第107回:10月例会 「信仰の山・妙見山を登る

2011年10月13日(木)  参加者41名


 10月13日(木)今年度の北摂歩こう会の行事日を象徴するような、朝から曇天の下、41名の
皆さんが
能勢電 妙見口駅」の駅前広場に集合。

田村リ-ダ-より本日の行程を説明しました。
深田茨木摂津支部長より「10/24からの都市対抗野球大会」への応援お願いの話がありました。

ジックリとストレッチを行って登りへ踏み出しました


 
阪急電車「川西能勢口駅」より、
能勢電鉄妙見線に乗り換え

能勢電鉄「山下駅」より日生中央行きと別れ、妙見口駅へ


妙見口駅、今朝も小学生団体と一緒になりました

深田支部長のお話、・田村リーダー本日行程を説明
   
田村リ-ダ-の掛け声で、全員でジックリとストレッチを実施

◆◇『能勢電鉄』
 
 能勢電鉄の開業は大正2年(1913)で、大正12年に
は妙見線が全線開通している。元来妙見山の参拝者
や沿線の特産物などの輸送を目的としていたが、
現在は兵庫県川西市の川西能勢口から、妙見山の麓
にある妙見口と日生ニュウータウンのある日生中央
とを結ぶ重要な交通機関となっている。
週末ともなれば、清和源氏ゆかりの社寺旧跡や
多田銀銅山などを訪ねる歴史ウォーカーなども多い
そうです。
妙見ケーブル・妙見リフトも戦時中に撤去されて
いたが、能勢電鉄が昭和35年に復興させた。
下線部のケーブル623m、
    上線部のリフト573mで
標高660mの妙見山までの道のりを繋いでいる。
  ◆◇『能勢町』(のせちょう) 
 大阪府最北端に位置し、町のほとんどは山林・田畑で
ある。
「大阪の軽井沢」「大阪のチベット」と表現されるように、
町内全域が標高200m地帯で大阪市内と5 - 6℃気温差
があり、夏は涼しいものの、冬は毎日のように氷点下まで
冷え込む。
1956年(昭和31年)豊能郡能勢町が誕生。
豊能町・亀岡市・川西市・猪名川町・南丹市・篠山市と
隣接している。
能勢妙見山は寺域の一部が豊能町。
寺務所は能勢町に所在している。

江戸時代から今日まで活動が続けられている
「能勢の浄瑠璃」が著名である。
◆◇『豊能町』(とよのちょう) 
 1977年(昭和52年)町制により、豊能町誕生。
町域は妙見山を隔て西地区と東地区に二分される。
能勢町と兵庫県川西市の2つの他の市町を通過しないと行き来ができなかったが、2007年5月30日に開通した止々呂美東西線の開通により、箕面市を通過することになるものの山道の峠越えは解消され、大阪府域のみで通行することが可能となった。

また東地区南東部の高山地域は「隠れキリシタンの里」としても有名。
高山右近の生誕地でもあり、東地区の隣接地域である茨木市千提寺地区には隠れキリシタンの資料館がある。また、将来開通する新名神高速についてはこの高山地域南部を掠る程度で通過する。

   
妙見口駅を出て、すぐ前の舗装された道路を左へ、なだらかな坂道を登っていくと、左手に
小学校がみえてくる。程なく広い2車線の国道に合流、横断歩道を渡ると「新滝道」へは
案内標識に従って左に道をとる。車道に沿って歩道を歩くと「ケーブル黒川駅」に到着、駅の右側を抜ける急な登り道を進み、橋を渡り川の右岸を歩く。
ここから、山頂までひたすら急な登り道を行くことになる。

 
 
妙見口駅前は、かっては参拝者用の旅館が立ち並んだ
今も
妙見さんの門前
町としての名残を漂わせている
 
ケーブル黒川駅
小学生がケーブルに乗るのを横目に右の登山道へ


カラーのかわいいケーブルカー
50年間走っている

ケーブル黒川駅の右側から登山道に入り、山上を出発点と
して、岡山県までつづく自然歩道を歩くコースです
 
のどかな入り山麓の中「新滝道」の登山口」へ
「能勢妙見」の鳥居をくぐる。このころより雨足が強くなる
 
谷川のせせらぎを聞きながら小休止
   道は比較的整備されている。
橋を渡ったら「能勢妙見の鳥居」をくぐり、谷沿いの道を登っていく。
この新滝道は明治時代に造られたもので、途中に鳥居や石碑が立っている。
「雄滝行場」を右下に見ながら一休み、更に階段を上り、また自然道を登り、階段を
上がりと繰り返すうちに、標高「660メートルの山頂妙見山」に到着。

先ず参道入り口で記念撮影した。昼食と「妙見諸堂」を見学。
参拝の時間を充分に取った。



能勢妙見の鳥居をくぐって、、「白滝稲荷神社」
雄滝行場」渓流に沿ってある

白滝稲荷神社うっそうと茂った木立の中にある
 
妙見山の信仰は修験道の道場でもある
滝に打たれての修業も重要なも信仰である
 
「雄滝行場」:。滝の信仰との結びつきが昔より見られる
 

◆◇日蓮宗霊場『能勢妙見堂』 
 
 能勢妙見堂は、現在日蓮宗信者の信仰の中心となって
いるが、もとは妙見宮で、妙見大菩薩を本尊とする神社
であった。

能勢の歴史を語るうえで忘れてはならないのは妙見山の
存在です。
全国でも能勢妙見としてその名を知られる信仰のメッカは、
能勢一族中興の立て役者である能勢頼次が山上にお堂を
建て、妙見菩薩を祀ったという比較的歴史の新しい
ものです。
元々は能勢氏の守護神とされていたようですが、いつの
まにか世上に霊験あらたかという評判がたち、関西一円
から参拝者が訪れました。
本堂前の絵馬堂を見ると北辰結社の額が目にとまる。
これは北辰信仰を示すもので、絵馬の中には明らかに
北斗七星が描かれている。

北斗星・北極星を神格化した
北辰妙見大菩薩が祀られており、その昔より旅人の指針として仰ぎ見られた星
ということから人生の道を導き開いてくれる開運の守護神とされてきた。
また妙見の
「妙」には妙なる美しさ「見」には姿の意が込められ歌舞音曲を志す人々にも信仰された。
四代目中村歌右衛門が願主となった「
歌右衛門の浄水」は今もなお参拝者に愛され続けている。

このように多彩な信仰が現在では日蓮宗のもとに統合されている。
江戸初期、能勢頼次公が身延山の日乾上人を請じて領内の改宗を行なったことによるものである。
この日乾によって能勢の寺々では日蓮宗に転宗したものが多い。


元亀・天正の頃に摂津国能勢郷を領していた能勢氏は、清和源氏の流で能勢頼幸・頼次父子は
信長や秀吉の旗下にあり、能勢妙見堂に見られる寺紋は、能勢氏の「切り竹矢筈十字」紋に由来
しているが、能勢氏はキリシタン宗徒であったと言われているので、当初は十字架であったようだ。

同様にキリシタン大名として有名な「高山右近」も豊能町の出生です。
これらの結果が茨木市北部の千提寺地域の隠れキリシタンへとつながっているのであろう。


   
能勢頼次公の銅像。能勢妙見山を開基した人で、戦国時代から
江戸時代にかけて活躍されたそうです。一時期滅びた能勢家を再興させた能勢中興の人として知られているようです
 
能勢妙見山の境内案内図
   
武士を祀っ。ていることから馬像あり。
今にも走りそうな勢いあり
 
山門の屋根にも、能勢氏の家紋「矢筈」あり


本堂前の絵馬堂には北辰結社の額が掲げられている

 開運堂のまん幕にも至るところに「矢筈」あり
 
四代目中村歌右衛門が願主となった歌右衛門の浄水は今もなお参拝者に愛され続けている。
 
すべての建物で目にする「矢筈(やはず)十文字」がある能勢氏はキリシタン大名であったので十字架を家紋とした。
 
あまり広い場所ではないが 一番大きな建物が寺務所でした。
建物が参道の両脇にこじんまりときれいに並んでいました。

「日蓮上人」の像。 橘の紋は日蓮の紋章である
   
妙見大菩薩は、太古の昔より凛々と天空に輝いて北を指し示す北極星(不動の北斗)を真理の象徴とする北斗信仰が起源となっています。
星嶺は、この妙見大菩薩の降臨をイメージし、信仰のルーツである「星」と能勢家の家紋である「矢筈」をモチーフにデザインされています。
ガラスと木で構成され、真上から見ると矢筈が浮かんでいる極めて象徴的な外観を持つ星嶺は世界的な建築家高松伸氏の設計です、第40回BCS賞(建築業協会賞)に選ばれました。
 
 妙見山頂上、妙見堂境内での昼食懇談会。
 少し天候的に寒いこともあってか、カンをつけるグループもあり。
 いや~コーヒーですヨの声あり。
 「大阪のチベット」ではないが頂では寒くなる天候でした
   
雨も相変わらず降って、午後の活動前の雨宿り風景
 
下りは「上杉尾根(稜線展望)コース」
午後の活動前の雨宿り風景
 
樹間の道、笹のトンネルをり楽しみながら尾根(稜線展望)を歩く
途中、眼下にときわ台、光風台方面を一望できる場所があり
絶景でした
 
上り新滝道コース 3㎞。 下り上杉尾根(稜線展望)コース 5㎞
全員完歩。お疲れさんでした
   
 年1回の登山ということであり、今回の世話役の皆さんは非常に苦心・工夫を重ねられました。
妙見口から妙見山頂上へのルートの3コースをそれぞれ歩かれて、最終的に今回の上り・下りの
ルート決定をしていただきました。
おかげで、途中で雨に濡れたコースも全員無事に踏破できました。

ご参加いただきました41名の皆さん本当にごくろう様でした


次回、11月例会は「11/10(木) 秋の嵐山満喫・奥嵯峨コース」です。
紅葉の中、嵯峨野をめぐりましょう。
多くの皆様方のご参加をお待ちしています。


妙見堂の山門を背景に記念撮影
   


高槻 
20名参加されました。

ありがとうございました。

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茨木摂津・他
20名参加されました。

ありがとうございました。

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今回の【世話役】  田村 勲  岡村 肇  多田 章子