第115回:9月例会 「 大阪歴史の散歩道

2012年9月21日(木)  参加者 56名

 第115回北摂歩こう会例会「大阪歴史の散歩道」

9月21日(金) 午前10時 初秋の晴天に恵まれ、JR大阪城公園駅に精鋭56名が集う。

JR大阪城公園駅→大阪城→難波宮跡→近松門左衛門の墓→高津宮→生国魂(いくたま)
神社→ 一心寺→JR天王寺駅

リーダーの平英一さんにコースを概説いただく。ストレッチは田村勲さんにリードしてもらう。

鬼門の青屋門から入り、極楽橋を渡って大阪城の本丸に入る。刻印石公園、残念石を経
て桜門の巨石に改めて驚く。

本能寺の変の翌1583年(天正11)、豊臣秀吉(1537〜1598)が天下の実権を握り、
石山本願寺跡に巨大な大阪城の築城に着手。本丸・二の丸・三の丸あわせて
周囲3里8町、八層とも九層ともいわれる天守閣を持つ巨城を築きあげた。
同時に城下町の整備・経営も進めた。

大阪城の魅力は、石垣の美しさにある。
築城にあたった西国大名が競って領地から巨石を運んだため、数多くの巨石が使われ
た。
特に桜門の蛸(たこ)石は、36畳敷で圧巻だ。岡山の池田藩からこの地まで船で運び、
上陸後どのように運んだのだろうか?

豊国(ほうこく)神社は、市民に親しみ深い豊臣秀吉が祀られており、参詣客が多い。

 

 
 
 
 
   残暑が厳しく、日影を求め、変わりゆく街(まち)の風景を眺めながら、平さんを先頭に
楽しく歩く。
追手門から出てNHK近くの大阪歴史博物館の下を廻り、難波宮跡へ入る。

古代、大阪は難波(なにわ)と呼ばれた。大陸と大和(やまと)・河内(かわち)を結ぶ
要衝の地であり、皇居が4度も置かれた。
@仁徳天皇(313〜399)の時、難波高津宮(たかつのみや)
A孝徳天皇(645〜654)の時、難波長柄豊崎宮
B天武天皇(673〜686)の時、難波宮
C聖武天皇(724〜749)の時、一時、難波宮が置かれた。

その難波宮跡で昼食・懇談となる。食後のデザートとして、柏原の農園からの
とれたての良質の種なし葡萄(50℃で洗浄)を美味しくいただく。

 
 
  近松門左衛門(1653〜1724)は、歌舞伎の名優・坂田藤十郎のために脚本を書き、
彼の名演技と相まって大当たりをとった。また、初代と2代目の竹本義太夫のために
浄瑠璃を書いた。
代表作は「曽根崎心中」「心中天網島」
冥途(めいど)の飛脚」「国姓爺(こくせんや)合戦」など。井原西鶴・松尾芭蕉と共に
元禄文化の花を咲かせた知の巨匠。
近松門左衛門のお墓に恭(うやうや)しく手を合わせる。
 高津宮に参拝。仁徳天皇を祭神とし、天皇が政務を行われたゆかりの地とか。

生国魂(いくたま)神社に参拝。社伝によれば、神武天皇東征のおり、社(やしろ)を
創建して政務を祈願したのに始まる。
本殿の屋根は「生玉(いくたま)造り」と呼ばれ、複雑に入り組んだ構造で、
独特の形をしている。
庶民から「いくたまさん」と親しまれている。

勝鬘院(しょうまんいん)(愛染堂)にも参る。愛染明王が祀られ、「愛染さん」と
親しまれ、愛敬・開運・商売繁盛の守護神として参詣客が多い。
 
 最後に一心寺に参る。法然の開山と伝える名刹。1614年、大阪冬の陣の時、
境内は徳川家康の本陣となった。
夏の陣の後、家康は大阪城の殿材で堂宇を修築した。
住職の本誉存牟(ほんよぞんむ)が両軍の無名戦士の遺体を集め、埋葬供養し、
塚の上に堂宇を建立した。
別名「お骨仏の寺」といわれるのは、全国から信者の遺骨を集め、お骨仏を
造立するところからでたもの。平日でも行列のできるお寺だ。

天王寺公園を廻り、JR天王寺駅にて午後2時半に終了し、解散する。
厳しい残暑にもめげず、約11kmを完歩された56名の
北摂歩こう会の健脚仲間に乾杯!
 
 


生国魂(いくたま)神社』前で記念撮影
 



高槻1
14名参加されました。

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高槻2
16名参加されました。

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茨木摂津・他
22名参加されました。

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 文 :  辰巳 寛康
写真 :  仲尾 富三
構成 :  庄子 義明