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Last updated :11/11/2012

  第57回 愛媛地区 歩こう会のご報告

第57回 歩こう会『旧日吉村』ウォークが予定通り行われました。
 奥伊予で江戸時代に起こった百姓一揆、日本でも数少ない農民側の
完全勝利の舞台となった、鬼北町日吉の武左衛門一揆の跡を訪ね歩きました。
  このコースは過去二回計画しましたが、いずれも天候不良で中止になっておりました。
  絶好の晴天とfまいりませんでしたが、うす曇ながら秋の訪れを満喫
  来月のウォークの計画確認を最後にウォークは無事終了しました。


日   時 : 平成24年11月10日(土)
 集合: 北宇和郡鬼北町 道の駅『日吉夢産地』駐車場    10:30
 解散: 西予市城川町   ギャラリリー城川駐車場       14:45
参加人員 : 総勢 10名
天   候 : うす曇、微風、絶好のトレッキング日和でした。
徒歩距離 : 約10km
内   容 :

県内で、南予・中予・東予と場所を移してのウォーク、今回は南予でしかも典型的な中山間地域の旧日吉村の、秋真っ盛りの農山村の美しい風景を満喫したウォークでした。

伊達政宗の長男が藩祖の宇和島藩の分家吉田藩の農民が、厳しい租税と副業の和紙漉きの利益を独占しようとした、藩と商人に一人の優れたリーダーのもと、周到な準備で果敢に挑んだ一揆、農民の完全勝利は、日本中のおびただしい一揆でも、特筆される武左衛門一揆の跡を辿る歩こう会、参加者からは、郷土の歴史に関心をもつきっかけなるすばらしかったという感想が聞かれました。

↑57部回歩こう会参加の顔ぶれです 武左衛門一揆史跡にて
 
【ポイント説明】

スタート地点は、北宇和郡鬼北町日吉の道の駅「日吉夢産地」で、伊方、宇和島、大洲、松山、西条方面から集合、いつものようにミーティング開始です。

最初は、10/1日付け転入の玉井会員の紹介、大野世話人のコース・予定説明
樋田会員から見所と、一揆のリーダー武左衛門についての説明がありました。

最初に訪れたのは、一揆のリーダーの武左衛門のお墓でした。

墓は移設されたことが明らかで、比較的新しい工事でした。

背後の銀杏の大木は瑞林寺が創建された当時の名残でしょうか。

ここから広見川の清流に沿って上って行くと右手に戦国時代の勝山城跡がありますので、現在はイノシシさんの根城になっているのですが、表敬訪問をしました。

イノシシさんの根城は、特別につくられた丈夫な網を左右にスライドさせるだけで開けることが出来ますが、恐らくイノシシの体当たりでは、ビクともしないものでした。

そこから軽トラックが上る道を進みますと、戦国時代の山城・勝山城跡の手前に写真の碑がありました。側の槙の木枝が覆い隠そうとしておりました。

特に碑の説明はありませんが、かつては、ここに武左衛門の墓があったのではないでしょうか。

毎日お墓にお参りするには不便だから、瑞林寺跡に移したのでありましょう。

町の教育委員会による勝山城の由来が詳しく書かれた案内板がありました。

いろいろ書いてありますが、日吉村誌が伝えるには、戦国時代に土佐の長曾我部侵攻の時落城した説もあると書いています。

一方、関が原合戦の二年後に、大洲城の城主戸田勝隆が宇和郡一円を治めていた西園寺公広を毒殺、その領地を奪い取った時廃城という説も紹介しています。

さらに、この城は、広見の多武森城の枝城で、宇和島城藤堂高虎の支配下にあったが、多武森城主の芝一覚は土佐と内通する恐れがあるとして、毒殺していますから廃城は高虎だったかも知れません。

勝山城から下山する細い道の左手は柚子が栽培され、黄色の実がたわわに実っておりました。

日吉村時代に整備された、文化の里明星ヶ岡にある歴史資料館の一揆記念館で一揆当時を再現したDVDを15分間見ました。

武左衛門という人物、リーダーの資質と手腕は、現在の日本社会の体たらくから脱却を任せるに足りるリーダーだと確信しました。

この建物の隣にある、大正時代の藁葺きの民家の座敷を拝借して弁当を食べ、情報交換をしました。

大正時代の藁葺きの民家「草庵」の隣に、義農武左衛門の遺徳を偲び、彼の供養をするための武左衛門堂が建立されておりました。

説明文には  といったことが書かれていました。

一角では日吉神社の秋の例大祭が終わり、献灯のちょうちんを片付けていました。

ここから、駐車場へもどり解散、大洲・松山方面に帰る人は、城川町のギャラリーでかまぼこの板の絵コンクール展を見学して帰りました。

 


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