私の城めぐり『小谷城を訪ねて』
 
大津市 足立隆夫さん     
 
◆はじめに
 私は松愛会へ入ってから城めぐりを何回かやってきたが、ここ数年は旅行らしき事はしていない。 やっと時間がとれたので、以前から考えていた小谷城に行くことを決定した。

 小谷城は何年か前に博覧会が催されたとき以来である。 開催時には山に登らなかった。その時はツアーでいったので登る時間がなかったのである。今回は単独で行動することに決めた。
 
 私は歩くことは好きであるが、足が外反拇趾の為,、健脚ではない。そこでインターネットで私の要望に合う条件を探してみた。すると4月28日から5月7日までの期間限定の登山案内を見つけることができた。それは下記に説明している案内である。これなら私に当てはまるコースなので具体的計画をたてた。 

具体的日程は下記の通りである
  
  ・日 時  4月30日(月) 振替休日 
  ・行 先  小谷城跡の登山
  ・行 程 (往) JR石山駅 ⇒ JR長浜駅 ⇒ 戦国ガイドステーション ⇒ 番所跡 ⇒ 本丸跡
              AM9:30     AM10:00      AM10:20            AM10:30
        (復) 本丸跡 ⇒ 番所跡 ⇒ 戦国ガイドステーション ⇒ 歴史資料館 ⇒ JR河毛駅 ⇒ JR石山駅
  ・費用   JR往復 ¥2,200  小谷城シャトルバス ¥500  こはくちょうばす ¥200

小谷城跡のポイント説明

 ① 番所跡 ⇒ ② お茶屋跡 ⇒ ③ 御馬屋敷跡 ⇒ ④ 馬洗池 ⇒ ⑤ 桜馬場跡 ⇒ 
 ⑥ 黒金御門跡 ⇒ ⑦ 赤尾屋敷跡 ⇒ ⑧ 大広間跡 ⇒  ⑨ 本丸跡 ⇒ ⑩ 小谷城跡清水谷
 

兜のモニュメント

小谷城跡登山道の入り口に設置されている。
後方の坂が小谷山への入り口 である。
 


小谷城跡絵図

乗り合いバスの終点にある番所跡の広場に 設置されている。
これで小谷城の全貌が理解できる。
但し絵図ではよくわからないが天守閣は存在しない。
つまり平城なのである。
この狭い所に大勢の人間が住んでいたかと思うとびっくりする。
 
◆1.番所跡


番所跡

小谷城の主郭の入り口にあたる重要な曲輪。
ここからか本格的な城郭となる。
かっては登城者の検問所があった。
東側には幅1.3メートルの土塁が築かれている。
 
虎御前山 展望所


ここから眼下に信長の本陣のあった虎御前山を展望する事ができる。
信長軍の監視が続く為、浅井軍は長期間の籠城をしなければなら なかった。
 
◆2.御茶屋跡


御茶屋跡

番所跡のすぐ上にある曲輪で主郭の最先端に位置する。
曲輪は一段であるが比較的広く「御茶屋跡」という風雅な名前に似つかない軍事施設である。
 

土塁に使われたと思われる石

軍事施設と思わざるえない。
 
◆3.御馬屋跡


御馬屋跡

本丸跡の前面にあり、本丸を守るための曲輪。
三方を高い土塁に囲まれている。
名称通り馬小屋があったかどうかは不明。
中央には井戸があった。
 
◆4.馬洗池跡


馬洗池跡

御馬屋跡の背後にある。
南北9メーター、東西6.6メートルの石積みの池で中央東寄りに石垣の仕切りがある。
 


上の写真の奥側の池であるが、馬以外が使用したものと思われる。
 
遠望 姉川の古戦場跡 


  
姉川の古戦場を望む。
 
◆5.桜馬場跡


桜馬場跡

御馬屋敷の上方、大広間跡の前にある曲輪。
細長く左右二段からなり、西側の曲輪は建物の礎石が確認されて いる。
 
場内随一の大パノラマ



ここはNHK大河ドラマのロケの中心地。 遠くに竹生島や山本山が見渡せる。

 
◇浅井氏及び家臣の供養塔 
 

浅井氏及び家臣の供養塔

桜馬場にある浅井氏及び家臣の供養塔。
その後ろに小谷城址碑が見える。、

 
 
◆6.黒金御門跡


黒金御門跡

両袖に巨石の群を構えた御門跡のいかめしさに圧倒されそうである。秀吉の破城による跡が往昔を物語る。
 
◆7.赤尾屋敷跡 
 

赤尾屋敷跡

浅井氏の重臣赤尾氏の屋敷跡と伝えられている。
天正元年9月1日に浅井長政が29歳の若さで自刃した地といわれる。
この写真では屋敷跡は写っていないが、右手 の方向に160メートル行った所ある。

 
◆8.大広間跡 
 

大広間跡

黒金御門跡を上がったところが、大広間跡である。
お江が生まれたとされる曲輪で、「千畳敷き」とも呼ばれ、場内最大の曲輪跡。
 
◇大広間跡前の石垣 
 

大広間跡前の石垣

今でも1.5メートルの石垣が現存する。
 
◆9.本丸跡
◇本丸跡
 

本丸跡

江戸時代中期の小谷城跡古絵図に「天守共 鐘丸共」と記されており、鐘丸がその機能を表していると考えられる。 
南北約40m、東西約25mの広さを持ち、上下二段からなる。
大広間跡側に石垣が築かれている。
 
◇本丸跡の石垣
 

本丸跡の石垣

本丸に築かれた建物の礎石の一部と思われる。
◆10.小谷城 清水谷絵図


小谷城 清水谷絵図

小谷城跡の清水谷は、浅井家三代が住む山城ではない。家来とか民衆が住んだ所であり、家来の屋敷などがたくさんあった。 谷には屋敷以外にも、寺等が多くあり、農業もできる生活の場所であった。お城で何かあればすぐに駆けつけられるようにと、家来は近くに住んでいたのである。
 


東本町跡

小谷城跡出丸跡の近くの清水谷には生活していた町の跡が見受けられる。道路を挟んで手前側に町の跡があったそうである。(町の名前は西本町)
 
 


郡上前交差点から清水道へ入り約100メートル程入った所である。
正面の山は小谷山で、標高は496メートルとなっている。 清水谷と呼ばれており、現代の感覚でいくと狭いと感じるが、当時であれば結構住みやすかったように思う。
左手の尾根は今年の秋に登山するつもりである。
 
◇あとがき
 以前から登ってみたいと思いつつ機会がなくて、数年前は博覧会のみの参加であった。 このたび浅井長政についての放送があったのをきっかけに登山計画を作った。 私の足は以前から悪かったので、バスを利用して中腹(番所跡)から本丸跡までの計画とした。 本丸跡から山王丸跡を経て清水谷を下るコースを今秋に行く予定である。


平成30年 4月 30日    大津市 足立隆夫