第117回:11月 例会 竹内街道と「王陵の谷」散策

2012年11月8日(木)  参加者 62名

 11月8日(木) 快晴に恵まれ、近鉄上(かみ)の太子駅に62名の精鋭が集う。

まずは、壺井八幡宮へ向かい石段を登って参拝。樹齢約千年の天を衝(つ)く楠木に見入る。

 河内源氏の里へ。平安時代の武将、頼信・頼義・義家の源氏3代の墓を巡る。「吹く風を勿来の関と思へども道もせに散る山桜かな」 前九年の役と後三年の役で東国を平定した八幡太郎・源義家朝臣の立派な歌碑が印象に残る。ちなみに義家は清和天皇から7代目に当たり、11代目の頼朝が鎌倉幕府を開く。

 「上(かみ)の太子」と呼ばれる叡福寺(えいふくじ)に参拝。619年 聖徳太子がこの地に墓所を築き、3年後、斑鳩(いかるが)宮で亡くなられた。推古天皇が太子追福のため香華所として坊舎を建立され、聖武天皇が伽藍を建立された。

 その叡福寺境内に佇(たたず)む聖徳太子廟に恭(うやうや)しく参拝する。太子が自ら築造された巨大な円墳。
母・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后、太子、妃・膳部菩岐々美耶女(かしわべのおおいらつめ)の祠(ほこら)を配しており、「三骨一廟」と称せられる。

 聖徳太子御廟は、「王陵の地」の名をほしいままにしている。ここで全員が、本年逝去された真野様と清水様のご遺徳を偲び、黙祷を捧げる。

 
上ノ太子駅前をスタート

源 頼義の墓にお参り
 
鈴なりのミカン畑

尼寺西方院を抜けて
 
叡福寺(えいふくじ)に参拝
物故者の方々に、ご遺徳を偲び、黙祷を捧げる

聖徳太子御廟
   「和(なご)みの広場」が楽しい昼食と懇親の場と化し、昼食後の記念撮影も沸く。
 
昼食・歓談風景

飛鳥の里をPRする電柱宣伝塔
   前方に雄岳と雌岳の二上山を眺めながら、平坦な道を歩き、三叉路に到達する。
一般組(約1/3)は、竹内街道を往(ゆ)き、上の太子駅に帰着し解散。
健脚組(約2/3)は、竹之内街道を峠の方向へ進む。

清少納言が「枕草子」に美しい御陵の代表として「うぐいすの陵(みささぎ)」と紹介している大化の改新の時の孝徳天皇の御陵に参拝する。

 「竹内街道資料館」に入り、学芸員から当時の文化と歴史の移り変わりを学ぶ。竹内街道は、難波から二上山の竹内峠を越して奈良の当麻(たいま)・大和郡山に到る日本最古の官道。 「日本書紀」推古天皇21年(613)に「難波より京(みやこ)に至る大道(おおぢ)を置く」と記されている。大陸から難波に上陸した隋の使節もこの峠を越えて飛鳥に入ったという。実際、竹内街道は古風な民家と歩道が極めて良く整備されており、心豊かにUターンし、上の太子駅に帰着し解散。

 本日無事完歩された皆様とお世話いただいた3名の幹事に感謝します。


街道沿いの家々にオリジナルの竹内街道PRの花壇

雄岳と雌岳の二上山

聖徳太子「和をもって貴しとなす」
 
竹内街道の瓦葺の旧家


叡福寺隣の和(なご)みの広場で記念撮影
 



高槻1
22名参加されました。

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高槻2
18名参加されました。

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茨木摂津・他1
21名参加されました。

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世話役:平 英一、岩室 孝之、辰巳 寛康