58回 紀州漆器と琴ノ浦温山荘園の旅

平成24 (2012)927()

参加者51

                    

チャイナは「磁器」、ジャパンと言えば「漆器」、日本が誇る伝統工芸を紀州に訪ね

津波から村人を救った偉人の足跡を「稲むらの火の館」と広村堤防に学び

海に面した紀州ならではの「潮入池泉回遊庭園」の雄大な景観と

明治の実業家の心意気に触れる



地球温暖化の波は否応なしに日本にも押し寄せ、5月に訪ねた豊岡が猛暑日第一位のグループに。そんな酷暑も9月の末ともなれば朝夕は涼気を感ずるようになり、そのためか、いやいや4ヶ月ぶりの例会への期待なのでしょう、皆さん出足がよく、予定より5分早く出発できた。

“紀州路の漆器にあへる九月かな”(◆)

次々と台風襲来が報じられる9月、ありがたいことに快晴に恵まれた。本日は和歌山の海南市方面へ行くので、バスは南西方向の近畿自動車道摂津北ICを目指す。

いつものように、添乗員さんから本日のスケジュールと諸注意、運転手さんの紹介などがあり、続いて代表より、たくさんの方の参加へのお礼、今年は「北摂文芸クラブ」創設15年、来年の最初の例会は60回目、皆さんのご要望を聞きながら益々親睦を深め、絆を強くしていきたい、などと爆笑を誘いながらの挨拶。

“久々の旅にしあればバスの中 笑顔満開強まる絆”(▽)

前回の旅の感動を振り返る「作品集」、今回の訪問先を少し掘り下げた「徒然話」を世話役より説明。高速道路を渋滞もなく快調なドライブ。雲ひとつない青空、南国紀州が明るく迎えてくれた。

海南ICから一般道に、程なく最初の訪問所、海南市船尾黒江地区の紀州漆器伝統産業会館「うるわし館」に到着。


【うるわし館】

 正面入口では、身長が1.5メートルもあるジャンボ夫婦雛が迎えてくれる。漆塗装の自転車や単車が漆独特の光沢を誇っている。

 係の方の案内で2階に上がりビデオを観る。ビデオは海南市や黒江町の紹介と漆の採集から精製、漆器として完成するまでの、木地師→下地作業→中塗→漆室(うるしむろ)→蒔絵・沈金などの工程と多彩な技の紹介。さらには、紀州漆器の歴史と伝統産業を担う黒江漆器学校などの紹介などで、漆や漆器のことを学んだ。

1階に戻り、展示品の鑑賞とショッピング。紀州漆器は全国三大漆器の一つだけあって、あらゆる分野の漆製品の展示の他に、昔の作業道具や漆掻きしたウルシの木や書類など紀州漆器の歴史をたどるものまで展示されている。

  
ジャンボ夫婦雛                     漆塗装の単車
   
                 うるわし館ビデオ室で上映前の説明を聴く (◇)

“うるわしは漆の語源その館 歴史と未来楽しく学ぶ”(▽)

  
目移りして… さて、どれにしようかな            漆掻きした木や道具類   

黒江の町は家内工業的に分業された漆器職人の町として発展してきた。紀州連子格子、漆喰塗りの真壁、焼板張りの外壁、そんな家々が軒を並べ、古風な落ち着いた雰囲気を醸しだし、路地は有名な「のこぎり歯状」。うるわし館からすぐなので自由散策とした。


【稲むらの火の館と広村堤防】

 稲むらの火の館は海南市の南隣、有田郡広川町にあるので、一旦阪和自動車道に入り広川
ICから一般道へ。
  

 有田川左岸を北西に紀伊水道を目指して進む。このあたりの山肌は段々畑になっていてミカンの木が植えられている。有名な「有田みかん」の産地はこの辺りかと納得。所々白く光っているのは完熟を促進する早生温州みかんのマルチだろう。

遠く、近く展開する段々畑を眺めていると、ふいに「鞠と殿さま」(作詞:西条八十 作曲:中山晋平)を思い出した。少女の手からそれた鞠は紀州の殿様の駕籠の上に乗り、東海道から紀州へ、そしてミカンになったというメルヘンの世界へ誘(いざな)ってくれた。


“段々のミカン畑に青き実なりぬ”(◆)


秋日和のもと添乗員さんも含めた全員で記念撮影 (◇)

昨年の東日本大震災以来、地震や津波に対して歴史を遡り検証することが大切との機運が高まった。同時に戦前の国定国語教科書に載っていた「稲むらの火」が脚光を浴びるようになった。

「稲むらの火」は、1854年(安政元年)、安政南海地震の津波に際して紀伊国広村(現在の和歌山県広川町で起きた故事をもとにした物語で、地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神の発揮を説いたもの。この物語が世に出た経緯などを下記する。

◆1896(明治29)年、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が英語で "A Living God " を著した。西洋と日本との「神」の考え方の違いについて触れたあと、人並はずれた偉業を行ったことに よって、「生き神様」として慕われている紀州有田の農村の長、「浜口五兵衛」の物語。
小泉八雲の作品を読んで、感銘を受けた地元湯浅町出身の小学校教員中井常蔵は、昭和9年に文部省国定国語教科書の教材公募が行われると、 "A Living God " を児童向けに翻訳・再構成し、「燃ゆる稲むら」として応募した。この作品は入選して国語教材としてそのまま採用され、昭和12年から昭和22年まで、国定国語教科書に「稲むらの火」と題されて掲載された。なお、平成23年度より、再び小学校教科書にて掲載されているそうだ。主人公五兵衛のモデルは濱口儀兵衛(梧陵)
濱口儀兵衛は、江戸時代初頭に下総国銚子(現:千葉県銚子市)で創業した醤油醸造業者・廣屋儀兵衛商店(現在のヤマサ醤油)の当主に代々受け継がれる名前で、7代目儀兵衛が濱口梧陵で、「稲むらの火」のモデル。
小泉八雲の著した "A Living God "は米国コロラド州の小学校の福読本になるなど、欧米やシンガポールなどで興味深い逸話がある。また、物語は史実と異なる部分があるが、それは小泉八雲の誤解によるもの。細かい史実よりも、教材としての教育効果を優先したためだそうだ。

稲むらの火の館 3D津波映像シアターで開演を待つ (◇)

シアターでは、①津波災害の話7分)、②「稲むらの火」解説15分)を迫力満点の映像で視聴した。

 
A LIVING GOT」と「稲むらの火」                パネルで熱心に学ぶ
 稲むらの火の館は、津波防災教育センターと濱口梧陵記念館からなっている。3階建ての防災教育センターでは、津波の恐ろしさ、不断の防災意識と備えを学び、梧陵記念館では、梧陵が陽明学を学んだそうで、その人物像を、  

梧陵は文学者に非(あら)ず、哲学者にあらず

学問の人と云(い)はんよりは人格の人にして、

又思想の人と云はんよりは

むしろ実行のひとなり」 【梧陵傳】 と紹介し、「知行合一(ちこうごういつ)」の人、濱口梧陵と讃えている。知れば知るほど凄い人物だと思う。


“先人の防災学び九月尽”(◆)


 稲むらの火の館を出て、海辺の方へ10分ほど歩き、梧陵が巨額の私財を投じて築いた広村堤防を見学する。この堤防は昭和21年の南海地震に歴然たる効果を発揮した。


梧陵は津波から村人を救い、災害後は生活を支え、将来の津波に備えた
 
広村堤防をバックに…                堤防の巨大な防潮扉

 広村堤防でバスに乗り、本日の食事処「橘家」へ向う。有田川の畔に建つ創業明治36年の老舗旅館だ。


【昼食】


先ずは、お互いに今日参集できた健康に感謝し乾杯!(◇)

 乾杯の後、新会員2名と再入会1名の紹介。このところ例会の度に新会員を紹介している。有難いことだ。それに事情で脱会しても、参加できる環境になれば気安く再入会する。それでこそ同じ釜の飯を食べた仲間だ。ようこそ、ようこそ、ウエルカム、ウエルカム。

和歌山県はタチウオの水揚げ量全国第12位:愛媛県 3位:大分県)を誇っているが、そのタチウオが最高に美味しい旬が丁度今頃の秋口だそうな。そんなわけで、今日はタチウオをふんだんに使った、その名も「太刀魚御膳」。

まず刺身から頂く、定番のマグロや鯛の他にタチウオが添えられている。鮮度がいいから刺身にできるわけで、勿論初体験だ。

 酢の物にもタチウオ、骨を唐揚げにしたタチウオの骨煎餅にタチウオの梅肉和え。野菜やさつまいもの天麩羅。傍らにはイワシのつみれ鍋。新鮮なイワシだから無茶旨い。キノコとワカメの赤出し、しっかりご飯も頂いてデザートは梨。楽しいお喋りでお腹も気分も最高!

“老舗膳至福のひと時梨を噛む”(◆)



【黒潮市場】    

 阪和自動車道を海南市方向に戻り、和歌山マリーナシティの黒潮市場へ。ここの呼び物はマグロの解体ショー。毎日3回行なっているが、3時からの最終ショーを観る。ショーの前後にそれぞれショッピングを楽しむ。

 解体したのは、30キロのキワダマグロ。日本刀のような包丁でスパッと頭を落とし、「ここを食べると頭が良くなる~」、次はカマを切り出してまた口上…。三枚におろして、大トロ・中トロ・赤身に区分けし即売。


黒潮市場のマグロの解体ショー (◇)

 “口上もさばく太刀も冴えわたり マグロ解体ショーのいい男”(▽)


【琴ノ浦温山荘園】

 和歌山マリーナシティの隣と言っていいほどの近い所に温山荘園がある。ここは愛媛県生まれで明治21年に日本で初めて動力伝導用革ベルトを製作し、その後、世界有数のベルトメーカーとなった新田帯革製造所(現ニッタ株式会社)の創業者、新田長次郎翁の健康維持のための別荘庭園として、武者小路千家家元名代の木津宗泉により作庭された「潮入式池泉回遊庭園」である。

 入口に園長さんが待機していてくださり、園内へ誘導し、池の畔で荘園設立の経緯や現状についてのお話を頂く。
    
  潮入の池 酸素供給の水車が廻っている        新田長次郎像


庭園と妍をきそう女性陣 (◇)

面積は約18,000坪もあり、日本全国で17位、個人庭園としては日本最大だそうだ。「温山荘」の名称は、翁の求めに応じて東郷平八郎元帥が翁の雅号“温山”より命名。

名園として誉れ高く皇族もしばしば来訪し、随行した桂太郎、東郷平八郎、秋山好古らの扁額が主屋に掲げられているそうだ。

当初は翁の健康維持のために使われていたが、翁は在世中に一般開放したそうで、そこに明治の実業家の心意気をみる。平成10年、建物が文化庁の「登録有形文化財」に指定。平成22年、庭園は国指定の名勝に、建物は重要文化財に指定された。

 園内2箇所でボーリングしていたので、園長さんに質問すると、文化庁が地震対策として地層を調べているもので、耐震修理の緊急性の判断にするそうだ。国の重要文化財だからなのだろう。温泉を掘り当てるためのボーリングかと勘ぐったことが恥ずかしい。

巨大灯籠を背に気宇壮大な男性陣 (◇)

園内には主屋を中心に3つの池が配されているが、それらは海から水を引いている。そのため潮の干満で水位がゆるやかに上下する。また、普通の日本庭園のように水の流れがないので水中の酸素が不足するのか、鰻の養殖場のように水車が廻り空気を取り込んでいる。養鰻場と違って大きな池に1台なので、補助的に設置している感じだ。パンフレットにはボラが跳ねてる写真があった。出会えたらいいが…。

  園内を回遊していて、まず気付くのは姿の良い老松が多いこと。大正初期から昭和の初めにかけて造園されたとパンフレットにあるので、100年近いことになる。老松は長寿の象徴と辞書にある。皆さん約400本の老松の精気を頂いたことになる。きっと来年も元気で旅に出掛けられることだろう。
 
青石の一枚橋                        沢渡り石

“名庭園撮影必死や秋暑し”(◆)


ゆったり一周して入口に戻ると園長さんが私たちを送るべく待機してくださっていた。パンフレットには書かれていないが、新田長次郎翁の篤志家としての人間性に話が弾む。


帰途、今回初めて歌を楽しんだ。合唱したり、独唱したり、バスは青春時代を乗せてひた走る…。

明治の文明開化で日本は欧米から学び近代化してきた。今、欧米では日本庭園や盆栽、鉋(かんな)や鋏(はさみ)などの工具、寿司や麺類の日本食が評判で、そのまま日本語で通じる。最近一番人気を得ているものは「弁当」だとか。主食・主菜・副食・デザートを区切って入れる気配りは、古来からの日本文化なんだ。

今日観た「漆器」は、その魁(さきがけ)だったと思う。また、濱口梧陵や新田長次郎の業績や人格にも感動した。和歌山といえば、南方熊楠がいる。また訪れて足跡に触れてみたい。

 今日は渋滞もなく、旅程表通り進行し帰着した。学んで、食べて、歌って…。いい旅でした。



                                       <写真>竹内一朗(◇印)
  永野晴朗(無印)

                               <俳句>桐山俊子(◆印) 

                             <短歌>永野晴朗(▽印)
                        <文>永野晴朗