☆第42回  綾部山梅林と船泊り室津逍遥の旅


播州綾部山の馥郁たる梅香を愛で

文人墨客が愛した万葉の船泊り室津を訪ねる

〔 平成20228() 〕 参加者32

11年目にして初めての観梅、干満の潮流に鍛えられた新鮮な魚介、2000年の歴史をもつ瀬戸内のふところ室津に、さきどりの春を楽しむ。

今年の2月は雪がよく降る。今朝もちらついた。

昨日、日記帳から大阪の平均気温を昨年と比較してみると、2月は最低気温で約3℃、最高気温で約4℃も低い。各地の梅だよりも遅れている。

観梅には早かったか…。

幸い好天に恵まれ、風もない。ゆっくり楽しもう。

JR茨木北口8時出発。快調なドライブ。 10時過ぎ、昼食場所の新舞子荘駐車場に着いた。

まず、梅見を楽しむことにし、梅林への上り道を歩く。


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綾部山梅林>

綾部山梅林は昭和43年に国有林を開墾し、実の収穫に適した玉英(ぎょくえい)・林州(りんしゅう)という白梅を植え付けたことに始まる。

なにしろ24haもの広大な面積なので、木が育つに従い見事な花園が展開した。

もともと眼下に瀬戸内海が広がる絶景地でもあったので、国有地の払い下げを受けて、昭和49年から観梅事業を始めたそうだ。

“山の色山の香や春近し”(◆)

セールス・ポイントは「ひと目2万本」「海の見える梅林」

5分咲きという「梅だより」に、一縷の望みをかけてきたが残念。咲き始めもいいところだ。

それでも、ぽつり、ぽつりの紅梅は見ごろ。眺望は文句無しに素晴らしい。菜の花の黄色い絨毯、家島諸島。小豆島もかすかに見える。


赤茶けた運搬用の軌道が出番を待つ 


“山の道眼下に望む花菜畑”(◆)

山頂付近の茶店で、入園料に含まれている梅ジユース、または甘酒を思い思いに頂く。

少し汗ばんだ身体に染み透る。

 “甘酒に舌づつみする梅見かな”(◆)



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昼食>
  
     ミツバチの巣箱も花の盛りを待っている

新鮮な魚介類と旬の食材を使った「菜の花御膳」を頂く。

 
「新舞子荘」は国民宿舎なので余計なサービスはない。 ご飯は各自装い御代わりフリー。

それゆえ価格は良心的。次々運ばれる料理。食の細った身を鞭打つように、茶碗蒸し、お吸い物と続く。
デザート、コーヒーでやっと終わり。 メタボもダイエットも、そんなの関係ない!大満足の昼食でした。

<室津>
 新舞子荘から、一旦内陸に向かうが、すぐ岩見港に出る。ここから七曲りの海岸美を楽しむと、もう室津だ。
 室津も綾部山も、このあたり一帯は御津町(みつちょう)になるが、名前の由来は、その昔、神功皇后(じんぐうこうごう)の御船が停泊したことから、「御津」と名付けたことによるそうだ。
 それはともかく、室津の発祥は、神武天皇の東征にあたり、先導役の賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)がここに港を開き、一人の翁と一部の人を残したのが始まりというから古い。


8世紀初めに編纂された播磨国風土記に「此の泊、風を防ぐこと室の如し、故に因りて名を為す」と、記されていて室津の名の由来になっている。鏡のような良港だったことがわかる。
 その後、行基の社会事業諸国行脚で「摂播五泊」の一つとなり、人と物資が行き交い栄えていく。中世には山陽道の遊女町として賑わい「室津千軒」の甍を連ねた。
 江戸時代、参勤交代大名・朝鮮通信使・江戸参府のオランダ商館カピタンなどが江戸への往復で、下船・乗船し隆盛を極める。風待ち・潮待ちのためか、「一宿一軒」が原則の本陣が6軒もあったというから驚く。
 明治になると、鉄道が内陸部に敷設され、宿場町としては衰退。 

熱のこもった柏山さんの説明に聞き入る (◇)


歴史とロマンの町、室津。防人が、赤人(あかひと)が妻子を思い、蕪村が遊び、西鶴、夢二、谷崎が作品を残した。近年では司馬遼、平岩弓枝も訪れている。
 この港には創作意欲を掻き立てる何かがあるのだろう。それを味わいたい。「御津めて室津観光ガイド」の柏山さんに案内していただいた。

◆室津海駅館
 江戸時代廻船で富をなした「嶋屋」の遺構。町の指定文化財。廻船・参勤交代・江戸参府・朝鮮通信使の4つにテーマをしぼり展示している。
                   「屋形船の間」の曲がり天井→

                         



朝鮮通信使「饗応料理」 同じ料理を積み上げるのが手厚いもてなしとか

◆室津民俗館

 江戸時代の海産物問屋「魚屋」の遺構。1階入口の吊り上げ式2重戸、急勾配の隠し階段、
凝った造りの奥座敷などに、姫路藩御用達の財力を見る。

◆賀茂神社
 室津が上賀茂神社の御厨(みくりや)であったことから分祀された神社。

 そのため上賀茂と同じ五社造りで、二葉葵紋章。
 本殿を正面に5棟の檜皮葺の社殿が五社造りといわれるもの。唐門と回廊も含め国重文。              

     
          “春の風京賀茂神社鎮座せり”(★)
 普通は本殿、幣殿、拝殿と連なるが、ここでは拝殿が境内を隔てて向かい合うという、非常に珍しい「飛び拝殿」形式。
 神社は港の突端の山上に海に向かって建てられている。これは忙しい漁師が出船入船の際、海上から礼拝できる生活の知恵。
 他にも神社の表門の両脇に仕掛けがあり、そこを通ると水で清めたことになるという水が貴重な土地の知恵も聞いた。

        パンフレットにない、取って置きの話を聞く (◇)→

 
 表門は「四脚門」という龍の彫刻で有名。両側の龍の足が馬の蹄になっていて「馬足の龍」と呼ばれている。
    



本殿前でガイドさんにも入ってもらって全員写真 (◇)


◆室津と文学

茂神社を後にし、風景を楽しみながら港の方へ帰る。
穏やかな海面に牡蠣の養殖筏が浮かび、唐荷島3島が望める。


 

☆万葉集(巻6-943山部赤人) 
  玉藻刈る辛荷(からに)の島に島廻(み)する 鵜にしもあれや家思はざらむ

“おだやかな唐荷の島の霞かな”(★)

与謝野 蕪村
  春の海終日のたりのたり哉
  梅咲いて帯買う室の遊女かな
  朝霜や室の揚屋の納豆汁

☆井原西鶴
江戸時代前期の俳人・小説家で、小説家としての処女作が『好色一代男』。 その中で
「本朝遊女のはじまりは、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
と書いたので、室津は遊女発祥の地として世間に広まった。

『好色一代男』はベスト・セラーになり、西鶴は室津を舞台にした好色物を次々発表する。
お夏清十郎の『好色五人女』をはじめ、『懐硯』、『好色盛衰記』、『新可笑記』など。
実在した遊女の足跡として、遊女・友君(木曽義仲の側室・山吹御前)の墓のある浄運寺、
遊女長者の花漆が草創したとされる見性寺がある。

☆谷崎潤一郎
谷崎は室町時代末期の播州大名が、室津の遊女「かげろう」をめぐって繰り広げる波瀾怪奇で幻想的な小説、
『乱菊物語』を書いている。昭和31年に映画化もされた。

耽美の世界を描いていた谷崎が、関東大震災で移住した関西の生活が長くなるに従い、
伝統文化と古典に眼を開き、『源氏物語』現代語訳や、大作『細雪』を書いていくが、
『乱菊物語』は、その古典回帰の先駆けとなった意味をもつ作品とされている。



なお谷崎が構想を練った「木村旅館」には、竹久夢二も逗留している。
彼は旅館の女主人をモデルにし、室津の町を背景に、あの独特の美人画を描いているのである。

バスの出発までの暫し、周辺をぶらついた。むき牡蠣に追われている作業場が土産屋になっている。
傍らでは焼牡蠣を惜しげもなく次々試食させてくれる。仄かな潮の香が鼻腔をくすぐる。
干物も安い。あれもこれも買いたいが今は独り暮らし、丸干し10尾だけに留めた。



“身を反らし室津の軒の干鰈”(★)
 
土産屋は数軒あるが、どこも値段は同じだという。競争よりも共存を願ってのことだろう。 
なにしろ海駅館や民俗館に残る「腰掛縁」を、新築の家でも取り付ける土地柄だ。 

2階の手摺をなぜ腰掛縁にしたかは、下を通る人を立って見下ろす失礼が起こらない工夫と聞いた。
その文化が今も健在なのだ。

出会う人皆さん穏やかな顔をしている。陶淵明の桃源郷の趣を感じる。

室津はゆっくり歩くのが似合う町である。


俳句:井元純子(★印) 桐山俊子(◆印)  写真:竹内一朗(◇印) 永野晴朗(無印)   文:永野晴朗