ライフワークとしてのランニング

 
湖南市在住  濱口 明さん  
 
◆はじめに
 初めに、今回支部役員さんから会員だよりの投稿チャンスを頂きました。
何を書こうかと思いましたが、マラソンの事しか思い浮かばなく、これまでの自分のマラソン経験を書きました。
よって、極めて私的な投稿文章になっていますので、読んでいただく方はご了承ください。
尚、後半の殆どは「2018サロマ湖ウルトラマラソン参戦記」になっています。
 
 
◆私がマラソンを始めたきっかけ
 私がマラソンを始めたのは約33年前、夏休みに同僚とゴルフに行き3日目にハーフだけで次のハーフが回れなくなり、体力の低下を痛感し、それから煙草を止め、朝5時に起き走り始めたのがランニングを始めたきっかけでした。
 最初は、一周50mほどの団地のグラウンドを5周位するのが精一杯でしたが、段々と練習で走る距離が伸びて行き、それでも12km位を走るのが限度、それも半分くらいで休憩をして(笑)。
 その後、会社の仲間に誘われて、第一回の「土山マラソン」のハーフマラソンに出たのが最初のレース参加でした。何も分からず無心で走り、どうにか最後まで歩かずに走る事が出来て、かかった時間は1時間33分余りだったのを覚えています。
 その4か月後、前述した会社の仲間に誘われ無謀にも「篠山マラソン」に挑戦。初めてのフルマラソンにもがき、苦しみながら4時間8分余りで完走、走ってる途中は二度とマラソンなんかしないと、何故こんなことを始めてしまったのだろうと(笑)。
 しかし、レースが終了すると次のレースは何処にしようかと、走った仲間と話しているのが滑稽でした。


初めてのレースは土山マラソン(ハーフマラソン)
1時間33分45秒で完走


初めてのフルマラソンは篠山マラソン
4時間8分11秒で完走
 
 マラソンには、サブ3(フルマラソンを3時間以内)、サブ4(フルマラソンを4時間以内)と言う記録の区切りが有るのですが、我々市民ランナーが最高の栄誉として目指すのがサブ3。しかし、これは半端な練習では達成できません。
 一般的に我々市民ランナーはサブ4を目指しますが、勝手にサブ3.5とか、サブ3.75とか区切りをつけたがります。
 私も最初のフルマラソンから8か月後の、2回目のフルマラソンでサブ3.5を達成しました。


初めてのサブ3.5は土山マラソン
3時間28分54秒で完走

 こうなると、夢はサブ3と勝手に思うわけですが、前述しましたように半端な練習では達成出来ず、夢は夢で終わる訳です。
 
◆トライアスロンに挑戦
 その後、会社の悪友に誘われてトライアスロン(水泳、自転車、マラソンを順番にやる競技)までも始めてしまうわけです。トライアスロンも何回か出場しましたが、1994年に琵琶湖で開催された「びわ湖アイアンマンレース」が最長のトライアスロンでした。距離は水泳3.9km、自転車180.2km、マラソン42.2km、トータル226.3kmを13時間45分弱での完走でした。

 

完走証


ゴール


スイムフィニッシュ 


バイクフィニッシュ


ラン途中


 
完走メダル

 
◆ウルトラマラソンを始めたきっかけ
 いわゆるウルトラマラソンと呼ばれる、フルマラソン以上の距離に挑戦するようになったのは、定年退職前からです。 最初のウルトラは60km、会社の後輩女性が完走したのをSNSで知って、僕でも出来るんじゃないかと、軽い気持ちでエントリーしてしまったのが最初です。
 次のウルトラは翌年の2012年で、東北地震の翌年でした。未曾有の震災を目の当たりにして、何もできない自分に悶々としていた時に知ったのが、福島で開催されるウルトラマラソン70kmでした。せめて現地に行き、宿泊、買い物をして現地にお金を落とせば、少しは貢献できるかと。それらがきっかけで、退職を約一ヶ月後に控えた2012年6月に北海道のサロマ湖で開催されるウルトラマラソンに挑戦することになりました。
 初めての北海道、初めて自分の車で乗るフェリー、初めての100キロマラソンと初めて尽くしの「サロマ湖ウルトラマラソン」への挑戦が始まりました。


初めてのフルマラソン越え
目標は7時間以内でしたが、7時間57分04秒
暑さと初めての距離に地獄を見る


二回目のフルマラソン越え
7時間37分32秒
本当に70km有ったのかな

 
◆サロマンブルーとの出会い、そして挑戦
 サロマ湖ウルトラマラソンを初めて走った2012年は、12時間15分余りでの完走でした。因みに制限時間は13時間以内です。
 その時に一般のゼッケンと色が違うブルーゼッケンを付けて走っている人がおり、走りながらそのゼッケンを付けている人に色が違う理由を聞き、それはサロマ湖ウルトラで、サロマンブルーと呼ばれ、10回以上完走したランナーだけが付ける事を許される、特別なものだと知りました。
 その時の私は、59歳11ヶ月2週間位、失敗せずに完走を続ければ、70歳前にはサロマンブルーになれる、あのゼッケンを付けて、このマラソンを走る事が出来ると、10年計画を思い立った年でした。


初100キロ完走 歓喜のゴール


完走メダルを首にかけ
後ろに居る人がブルーゼッケン


80キロを過ぎてワッカ原生花園を走りながら何を考えている?

 
 
◆フルマラソンはすべてサロマ湖ウルトラに向けてのトレーニング 
 現在は年10回前後のフルマラソンに出場していますが、それは自分の中でサロマ湖ウルトラのためのトレーニングと位置付けています。
 通常は20km~30kmの練習を2日に一回の頻度でこなしていますが、それ以上の距離となると、どうしても誰かのサポートが無ければ難しくなります。そのためフルマラソン出場はトレーニングの一環。私にとって、サロマ湖ウルトラマラソンは一年のトレーニングの集大成で有るわけです。だから失敗は出来ないと言う思いは強いわけですが、フルマラソンと違って100kmのウルトラマラソンは、気候に大きく左右されることが有ります。ウルトラマラソンは夏場に行われることが多く、特に北海道で行われるサロマ湖ウルトラマラソンは、開催が6月の最終日曜日ですが、熱中症になるくらい暑かったり、低体温症になるくらい寒かったりと、その日に走ってみなくては解らないと言う難しさも有ります。

 
◆「昨年は低体温症、74kmで無念のリタイア」
 昨年はスタート時点から、シューズの中に水が入るくらいの雨、途中からは風も出て、温度も下がり低体温症状態になり、74km時点でのリタイア。低体温症も有ったけど、心のスタミナが無かったかなと、低体温症状態を理由にレースを止めてしまった感が有りました。
 体を鍛える方法は色々あるけれど、心のスタミナを鍛えるのは難しい。昨年のリベンジを果たさなければと臨んだ今年のサロマ湖でした。宿は昨年と同じ、常呂町の旅館、新千歳からのレンタカー移動も、此処5年間は同じ。自分の車で来た最初の二年間も入れれば、7年間も同じルーティーン。旅館に着く前にサロマの勇者達の、まさしく足跡を観て廻る。
 ウルトラランナーの中で良く言われる、何時かはサロマ湖ウルトラマラソン。しかしここに足跡を残している勇者達は、サロマ湖を10回以上完走された方々、現在の自分では想像しかできない聖域。旅館に着いて、昨年も同宿であったラン友さんと今年の健闘を誓い合う。





世界記録


勇者たち


足跡


明日はここへ帰ってくるぞ

 
◆事前準備もレースの一部
  アルコール抜きの夕食が終わり(ほぼ一週間アルコールを抜いている)翌日の準備に入る。
 気になる天気は前半は曇り、比較的温度も上がらず走りやすそう。後半、2時、3時頃雨、尚且つ風が強くなる予報、その頃と言えば、私の走力からすればワッカ原生花園の中ではないか!
 準備は迷った末、レストステーションに長袖、半袖、アームウォーマーを準備。レースではあまり持たないウエストポーチを準備し、中にビニールごみ袋を加工した雨具、手袋、スマホ、ブドウ糖等を入れる。走り始めは長袖のアンダーシャツ、半袖、半タイツ、ゲイター、ランパンに決める。
 翌朝は2時から食事、2時50分にスタート地点への迎えのバスが来るので、1時半に目覚ましをセット。外はかなりの量の雨が降っている、降るなら今のうちに降っておけと思いながら9時頃に就寝。目覚ましに起こされることも無く、1時半前には目が覚める。ウェアーを着込み、朝ご飯、準備して貰っている物の半分も食べられない。
 定刻に迎えのバスが旅館に到着、外に出ると若干の雨がまだ残っている。若い女性の添乗員さんが乗客を待って居る、色々雑談をしている中で、私も緊張してきましたと走りもしないあなたが、なんで緊張するんやと心の中で軽いツッコミ(笑)。

 

スタート会場までのバス

 バスが旅館を出て、途中別の旅館に寄ってランナーさんをピックアップ、スタート地点に行く途中も弱い雨が降り続いている。 こんな雨、昨年の雨と比べたら降っていないのと同じじゃないかと自分に言い聞かす。バスを降りて着替えの体育館に向かうと既に多くのランナーが準備したり、談笑したり、だがやっぱりこれから始まる100kmに緊張感が感じられる。
 上に着ているものを脱いで、ゴール行の袋に入れ、レストステーション行の荷物と夫々のトラックに預ける。
 その後FBのグループ「サロマンブルーになりたい」のグループ写真を撮るため、集合場所であるモニュメントの前に向かう。
 ここは集合写真ポイントのため、たくさんのグループが次から次へと写真を撮る。我々も集合写真も撮り終え、全員でお互いの完走を誓い合い、全員で気勢を上げる。


グループ集合写真


モニュメントの前で

 
◆「ゴールしなければ見えない景色がそこに有る」 その景色を求めて
 スタート地点に向かう、既に相当量のランナーが整列をしている。列の後方に向かう途中「濱口さ~ん」の黄色い声、FBのお友達でラン友さんの女性、「いつも陸連登録なのに、今回は一般なの?」と確認しエールを交換して列に並ぶ。幸いに雨も上がり一部には青空も見えてきた、同宿のラン友さんと雑談しながらスタートを待つ。全員でのカウントダウンが始まり号砲と共にスタート。スタートロスタイムは1分少し。


スタートゲート


スタート前の整列

 いよいよ長い1日の始まり、最初は何時もより遅めの6分半/km位で歩を進める、途中2km過ぎでトイレに並ぶ、ここで約6分のロス。レースに戻るとほぼ最後尾、7回目のサロマ湖にして初めて(笑)。その後女性ランナーと談笑しながら、歩を進める。聞けば初の100kmで初100kmはサロマ湖と決めていたらしい、若いって素晴らしいな。お互いにエールを交わし歩を進める。10kmを過ぎても雨は降らず、それどころか太陽が出てきて暑さを感じる、
 長袖アンダーを着込んでいるため更に暑さを感じる。20km手前の第一折り返しポイント前で折り返してくるラン友さんを探すが中々見つからず、走っていると急に横から声を掛けられる。てっきりもっと前を行っていると思ったが意外と近くに居た(笑)。暫く話をしながら走り、それぞれのペースで又走り出す。
 20kmを過ぎ30kmが近くなると脚が重くなる、昨年末のフルマラソンで脚を痛めて途中棄権し、その後のフルマラソンでも中々4時間も切れず絶不調、おまけに5月のユリカモメ70kmでも2年連続の途中棄権。此の所、体のスタミナ、脚のスタミナ、増してや心のスタミナに不安一杯の今回の100km。   30km過ぎでまたまたラン友さんと遭遇、トイレに行っている間に抜いたり、抜かれたりを繰り返しているみたい。暫く一緒に走っていたが、ラン友さんのペースが私より早く、先に行ってもらう。
 そのうちにフルマラソンポイントに到着。フルマラソンポイントでは4時間45分位。今回で7回目のサロマ湖ウルトラマラソンで恐らく、最も遅い通過になる。フルマラソンポイントで沿道の方に写真を撮ってもらい、残りフルマラソン1本半と自分に気合を入れる。


フルマラソンポイント

 

50km関門ポイント

 次の目指すポイントは50km、相変わらず脚は重い(涙)。どこまで粘る事が出来るか?。
 天気は増々良すぎる位の天気で汗の量もかなりの物、ここまで被り水の有るところでは必ず水を被り靴が濡れて足にマメができないように、帽子を水に漬けてそれで腿、脹脛を冷やす。50kmが過ぎ時間は5時間45分位これも7回目にしてワースト、50km過ぎからの上り、あまり脚に負担を掛けないようにゆっくりと上る。これで良い、今回は這ってでも時間内ゴールする、ここで無理はしないと自分に言い聞かす。
 次の目標は54kmのレストステーション。
 レストステーションに行けば、預けてある着替えでリフレッシュできる。レストステーションに着き、預けてあった着替えを受け取り、長袖Tシャツ、アームウォーマー、半袖Tシャツに着替える。ここまではかなりの汗をかいていたので、乾いたシャツが気持ち良く、気分転換ができた。少し、おにぎり、果物等の軽食を採り再び走り出す。
 レストステーションの後は暫く上り坂が続く。この坂の途中に家内がドーピング剤(笑)リポビタンDを持って待って居てくれている、リポビタンDを受け取り、飲んでドーピング完了。


レストステーション

 

リポビタンD補給


リポビタンD補給 別角度

 その後トイレが有ったのでトイレに行くが、この頃から尿意は有るものの、トイレに行っても中々出ない。最近のウルトラレースにしては珍しい、膀胱炎なのか?この後も最後までこれに悩まされることになる。途中サロマ湖に出て湖畔を走っているはずなのに、余り記憶にない。余裕がない証拠だな(涙)、何回かのアップダウンが続く、今回は無理をせず上りでしんどくなれば歩く作戦、最後の大きな上りが終わり、大きく左折するとサロマ湖が眼下に広がるいつもこのポイントで残りの体力を確認するが、今回は微妙な感じ。
 それでも60kmが過ぎ、公設エイドが過ぎると何時もは唯一の日陰になる、通称魔女の森に入る。2km程の森を抜けると、魔女の森の出口では、熟女の魔女が4人程応援してくれている、「ここでやめたら楽になるぞ」と魔女の囁きが聞こえる、馬鹿なことを言いながら、4人の魔女とハイタッチ。応援は力になる素直に嬉しい。


魔女の森

 

熟女魔女

 
◇沿道応援、私設エイドステーションで力を貰う
 ここを過ぎると、名物私設エイド斎藤商店が有る、今年はどんなおもてなしが待っているのだろう。昨年は寒くて寒くて震えていた時に、ここで出された暖かいおしぼりが涙が出るほどうれしかったのを思い出しながら橋を渡る。
 橋を渡り大きく左折すると、いよいよ斎藤商店が見えてくる。今年のおしぼりは、冷たいのと暖かいのを用意してくれていた、嬉しい。冷やしただけのキュウリ、今年は無かったが冷やしただけのトマトがこんなにも美味しい物かと改めておもてなしに感謝。
 斎藤商店に別れを告げ、しばらく行くと此処でも屋根の上で大漁旗を振っての毎年の応援、疲れて下向きがちな心、視線を上向きにしてくれる、毎年ありがとうございますと大きな声でお礼を言い70km地点に向かう。
 この頃から天気が怪しくなる。


名物私設エイド 斎藤商店


大漁旗応援

 順調に行けば50kmに参加しているラン友さんに追いつくはずだが、今年は遅れ気味だからもっと先かなと思いながら、70kmを過ぎ大きく左折するとサロマ湖沿いに入る。
 暫くすると横殴りの強風と雨、サロマ湖から風で吹き上げられた飛沫が、まるで霧のようになる。ここでウエストポーチに入れてあった、雨具を取り出し羽織る。風はますます強くなり、雨も強くなってくる。吹き上げられた飛沫で視界が100mも無い時も有る、隣のランナーさんと「このまま行けば、ワッカ原生花園は折り返しまで向かい風ですね」と話しながら進む。
 60km過ぎから調子が良くなり、何とか歩かずに走れるようになっている。100kmレースでは必ずこんな時間帯がある、だから諦めずに粘って走る事が大事、だが長く続かない事は百も承知(笑)。だが今回は、その時間帯が長く続いている、ここに来て歩かずに走り続けられているのは、今後の展開を考えると嬉しい。
 いよいよ昨年のリタイア74kmが近づき、エイドステーションで、お汁粉、素麺でエネルギー補給をする、昨年リタイアを決めたテントの中には、やっぱり今年も何人かがエマージェンシシートに身を包み椅子に座っている。今年は、事前に準備しておいた雨具、増してやレストステーションに置いた着替えが大正解。あのまま着替えをせずに、汗に濡れたまま、ここに来ていたらと思うとぞっとする。
 サロマ湖畔を外れると、体に感じる風が少し和らぐが、これは風が止んだのではなく、周りの木立に遮られているだけで、安心はできない。雨の量が増々多くなり、走っている歩道が水溜りになっている所が多く、水溜りを避けながら時には、車道と歩道の分離帯の上に上がったり、下りたりでの走る時間が多くなる。分離帯に上ったり下りたりで余計な体力を使うのが腹立たしい。
 いよいよ左折すればワッカ原生花園方向、80kmポイントが近づく、左折せずに真っ直ぐ2km少し行けばゴール地点、まっすぐ行きたい誘惑に負けることなく左折(笑)。ワッカ原生花園入り口のエイドステーションに到着、何か食べなければと思うが食欲がなくなってきている、それでも何とか、少しのおにぎりと水分補給をしてエイドステーションを後にする。エイドステーションを過ぎたところで、雨の中何やらゲートみたいな所で係員さんが作業中、聞けばミストの設備の撤去中らしい、確かに速い人達には必要だったかな?、しかし今は温泉が欲しいわ(笑)。エイドを過ぎてワッカ原生花園入り口は上り、無理をせず少し歩きを入れる。
 79.4kmの関門を過ぎて坂を上り切ると右手ににオホーツク海、左手にサロマ湖、二年ぶりの景色。この景色を見るために80km余りをを走ってきた、感慨に耽る余裕もなく走り出すが強い向かい風、冷たい雨が降りしきる。


サロマ湖沿い 60km過ぎ


正面がオホーツク海、左手にはサロマ湖が広がっている
この半島の様な場所を10km行って帰ってくる

 
◇ウルトラマラソンは修行か?何のための試練なのか?
 気温は10度前後だったらしい。しかし体感温度は5度前後か? 少しでも走らなければ寒くていられないが、余りの強い向かい風、冷たい雨に心が折れそうになる。
 走り続けていくと、道沿いにはエマージェンシーシートに体を包みうずくまるランナー続出。棄権ランナー収用車が狭いワッカの道を走り回る、「予想はしていましたよワッカさん、だけど、だけど二年続けてこの仕打ち、余りじゃありませんか、何の為の試練なんですか?」と、心の中で呟きながら歩を前に進める。私は昨年ここに来る前に心折れ、ここにたどり着けなかったけど。しかしそんなことを言っている場合じゃない、歩いていると体が冷えて前に進めなくなる。なんとしても走り続けなくてはと、しかし余りの強風に前に進めない、歩き出す、寒い。走らなければと、まさしくサバイバル戦、84km、85kmと進むが、雨、風は弱まる事無く我々ランナーをこれでもかと痛めつける。
そのうちに吐き気をもよおし、疲れた体に追い打ちを掛ける、無理やり吐こうとするが、胃の中には少しの水分以外ほとんど入っていない為、吐くことも出来ない。折り返しまで行けば追い風になると自分を励ます。
 折り返し直前の上り勾配の橋、強風に体を煽られる、もはやもう誰も走っているランナーはいない、ひたすら橋の頂上を歩いて目指し、橋を下り、折り返しを目指す。やっと折り返し、しかし又上らなければならない。ここからマラソン人生で初めて、ゴール閉鎖時間との戦いが始まる。折り返してのエイドで、大き目のごみ袋を防寒用として配布してくれている、エイドのボランティアさんも寒いはずなのにありがたい。エイドのボランティアさんがごみ袋に頭が入る程度の穴をあけてくれる、それをポンチョのように着込んで又走り出す。
 しかし歩く時間が徐々に多くなる、「諦めるな、諦めるな」と自分を励まし歩を進める。


 
◇自分に負けない

負けない事、投げ出さない事、逃げ出さない事
苦しい練習に耐えた自分を信じ抜く事


 ここで止めれば楽になると言う囁きが心の中から聞こえる。ランナー同士で励まし合いながら前へ前へと進む、進んでいればゴールは必ず来る、しかし、それが時間内か時間外かでは天国と地獄の差が有る。天国も地獄も行ったことは無いけど(笑)。
 残り5kmが見えた、1キロ9分で行けば時間内ゴールが出来る、しかしその1キロ9分が維持できない。
 残り3キロを過ぎ、最後のエイドステーション、この寒い中、我々鈍足ランナーの為に待っていてくれている、頭が下がる。この人達がいるから我々ランナーは走る事が出来る。ありがとうございましたと、お礼を言って先を急ぐ、時間が無い。
 残り2kmの看板が見える、走り続ける事が出来ない、ひたすら歩き、走りの繰り返し、隣のランナーさんと「此処まで来て時間内ゴールが出来なければ悔しいですね」と話しながら、「お互いもう少し頑張って必ず時間内ゴールをしましょう」とエールを交わし先へ進む。しかしここに来てガーミン(腕時計)が充電切れでダウン、ここから本当に残り時間が見えない時間との闘い。
 残り1kmを過ぎる、残り時間は有るのか?沿道を後ろに向かって、「残り5分」と知らせながら走ってくれている女性、「お帰りなさい」の沿道の応援と、「ラスト200m」の情報、残り時間は有るのか?
 最後のコーナーを曲がる、ゴールの時計が見える、残り二分ちょっと、間に合った、そして閉鎖まで1分13秒を残してゴール。
 ゴール後、ゴール横のコーンに寄り掛かり、もう1mも、もう一歩も走れ無い、出し切った。後ろではゴール閉鎖のカウントダウンが始まる、あと30秒、あと10秒、5、4、3、2、1、0。「第33回サロマ湖ウルトラマラソン終了しました」のアナウンスを背中で聞く。
 しかし最終ランナーの姿を見る余裕は有りませんでした。縁石に腰かけていると、誰かが横から倒れかかってくる。「すみません」と謝られるがお互い様、やっと腰を上げ完走メダルを掛けて貰い、完走タオルをうけとる。家内が待って居てくれた、写真を撮ってくれたが酷い表情(笑)。



関門閉鎖1分13秒を残してのゴール


完走メダルを胸に 酷い顔

 これでサロマ湖ウルトラマラソン7回の挑戦で5回の完走。
 始めた時は10回完走のサロマンブルーを目指したが、もう66歳そろそろ無理かなと、今回はサロマ湖ウルトラマラソン、最後にしようと挑みました。
来年にならない解らないけど、今はモチベーションが上がらない。「ゴールしなければ見えない景色」見たかった景色はこんな景色では無かったが、この景色も一つの景色かな?

 
 
◇FB応援ナビと、今までに獲得した完走メダル




 
◇今までのマラソン回数を振り返る
  完 走 リタイア
 ハーフマラソン以下  60  0
 フルマラソン  55  1
 60キロから70キロマラソン  7  2
 100キロマラソン  8  2
     
 トライアスロン  5  0

 
◇終わりに
 以上長々と書いてしまいました、最後まで読んでいただいた方には感謝です。
ありがとうございました。

 
◇付 録
 100キロマラソンは、普通のマラソンと比べてそんなにメジャーではありませんが世界大会も開催されているくらい、世界ではメジャーな大会です。
因みに、100キロの世界記録は、男女とも日本人で、サロマ湖で生まれています。その男子の世界記録が、今年サロマ湖で20年振りに更新されました。記録は6時間09分14秒。1kmを3.7分、100mを22.2秒で100kmを走っています。因みに女子の記録は6時間33分11秒。 昔懐かしい、安部友恵(旭化成)さんです。

 
 
 
平成30年 12月 1日 湖南市在住 濱口 明