☆第37回  常滑     〔 平成18年9月8日(金) 〕

中部国際空港セントレアと

六古窯の一つ常滑を訪ねました

参加者43名

9月8日、白露。早朝の冷気が心地よい。

7時30分高槻市役所前を出発。今回はほぼ満席の盛況。

2回の休憩をとって11時頃セントレア空港に着いた。











  スカイデッキからの眺望
  伊勢湾が広がり開放感を味わう
  

ひと頃のような混雑はなく、
ゆったりショツピングを楽しんだ

昼食は隣接のセントレアホテル。 グルメ続きだったので、今回は手軽なバイキングで済ませた。
 食後、常滑「焼物の里」散策に向う。

常滑は中世六古窯の一つで、須恵器の壺・甕に始まり、900年の歴史をもつ。
明治からは、土管などの建材・衛生陶器・朱泥の茶器で名を広めた。
土管は新建材で打撃を受けたが、その技術をケーブル配管材や、
吸水タイルなどに活かしている。
信長の「禁窯令」で辛酸を舐めた歴史もある常滑を散策してみると、
いくつかの顔が見えてきた。

“常滑は土管の町

 常滑には石垣がない。御釈迦になった土管・酢甕が、家の土台や切通しの土留めなど、いたる所に使われている


  明治時代の土管は色が濃い


 写真を水彩画風に加工した風景 (桐山俊子)
“土管坂下り身を寄す瓢(ふくべ)棚” (★)     “常滑は常に滑る町

土地が粘土質なのでよく滑った。
滑り止めに土管の破片や焼き台を
埋め込んでいる。
 “常滑は風の町” 

 建物が入り組む狭い路地。平坦部はまれで、上り、下りでつながっている。
 この起伏が谷風を呼び込み、窯への自然の鞴(ふいご)となる。


   “秋暑し常滑古窯は坂の中” (◆)











  「焼き台」を敷き詰めた坂道

 “常滑は登り窯残す町


 登窯(陶栄窯) 国指定重要有形民俗文化財


明治20年頃の建築。
明治30年代後半、薪・石炭焼成の折衷式に改造。
20度の傾斜地に、八つの焼成室を連ねる。 全長22m、最大幅9.6m、最大天井高3.1m。

昭和49年1月の窯出しを最後に操業停止。 昭和57年、重要有形民俗文化財に国が指定。
通常登り窯は一室4昼夜焚く。 8室×4=32昼夜を11昼夜で済むように改善。
10本の煙突は高さを変えて均等に焼ける工夫をしている。 両端は燃えにくいので極端に高くなっている。作業場まで残っている登り窯は全国的に珍しいという。


 “常滑は
煙突残す町

かつて常滑には黒いスズメが飛んでいた。
それほど煙突が多く煤(すす)がたなびいていた。

 

時代の流れで使用されなくなったが煙突は窯場のシンボル。
 常滑の人は倒壊しないよう低くして極力残している。






いたる所でレンガ造りの煙突に出合えるのがうれしい。

散策は3班に分かれ、地元ボランティアガイドの案内で巡った。
真夏のような炎天であったが、路地を回るごとに変わる風景、
ガイドの興味深い話に時を忘れた。



土管の技術を活かした最近の製品 









ボランティアガイドの方が、常滑の特徴や歴史を懇切に話してくれた



 “秋暑きひとときガイドに耳を貸す” (◆)

行楽シーズン前のこの時季、工房やギャラリーは土・日しか開けず、ウイークデーには仕事をしているとのことで、ひやかすことができず残念だったが、人通りは少なく、町並や登り窯をじっくり見物し、「焼物の里」の風情を満喫するいい旅になりました。
 散歩道の起点(終点)に、常滑焼の物産館「陶磁器会館」があり展示即売している。垂涎(すいぜん)の作品を鑑賞し、手ごろなものをシヨッピング。


                 “思案して急須を買ひし白露の日” (★)


 晴天はありがたかったが、残暑厳しく、計画より30分ほど早く帰途についた。充実した気分でバスに揺られていると、後部座席の人より異常音がしたとのこと。
 近くの多賀SAで点検すると、後輪がまさかのパンク。約1時間でタイヤ交換。37回目にして初めてのアクシデントに見舞われましたが、無事7時30分高槻市役所前に帰着しました。

俳 句  : 桐山俊子()  井元純子()  水彩画風加工写真 : 桐山俊子
&写真 : 永野晴朗