57回 豊岡コウノトリの郷と城下町出石の旅

平成24 (2012)531()

参加者42

                    


「コウノトリの郷公園」を訪ね、野生コウノトリを見事に復帰させた経緯を学び

「かばん館」で伝統産業の柳行李作りの見学とショッピングを楽しみ

但馬の国で唯一の城下町出石で家老屋敷見学&町並み散策

昼食は但馬牛を特注した豪華バイキング食べ放題!


今年2回目の例会は「山笑う」春が過ぎ、初夏の「目には青葉山ほととぎす初鰹」、「山滴る」季節、夜明けも早くなり、皆さん出足よく、予定より10分早く出発。

文芸の旅に思いは明け易し(◆)

まず代表より、今日の例会についてのお話に続いて、例会を通じて親睦を深めることを何より願っている。どうすれば親睦が深まるかを世話役会でも話合っています。赤い紐の名札が世話役ですので、気軽に何でも話して下さいとお願いする。 次いで、添乗員さんより、本日のスケジュールと諸注意、運転手さんの紹介など。 高速道路に入ってから、いつものように世話役より配布資料の説明。

赤松PAでトイレ休憩をとり、丹波路を経て但馬路へ快調なドライブ。山々は秋のように錦織りなす華やかさはないが、浅緑・萌黄・青竹・孔雀緑と、淡く、濃く、青葉が滴っている。目を潤し、心を洗ってくれる。

【海鮮せんべい但馬】

 和田山ICすぐの「海鮮せんべい但馬」に立ち寄る。広々としたフロアの右半分が煎餅の販売コーナー。 海の幸・野の幸・山の幸、あらゆるものを煎餅にしている。総ての商品が試食できるので納得して買うことができる。素材によって微妙に味が違う。玉ねぎが美味しいとの声あり試食。確かに他より濃厚。1袋求めた。

  
        窓越しにせんべい工場を               試食・販売コーナー

左半分が休憩スペース。無料でコーヒーが頂ける。コウノトリの郷にはまだ1時間ほどかかるので、絶妙なコーヒーブレークになった。しかも、コーヒーが実に美味しかった。感謝、感謝。

奥が煎餅の製造工場になっていてガラス窓越しに見学できる。外の別棟に野菜コーナー「旬菜市場但馬」があり、目敏い人は早速ゲットしていた。

【コウノトリの郷公園】

 11時過ぎコウノトリの郷公園に着いた。なんと野性のコウノトリが飛んでいるではないか! 小高い山の上を、羽ばたき一つせず、悠然と旋回しているのだ。コウノトリ王国へようこそ!とでも言うように。

コウノトリの郷公園入口で (◇)

 6年前の例会で来たときは、飼育コウノトリの中から、自然環境に適応できるとみた5羽を選び、初めて放鳥した翌年で、自分で餌をとり、死なずに野生化してほしいと祈るような状態だったが、今では47羽が自由に大空を舞っている。しかも47羽中29羽が放鳥後に生まれたもので、今年は放鳥3世、孫が巣立っていった。

    
        コウノトリ文化館へ向かう                熱心に学ぶ子供たち

 
  係りの方のお話を興味深く聞く (◇)          公開ケージ内のコウノトリ (◇) 
 入館すると、公開ケージにつながる多目的ホールで、15分ほどお話をしてくれる。豊岡とコウノトリの関わり、絶滅から飼育、野生復帰への取組みなど、興味深いお話が聞けた。その後、ガラス戸を開けケージの傍へ行く。そこは谷間の棚田になっていて、ゆるい登り道からコウノトリを近く、遠く観察できる。

公開ケージ遠景

コウノトリ新樹の森をかけめぐり(◆)

 昭和30年、豊岡に「コウノトリ保護協会」が発足してから57年。 昭和46年、野生コウノトリが絶滅してから41年。 昭和60年、ロシア・ハバロフスク地方から幼鳥6羽を譲り受けてから27年。ようやく野生化が定着した。長年にわたり官民挙げて取り組んできた人々には頭が下がる思いだ。

 人の手をわずらわすことなく自由に飛んでいるコウノトリが47羽もいて、その内29羽が放鳥後の誕生ということは、飼育コウノトリの野性復帰と自然界繁殖が立証されたわけで、あとは人間がコウノトリの餌になる生物が育つ環境をどれだけ提供できるかだ。その環境分だけ野生化が可能といえる。
 兵庫県立コウノトリの郷公園のホームページによると、2012612日現在、飼育数は97羽。まだまだ放鳥できる。高槻や茨木でも餌場となる無農薬や減農薬の水田を作り、カエルやドジョウが増えれば、国の特別天然記念物コウノトリが幸せを運んで来てくれるかもしれない。

【昼食】

 本日の昼食は豊岡市日高町にあるリゾートホテルでの和洋バイキング。特別メエニューとして但馬黒毛牛のステーキを追加! 部屋も私たちだけの特別室! 

まずは恒例のガンバロウ乾杯! (◇)



若葉中(わかばなか)但馬和牛に舌鼓(◆)

 揚げたての天ぷら、目の前で焼いてくれる但馬牛のステーキ、新鮮な魚介に野菜、すべて但馬地方の地産地消、それにアルコールは自前だがソフトドリンクは飲み放題。

 食べ物は好みがあり、参加者全員が満足という昼食はなかなか難しいが、バイキングなら好きなものを好きなだけ食べられる。日頃ダイエットに努めている方も、非日常性が旅の醍醐味。食べて飲んで、飲んで食べて、笑って、喋って、時間を忘れる。

【かばんの館】

 朝来(あさご)市生野町円山(標高641.1m)を源とする円山川は、豊岡盆地あたりで流れが緩やかになり、湿地帯を形成しコリヤナギが自生した。そのコリヤナギを使って編んだものが柳行李である。

 柳行李はコリヤナギの特質から、軽量・防虫・湿度調整などの特長がある。正倉院宝物に但馬地方から上納された「柳筥(やないばこ)」があることで、奈良時代すでに特産品であったことがわかる。
   
             館内全景 (◇)             柳行李実演を見て工芸士さんとお話 (◇)
 明治14年の第2回内国勧業博覧会に、柳行李に革バンドと取っ手を付けた「行李鞄」出品。大正6年、柳行李に漆を塗り錠前を付けた「豊岡鞄」売り出し。昭和3年ごろには素材にファイバーを使った「ファイバー鞄」の商品化。戦後は外形崩れ防止にピアノ線を使用した「オープンケース」、さらには蓋に2本、底に1本のファスナーを取り付けた「エレガントケース」の大量生産・販売で、豊岡が日本鞄4大生産地の一つになる。
 ところが近年、中国を中心とした安価な輸入品が日本市場を席巻。厳しい状況の中、素材・機能・ファッション・エコロジーなど、品質と時代の要求に応えるべく懸命な努力をしていることだろう。

 店内はバッグ類・財布・ベルトなどが所せましと展示され、即売されている。斬新なデザイン、珍しい素材の物が案外安い。あれこれ言いながら品定めするのは実に楽しい。女性が夢中になるはずだ。

 柳行李編みの実演をしてくれた伝統工芸士さんとも話して、柳行李の湿度調整は正倉院の校倉造(あぜくらづくり)と同じ理屈ということを確認。陳列されている完成品を持たせてもらったら無茶軽かった。その驚き、感触が今でも甦る。

【出石】

 出石へは平成14年に、「松愛会30周年記念・北摂文芸クラブ20回記念」と銘打った例会で、城崎日和山海岸の「ホテル金波楼」と共に訪ねたので10年ぶりである。そのとき「出石」を「いずし」と読むことを知った。家康が江戸に開府してからから12年目の慶長20年に出された一国一城令により、但馬の国で唯一の城下町となった出石は、町割りが碁盤の目状であることから、今では但馬の小京都と呼ばれ、町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 西の丸駐車場でバスを降りると、そこは出石城跡の一角、城壁を巡り観光広場へ。町のシンボル辰鼓楼(しんころう)をバックに記念写真撮影。

燦燦たる陽光に負けない笑顔で (◇)

燦燦たる陽光に照り輝いて (◇)

緑さす時計台背に美男美女(◆)

 撮影後「家老屋敷」に入り、あとは自由散策。町並みをそぞろ歩けば、名物「出石皿そば」の店や伝統工芸「出石焼」の白無垢に出合い、幕末の志士・桂小五郎の潜居跡の記念碑に往時を偲ぶ。
      
       出石家老屋敷の隠し二階へ             出石家老屋敷の展示品

  
             出石焼                          桂小五郎潜居跡

時計台(辰鼓楼)の下で (◇)

城下町そぞろ歩きし薄暑かな(◆)

 このところ気温の変動が大きいので、ほとんどの方が長袖シャツや上着姿だが、今日は天気が良すぎて、出石での散策はやや汗ばんだ。正に薄暑の季節だ。
 出石は歴史のある町なので観る所が多い。今回は出石城跡周辺だけになったが、ちょうと足を伸ばせば、但馬国一宮の出石神社、城下町を守る砦でもあった寺、見性寺(けんしょうじ)福成寺(ふくじょうじ)経王寺(きょうおうじ)、沢庵和尚が再興した宗鏡寺(すきょうじ)などの建物や庭園の観賞、東京大学初代総理(のちの総長)加藤弘之、天気予報創始者桜井勉、憲政の神様といわれ粛軍演説で有名な斎藤隆夫など、出石が生んだ偉人の生家や記念館を訪ねることもできる。
 宗鏡寺や出石城跡の紅葉が見事とのことなので、今度は秋に来て紅葉狩りと新そばで出石皿そばを賞味したいものだ。
 帰途も1時間ほど走って、「道の駅 まほろば」で休憩。よくこれほど広い敷地を確保できたものだと感心する。お土産や旬の野菜を物色して本日ラストショッピングを楽しむ。

 暮れなずむ季節、暮色に包まれだしたころ、スケジュール通り、茨木・高槻に帰ってきた。薫風のなか全身を緑に染めた旅をお開きにし、9月の再会を約して家路についた。


<俳句>桐山俊子(◆印)    <写真>竹内一朗(◇印) 永野晴朗(無印)    <文>永野晴朗