登山No.3 天狗道から摩耶山に登る

2009年12月10日(木)  参加者26名



 初冬の12月10日(木) 9時 新神戸駅に精鋭26人が集う。六甲全山縦走路最難関の「天狗道」から六甲山系第二の高峰・摩耶山(702m)への登山を目指す。

 リーダーは六甲全山縦走のベテラン・仲尾会長。軽いストレッチの後、山道をおもむろに登り始める。生田川の下流で「布引雌滝」、上流で「布引雄滝」に出くわす。特に広大な岩壁に沿って、大量の水が50mも落下し続ける雄滝は、寂しい山の冬景色の中で凛とした美しさが際立ち、圧巻だ。しばらく見とれてしまう。

 さらに登ると「五本松堰堤(えんてい)」の表示に出会う。急な階段を登り切るや満々と水をたたえた「布引ダム」の貯水池が悠然と現れる。「布引ダム」は、日本最初の重力式コンクリートダムだ。 1892(明治25)英国人William Burton(ウィリアム・バートン)が原案を作成。 6年後佐野藤次郎が設計し、1900(明治33)竣工。 布引渓流(名水100)を布引の滝(日本の滝100)の上流で堰()き止め、布引貯水池(ダム湖100)を形成する。岩盤の割れ目や土砂の中にセメント・ペーストを注入して湧水や漏水を防ぐグラウト工法を採用し、一滴の水も無駄にしない。 神戸市民の上水道専用ダムで2006年重要文化財に指定された。
 

 人気(ひとけ)の無い「紅葉茶屋」を通り、紅葉の名所「市が原」に到る。この「市が原」から「摩耶山頂」までが六甲全山縦走で最もきつい標高差450mの登りとなる。 「桜茶屋」前で休息し、汗ばんできたので軽装にする。険しい「稲妻坂」をなんとか登り切る。平坦な尾根筋を行き、「学校林道出会い」に到る。

 いよいよここから胸突き八丁にさしかかる。六甲三大急登のひとつ「天狗道」の登りだ。かなりの段差のある厳しい上り下りを幾度となく繰り返す。もういい加減にしろと開き直って前進する。 大きな石に〈ころころ坂〉とあり、ころげてたまるかと奮起する。岩に四つん這いになって、やっとよじ登れる所も。やがて摩耶山のテレビアンテナ塔が林立するのが見える。やれやれ。


 全員が最後の踏ん張りを見せて、摩耶山頂近くの「掬星台」(きくせいだい)に到着する。「摩耶山」の名は、空海が天上寺にお釈迦様の生母・摩耶夫人(ぶにん)像を安置されたことに由来する。 「掬星台」は、あたかも両手で夜空の星を掬(すく)うかの如く、眼下の光粒を掬えそうな阪神間の1,000万ドルの夜景を楽しめる展望台の意。昔は100万ドルの夜景と言ったものだが。日本三大夜景のひとつ。 他は、函館山から望む函館市と稲佐山から望む長崎市の由。掬星台からの昼間のパノラマも雄大で絶景だ。 瀬戸内の近景では、関西空港、尼崎プラズマ工場、六甲アイランド、ポートアイランド、神戸空港、瀬戸大橋、淡路島。遠景では、雄岳・雌岳の二上山、葛城山、金剛山さらには大峰から熊野に到る紀伊半島の山系まで。

 なごやかな昼食と懇親の場では、温かい飲食物の差し入れが有難い。 急に冷え込んできて、厚着に戻す。精鋭26人全員による記念撮影を実施。 一次解散。


 一般組(8)は、摩耶ロープウェイで下り、バスで阪急六甲駅へ。
 元気組(18)は、青谷道(健脚コース)を通り、阪急王子公園駅まで歩く。 出発直後、足を吊った人が出て、数分間回復を待つ。 そして全員が極めて快調なペースで下山する。
  途中、旧天上寺伽藍跡を通る。 1976(昭和51)失火により多宝塔や伽藍が全焼。 門のみ残存。 但し、天上寺は掬星台から北へ700mの摩耶山上に再建されているので、ご安心あれ。
 下山は約2時間の予定だったが、なんと1時間25分で達成。 幸い、薄曇りで雨にも遭わず、猪、あらい熊、蜂にも出くわさず、初冬の厳しい登山を楽しく無事完了。

 最後に参加者名を記して、お互いの健闘を讃え合い、感謝の意を表したい。


上林佐喜男 後昇 大野弘雄 隠岐洋之助 近藤健二 近藤恵美子 新宅直幸 
新矢千代江 辰巳寛康 仲尾富三 橋木悦男 服部うた子 浜井信行 細野宇一
森田晶 柚木進 岩室孝之 岡村肇 尾崎博 田村勲 野崎昭子 冨士永義文
松下寛 深田剛輝 松平はま子 谷田透




         世話役:仲尾富三 田村勲 岡村肇 
         文  :辰巳寛康
         写真 :仲尾富三