☆第51回 丹波篠山晩秋の旅

六古窯の一つ「丹波立杭焼」の絵付体験と絶品牡丹鍋の昼食。午後、「安泰山大国寺」のモミジ狩りと

篠山市立歴史美術館で篠山城主青山家の家蔵品と、特別展「丹波に伝わる仏教美術の粋を集めて」を鑑賞。
帰途、「JA丹波ささやま味土里館」・「お菓子の里丹波」で特産品をショッピング。丹波路に行く秋を惜しんだ。
平成22年(2010) 11月25日(木) 参加者25名


万葉の昔から秋は春より好まれていたようで、万葉集に、天智天皇が「春山万花の艶(しゅんざんばんくわのにほひ)」と「秋山千葉の彩(しゅうざんせんえふのいろ)」とを競わせた際、額田王(ぬかたのおおきみ)が「秋の山が好きだ」と答えた歌がある。(万葉集 巻1-16

 現代でも秋は、「スポーツの秋」「芸術の秋」「食欲の秋」など、さまざまな事に秋を付け親しまれている。今年最後の例会は、そんな秋を丹波路に訪ねた。

いつものように、本日のスケジュールや諸注意などの後、デカンショ節やゲゲゲの鬼太郎の作者・水木しげるの篠山時代、六古窯と丹波立杭焼など篠山に関する一般的な話と、今日の訪問先の説明などしていると、最初の訪問地「立杭陶の郷」に着いた。

立杭陶の郷

 丹波焼の開窯は平安時代末期といわれているが、その頃の窯は、山の斜面に溝を掘り上から蓋をした単室の穴窯であった。
 原料である陶土の調達と、程よい自然の地形から、三田市と篠山市の境界になる三本峠が、当時の丹波焼産地で今でもその跡が残っているという。

 三本峠から下った山間におよそ60軒、現在の丹波立杭焼窯元があり、そのほぼ中央に「丹波伝統工芸公園立杭陶の郷」がある
 

目映いばかりの雑木モミジを背景に、皆さん輝いて (◇)

 ここは、昭和25年設立の「丹波立杭陶磁器協同組合」が、組合員の製品受託販売、作品展示、陶芸教室実施などを目的として昭和60年にオープンした。

山の斜面を利用した広い敷地には、 ★窯元横丁(窯元の作品展示販売) ★陶芸教室(2箇所) ★伝習会館(2箇所。古丹波の名品から現代作家の最新作まで展示、映像による丹波焼の紹介や研修室) ★レストラン(獅子銀)などの屋内施設の他に、 ★登り窯 テニスコート ★バンガローなどの屋外施設があり、見て楽しむだけでなく、体験して学べる場となっている。

 早速、立杭焼の皿に絵付けをする。描き直しが出来ないので一発勝負。ちょこちょこと手直しすればするほど悪くなる。描き終わったものを所定の置き台に並べる。皆さん上手に描いている。焼かれると立杭焼独特の色合いになり、世の中に二つと無いお皿として届けてくれる。

          

   心をこめて絵付け (◇)

   

     よく描けました! (◇)

       
   

    傑作を前にして (◇)

和気藹々のうちに絵付けを終り、昼食まで自由行動。

 ため息のでるような古丹波を観る。写真撮影できないのが残念。 登り窯も見た。登り窯は、常滑や御在所岳近くの菰野陶芸村でも見たが、いずれも休止中のもの。実際に火が入った状態を見たいものだ。

レストラン「獅子銀」
 お待ちかねの昼食。4〜5人で一つの牡丹鍋を囲む。テーブルには、「一期一会」と題した敷き紙が置いてあって
★「ぼたん鍋の由来」 ★「獅子銀のぼたん鍋」について説明している。 
 それによると、猪肉は古くは体によい「薬喰」といわれたそうで、俳人与謝野蕪村が句を残している。とある。
 

しづしづと五徳居(す)ゑけりくすりぐい  〔蕪村句稿屏風〕

 また、獅子銀のぼたん鍋は

1、野生の3歳メス猪の柔らかい肉を使っている。 

2、自家製の味噌を独自の方法で調合して使っている。 

3、ぼたん鍋に入れる野菜や椎茸等は獅子銀所有の200アールの畑で作っていて、当日の朝採りしたものを使っている。とある。

 先ず、料理長が牡丹の花のように盛り付けられた猪の肉について説明。3歳のメスにこだわっているのは、猪は3歳になると交尾を始めるが、まだ子供を産んでいないので肉が柔らかいから。 また、肉の白い部分が多いのは天然の猪の証拠で、白い部分は全てビタミンB1。従って煮込んだとき油が出ないそうだ。

    料理長の説明に聞き入る (◇)

       
 店秘伝の味噌を調合したお汁の中に、ビタミンB1たっぷりの猪肉・白菜・ねぎ・千切り大根・水菜・椎茸・黒豆豆腐などを入れて煮込む。

美味しい状態で食べてもらうべく、ガスの点火から煮込みまで、料理長と一人の男性料理人がやる。丹波の猪肉が旨いのは、栗や松茸、山の芋、黒豆など丹波の特産物を食べ、起伏に富んだ山並を走っているからだ。などと話ながら、煮過ぎない状態で食べるよう、3回に分けて煮込んでくれた。 

      まずは乾杯! そして賑やかに、楽しく宴は続く (◇)

 確かに油は全然浮かんでいないし、いわゆる牡丹鍋独特の味噌のにおいもしない。こんな牡丹鍋初めてだ。最初の煮込み分を食べたら、手の甲がつやつやしてきた。肉も野菜も柔らかい。味が淡白でお汁が美味しい。

寒暖の差の激しい丹波で育った白菜などの浅漬けと、御飯で仕上げ。 ご馳走様でした。

【安泰山大国寺の紅葉狩り

 天台宗の古刹大国寺は、大化年間(645年〜650年)に、インドから飛来したという法道仙人が、国家安泰を祈願して、薬師如来を彫り安置して開創したと伝承されている。

       閑かさが戻った境内に黄色い笑い声が (◇)

天暦の頃(947年〜956年)兵火で焼失したが、正和年間(1312年〜1317年)に花園天皇の帰依により再興し、安泰山大国寺の称号を賜ったという。

 所在地は篠山市西部の味間奥地区で、刈り込まれた茶畑が畝を並べる鄙びた山里であるが、集落を通る道は、古代から播磨の西脇へ通じる主要道路になるそうだ。

重要文化財の本堂には、本尊の木造大日如来を含め重文5体の仏像が安置されているが、本日は拝観せずに篠山一番と言われる紅葉を愛でた。

松愛会の旗のもとハツラツと (◇)

    
   
 ライトアップ設備があるほどの境内のモミジは、出迎えてくれた住職が、「もう一週間早ければ…」と言われるように盛りを過ぎていたが、綾なすモミジの絨毯、はらはらと散る風情、可愛いお地蔵さんが案内する高台のお堂や社へのあじさい道、そこからの境内全域の眺めなど、いずれも素晴らしい景観で、行く秋を体感した。

      木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ  〔加藤楸邨(しゅうそん)〕

【篠山市立歴史美術館】
 篠山裁判所は、篠山藩庁の建物を使用して明治23年に民・刑事の一審のみを取り扱う地方裁判所になり、翌年当地に新しい庁舎を建築、以来昭和56年6月まで裁判所として使用した。

 重厚な建物は、木造建築の裁判所としては我が国最古のもので、重要建造物として永久保存するため、昭和57年3月20日「町文化財」に指定、4月には外観及び旧法廷を従来の姿で残して、その他は美術館にふさわしい内装に改築し、歴史美術館として開館した。

 篠山に伝わる武具、漆芸、絵画などをはじめ、篠山藩窯として行われた王地山焼(おうじやまやき)の名品、更に古代からの埋蔵文化財などを常設展示している。

   

訪ねた日は、丹波に伝わる 仏教美術の粋を集めて 仏教絵画を中心にと題する特別展開催中で、通常は観られない曼荼羅をはじめ、仏像や仏具を鑑賞できラッキーであったが、ここでも撮影は禁止されているので目に焼き付けるしかない。

唯一撮影可能な旧法廷は、これで裁判が出来たかと思わせるほど小さい部屋であった。室内は必要なものだけが簡素な造りで配置され、裁判官の衣服や傍聴人心得の掲示などと相俟って、往時の法廷雰囲気が伝わる。

JA丹波ささやま味土里館】
 帰途、採り立ての野菜を中心に、お米や米パン・精肉・加工食品・地酒などを販売しているファーマーズマーケットに寄る。確かに新鮮で安い。女性の目が輝く。頭の中を献立が駆け巡り、大きな白菜や大根を買っている。
 レジを済ませて荷造りするテーブルに行くと、包装用として古新聞を置いていた。野菜の包装には新聞紙が一番。さすがJA(Japan Agriculture)の店と感心した。

【お菓子の里丹波】
 取っ付きの本館では篠山の特産品が展示販売されている。一見すると本館だけのようだが、後に広い敷地が続いていて、★萱葺きの家 ★ミオール館 ★ドイツ館 ★薬師山山荘 などが点在する。それぞれ特徴があり、観光客が食事や買物で利用するほか、結婚式やパーティ、小グループの会合や食事会、法事などにも利用されている。

 
   
   
 
 今日は、いつもの「観る」「食べる」に、「体験する」を加え楽しいものになった。指先を使うことは老化の防止になるそうだから、これからも体験の機会を設けたいものだ。
 幸い天候にも恵まれ、多彩に丹波路の秋を満喫した。帰途も渋滞なく快調。5時、無事高槻に帰った。


<写真>竹内一朗(◇印) 永野晴朗(無印)    <>永野晴朗