩し人工島を造成=1173築島(経が島)→日宋貿易の拠点   

 第2章:反平氏の動き
   清盛の権勢の伸張に対し、後白河法皇を始めとする院政勢力が不快感を持つ     
  a.1177鹿ケ谷事件:僧俊寛ら⇒保守勢力の反平氏化・寺院勢力の反発                        
    ・1179後白河法皇幽閉←清盛の嫡男(左近衛大将・正二位内大臣)重盛が病没   
  b.以仁王の令旨により源頼政挙兵→1180/5宇治の戦い→平氏滅亡の糸口          

 第3章:1180/6/2福原遷都
  a.新都造営(6/9着工〜8/10棟上げ〜11/8維盛ら帰着)
  b.1180蜂起:8/17源頼朝挙兵、9/7源義仲挙兵、10/24富士川の戦い(治承・寿永の乱))
        ・平維盛が大将軍として出陣するも富士川の戦い/倶利伽羅峠の戦いで壊滅的敗北   

 第4章:1181平清盛の病死 (1181/11/21 平安遷都へ)

 *感想
  
今回はアンコールに応えるとい う事で田辺先生より平家を中心にお 話を頂いた
  その中で、武士の名前の付け方 (氏ー苗字ー立場ー個名)や
  官位・階級の内容、見方、言葉の由来などを教えて頂き、大変勉強となりました