滋賀の郷土芸能  江 州 音 頭

歌は八日市(現東近江市) ・ 踊りは豊郷から
 
近江八幡市 成田 傳良さん   
 
◆江州音頭の発祥
 江戸時代には各藩の奨励もあり、風流踊りから発展から発展した「盆踊り」が各地に夏の風物詩として定着して
きた。滋賀においても高島音頭、信楽音頭、最上踊りなど各地の村々ごとに夏の娯楽として「盆踊り」が始められた。
その場合、歌に必ずしも踊りを必要としなかった。

 明治のはじめ豊郷の千樹寺観音堂の再建の折、西澤寅吉を招き、当日は彼の音頭に乗って村人たちも踊り明かしたと言われています。この音頭は豊郷・八日市を中心に広がった。
 踊りに結び付く歌の種類はいろいろで、滋賀では「江州音頭」にも歌があり、これが「祭文音頭」でこれを歌いだしたのが八日市出身の「歌寅」こと櫻川大龍(西澤寅吉)です。弟子に奥村久左衛門の協力も加わって徐々に江州音頭として大成した。
 
 


江州音頭チラシ

江州音頭のぼり

 
◆江州音頭発祥の碑


歌は八日市(東近江市)江州音頭発祥の地碑 
(延命公園)
延命公園 案内図

 


 豊郷 千樹禅寺 (右奥に観音堂) 豊郷 江州音頭発祥地碑
 










江州音頭の発祥の碑は東近江市(八日市)と
豊郷に立派な石碑が建立されています。
 
豊郷 江州音頭発祥の起源碑
 


 
豊郷 千樹禅寺観音堂 豊郷 千樹禅寺本堂
 
◆祭文とは
 もともと山伏や修験者が神社・仏閣の祭りの中で神仏に告げる文のことです。
室町から江戸時代にかけて祭文語りとして芸人たちの間に広がるようになり、村々を訪れ、伝承物語や他国の事情を語りました。その当時は情報も乏しかった時代、祭文語りは村々で持てはやされました。
 
◆江州音頭とは
 「商い音頭」とも言われ近江商人の影響も受けているようです。
「さてはこの場の皆様へ・・・・」から唄い始め、皆様に訴えようとしています。
掛け声も「そりゃよいとよいやままっかどっこいさのせ-」 と言いますが、「宵(夜)からよいや真っ赤(朝になるま
で)どっこいさーのせ。」
夜を通して徹夜で働いた姿を踊り子の掛け声にしているあたりも「商い音頭」と言われている由縁であると思われます。

 江州音頭には「屋台音頭」「座敷音頭」があります。
口演内容は、五穀豊穣の祈祷祈願や、喜怒哀楽を表現したり人の心の訴えを語り合う庶民の歴史があるように思われます。
◆江州音頭の歌詞 


 
◆江州音頭と盆踊り


 
◆江州音頭の道具
 江州音頭で使用する持ち物・道具類といえば数々あるが、錫杖(しゃくじょう)・扇子・拍子木・鉦(かね)・ほら貝・笛
・和太鼓等があり三味線もお囃子にはいることもあります。踊り子さんは、うちわ・扇子・傘などを持って踊られます。
 


「和太鼓・鉦(かね)」

「錫杖(しゃくじょう)・扇子」

 
◆音頭師祭文家 櫻美家天勝(深尾 勝義)
 将来に向けて「江州音頭」の保存と普及に三十年程前には「滋賀県江州音頭普及会」団体がありましたが、最近は時代の変化と師匠さんが高齢化により会員の構成も変わってきました。
 幕末から明治の初期にかけて近江八日市に生まれた「江州音頭」という盆踊りが、その後の大正・昭和と百年以上にわたり地域の伝統芸能として定着してきましたが、平成に入ると陰りが出てきています。
 櫻美家天勝(深尾 勝義)さんたちは、「江州音頭」の保存・振興の為に、近江八幡市のまちづくりの一環として、小学生を対象とした「江州子ども塾」を運営されています。これは子どもたちだけで舞台を務める「子供一座」という仲間づくりができ、子供たちを唄と踊りで楽しませながら伝統芸能を伝えられる活動で、彼らが将来大人になって、小学生時代の音頭熟を思い出し地域に湖国の文化を繋いでくれるものと大いに期待しておられます。


江州音頭祭文屋と成田さん(2017年1月新春懇親会にて)

 
◇あとがき
  江州音頭にも高齢化で祭文家・踊り子も育成が難しい中、近江八幡市民でありながら郷土芸能を保存振興に頑張っている私の友人を紹介させて頂きました。

 
平成30年 10月 1日 近江八幡市 成田 傳良