第108回:11月例会 「秋の嵐山満喫・奥嵯峨コース

2011年11月10日(木)  参加者 66名


 11月10日(木)、66名の皆さんが阪急電車 嵐山駅」の駅前広場に集合。
あいにくの曇りがちの天候でしたが、錦秋織りなす嵐山・奥嵯峨が迎えてくれました。
山の景色は黄や紅に美しく染まるまでにはなっていないものの、やっと秋の深まりを体感
しながら楽しく元気に歩きました。


秋山リ-ダ-より本日の行程の説明がありました。

ジックリとストレッチを行って嵐山へ踏み出しました




阪急電車 嵐山駅」嵐山・嵯峨野を散策する人たちでにぎわう

大きく変化した嵐山駅の玄関口ー大ホテルの出現
   
本日の天候は大丈夫らしいヨ!!
 
いつになったら紅葉にお目にかかれるのかな~の声しきり
   
秋山リ-ダ-が本日の行程を説明
 
秋山リ-ダ-の掛け声で全員でストレッチを実施
     ◆◇嵐山
  清流保津川が嵐山(382m)、小倉山(386m)の間を
 抜けて京都盆地に入り、大堰川とその名を変える。
 このあたりは平安時代には大宮人の、江戸時代には
 庶民の遊楽の地となった天下の名勝といわれる。

  桜や紅葉が嵐のように舞うところから山名が
 ついたとされる。
  
大堰川に架かる渡月橋を中心に、嵐山・小倉山を
 含めた一帯が「嵐山」と総称されている。

 四季折々の山水美を見せてくれる。

  渡月橋は、承和の840年ごろに架けられたとも
 いわれ、亀山上皇が「その姿が満月が映された川を
 渡るのに似ている」ということで、命名されたと
 いう説があるようです。
    保津川を開削した「京の豪商:角倉了以(すみのくら りょうい)が現在の位置に架けたといわれる。
現今の橋は、昭和9年(1934年)に架けられた鉄桁鉄筋コンクリート製のもので、長さは155m。

嵐山の中腹にある「千光寺大悲閣」は角倉了以の創建による黄檗宗の寺です。
高瀬川・保津川をはじめ、多くの川の開削疎通に尽力した角倉了以の像 及び石碑が立っています
   
阪急嵐山駅から桂川右岸のサイクリングロードを松尾橋へ。橋を渡りほどなく梅宮大社に。
梅宮大社は橘氏一門の氏神として知られています。

 
 
桂川沿いに走るサイクリングロード
 
「松尾大社」をバックに「松尾橋」を渡る
 
初詣は大賑わいするらしい「梅宮大社の社殿
 ◆◇『梅宮大社』(うめのみやたいしゃ)
 
 酒造の神、また子授け・安産の神として信仰されて
いる。
初めて酒を作って神々に献じた酒造の祖神である
酒解神(さかとけのかみ)、およびその御子神で
ある酒解子神(さかとけごのかみ)を主祭神とし
て本殿に祀る。

 嵯峨天皇の皇后が祈願したところ、仁明天皇が
生まれたという伝えから、子宝・安産の神社でも
ある。

 
橘諸兄氏一門の氏神として山城国相楽郡に創建された
のに始まる。平城遷都で奈良に、平安遷都の際、
現在地に遷座された。

 
有栖川」沿いを歩くと、「嵐電 嵐山線」が目の前を走っている
 
嵐電嵐山本線の「車折駅」前に「車折神社
 
 心願を神石に祈願し、成就したらお礼の石を奉納する習わしがあり、社前にうず高く神石が盛られている
 
「芸能神社」に名前を掲げたい人は多いだろう
 
 ◆◇『車折神社』(くるまざきじんじゃ)

 平安時代の有名な学者:清原頼業(きよはらのよりなり)
を祀る。


清原頼業は平安時代後期の著名な漢学者・儒学者であった。

その聡明さにあやかって学問の上達・商売繁盛の
神様として信仰される。
 
参拝者の絶えない神社であり、心願を神石に祈願し、成就したらお礼の石を奉納する習わしがあり、社前にうず高く神石が盛られている。
 
  境内社の「芸能神社」は天宇受売命を祀っており、芸能・芸術の分野で活動する人々より崇敬を受けている。

社名の「車折」については、ある人が牛車に乗ったまま社前を通ったところ、突然車が裂けてしまったとも、嵯峨天皇が大堰川遊行の際、社前で突然車が前に進まなくなったので、不思議に思って社の者に問うたところ、頼業公を祀ると答えがあったので、帰途の折に「車折大明神」の神号を贈ったためともいう。
 
   
広沢池へは、有栖川沿いを北に向かって前進します。
丸太町通りに出て遍照寺の横を通り、
観月の池として有名な広沢池に到着。
広沢池に映る紅葉の山々を眺めながら昼食をとります



千代の古道から、パット目の前に広がる広沢池
満面に水を湛えている

これだけ広大な池を掘るのはいかにして??
 
寛朝僧正に仕えていたちごは、僧正が死ぬと悲しみの
あまり池に身を投げて死んだとのこと
児社(ちごのやしろ)は池のそばにある
 ◆◇『広沢池』(ひろさわのいけ)

 御室から嵯峨野に抜ける途中、桜や楓の堤に囲ま
れ、穏やかな山容の遍照時山を背景として、清らかな水を湛えて「広沢池」がある。周囲1km。水面に逆さに映る山影が微かに風に揺れ、山水一体となったその景色は、いかにも日本人好みの山水画の世界そのままである。

 広沢池は何といっても月の名所として知られた所である。
山影は黒いシルエットとなって浮かび上がり、水面には月が宿る。芭蕉でなくとも池をめぐりて夜もすがら月を眺めたくなろう。

広沢池は、宇多天皇の孫である寛朝僧正が遍照時を造営するにあたり、池として造ったと伝わる。
今は遍照時はなく、観音堂があったという
観音島にその名を残しているのみである。
月は今も昔も変わることはないが、人の営みは常なることはない。
 
広沢池湖畔での昼食懇談会。皆さんの顔も紅葉に染まる
 
月はないが王朝人になりきった気持ちで風情を楽しむ
 
行列のできる店は何の店??
 
何と「男前」も青くなる豆腐を売るお店でした
   
平安前期の貴族の庭園を今に伝える広大な池

◆◇
『大沢池』(おおさわいけ)
 
 大覚寺のすぐ東側に広がる大沢池は、東西265m、
南北185m。国の名勝に指定されている。

ため池ではなく、平安時代の庭園遺構である。
嵯峨天皇の離宮の造営にあたり、中国の名勝である
洞庭湖」を模したものである。
中の島は、大きい方が天神社のある天神島、小さい
方は菊島という。
両島の中間には水中に石が立てられている。
歌枕として名高い「
名古曽の滝(なこそにたき)址は、
早くに水は涸れて池の北岸から奥に入った藪の中に
ある。
池の北西には、昭和42年に建てられた心経宝塔が
あり、景色にアクセントを与えている。
 
 
開放的な明るさで、中の島も見える
 
月はないが「洞庭湖」を模したという広大な湖
     ◆◇『大覚寺』(だいかくじ)
 
 平安時代元、
嵯峨天皇の離宮だったところで、当時
は嵯峨院と呼ばれた。後に嵯峨天皇の皇女で淳和天皇の皇后となった正子内親王が寺に改めたことに始まる。
次に藤原良房による「
承和の変」後に嵯峨院に隠棲した正子内親王が大覚寺と命名した。

鎌倉時代には、後嵯峨・亀山・後宇上皇がここで院政を行い、
嵯峨御所と呼ばれた。

後醍醐天皇も一時ここで親政を行い、南朝へと続くこの皇統が、
大覚寺派と呼ばれることになる。
また南朝最後の後亀山天皇から北朝の後小松天皇へ皇位が継承されたのも、この大覚寺においてである。
  その後、応仁の乱で衰微したが、信長・秀吉・家康らの式保護を受けて復興した。
宸殿など建物には、狩野山楽筆の「牡丹図」・「紅白梅図」など、狩野派の手による豪華な襖絵多数あり、いづれも重要文化財に指定されている。五代明王をまつる五代堂の観月台から一望できるのは、嵯峨院当時の庭園の遺構で、国の名勝に指定されている大沢池。
 大覚寺は真言宗であり、大覚寺派の本山である。
 
大覚寺の堂宇では小規模の「御影堂」大きさがうかがえる
 
御所にふさわしい華麗な建物がひしめいている
 
清涼寺光源氏のモデルになった源融の山荘を起源とし、本尊の釈迦如来立像(国宝)は宋から持ち込まれた
◆◇『清涼寺』(せいりょうじ)
 
 通称「嵯峨の釈迦堂」。
日本の国宝でありながら異国で作られた釈迦像で知られる。
もとは嵯峨天皇皇太子左大臣「源通」
(みなもと とおる)の山荘がはじまり。
入宋した僧が太宗皇帝から下賜された、模刻像の釈迦像を日本に持ち帰った。その後数々の変遷を経て、清涼寺に釈迦像は安置されることになった。
この本尊は、インドの王が釈迦生存中に造らせたと伝えられる像が中国にもたらされ、さらにその模刻像が日本に伝わったということが判明された。「三国伝来」といわれるわけである。

仏教がインド・中国から日本へというルートを実感させてくれる高さ162cmの像である。
他に創建のころからの阿弥陀三尊像が収蔵されている。
 
落柿舎は芭蕉の門人“蕉門十哲”・向井去来が結んだ庵である

日蓮宗「常寂光寺は、京都屈指の紅葉の名所で赤く燃える紅葉のトンネルのよう。 茅葺きの仁王門の石段で有名 
 
今回はチョットかすめた「竹林の道」。いつ来ても嵯峨野の代名詞は風情に溢れている

小倉山麓の「亀山公園」は、眼下に
嵐峡を見下ろせる、桜、紅葉の名所
 
千光寺大悲閣角倉了以が創建した、黄檗宗の寺院
◆◇『亀山公園』
 
 嵯峨の釈迦堂」。京都市右京区の嵯峨亀ノ尾町にある公園。
嵐山公園の一部である。

 公園内の高台に亀山天皇を含む3天皇の火葬塚にちなんで、亀山公園と通称されている。
東隣は天竜寺、北隣は大河内山荘があり、嵯峨野めぐりの重要なルートの一つである。
嵯峨野観光鉄道のトロッコ嵐山駅が近く、園内の展望台からトロッコ列車を見ることができる。

保津川に面した公園の南の入口に中国の「周恩来」が京都留学中に嵐山で作ったといわれる「雨中嵐山」の詩を刻んだ石碑があり、中国からの要人をはじめ、中国人観光客が多い。
 
平安時代の貴族の舟遊びがしのばれる大堰川の水面
 
 「渡月橋」から、いつ見ても、何回見ても絶景てす
 
  「渡月橋」を渡って今回も全員完歩。お疲れさまでしたでした
 
 「嵐山駅」で秋山リーダから解散あいさつ、ご苦労さんでした
   今回は京都の狭い路地をアチコチとまわりました。
また、かなりの歩行距離で迷うこともなく完歩できました。リーダーの皆さんご苦労様でした。

 紅葉の名所はたくさんある。今回は嵐山から奥嵯峨をまわってみましした。
どこもいまだ紅葉にはいたっていないものの、紅葉直前で充分に想像できる状態でした。
すばらしい。 どこも、社寺の入口あたりから、いや、その手前の町の気配からすでに、
色とりどりの「美」が連続する。 艶やかと呼べるほどの色づきに包まれている。
静かに躍動する色彩に圧倒されるしかない・・・・・・・・という想像が強くできました。

ご参加いただきました66名の皆さん本当にごくろう様でした

おそらく数日は紅葉の風景・色彩がまぶたに焼きついたままでしょう。

次回、12月例会は「12/8(木) 疎水から哲学の道を歩く」です。
文化に満ち満ちた京都をめぐりましょう。(
今度こそは紅葉が堪能できるかも??)
多くの皆様方のご参加をお待ちしています。


大覚寺大玄関を背景に記念撮影
   


高槻1 
16名参加されました。

ありがとうございました。

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高槻2 
24名参加されました。

ありがとうございました。

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茨木摂津・他
26名参加されました。

ありがとうございました。

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今回の【世話役】  秋山 充久  辰巳 寛康  河井 進