「野洲川のたもとに生まれて」     
 
野洲市竹生 K.T      
       
 
 私は、野洲川土地改良区総代として、平成12年7月以降1期4年を4期務めさせていただき、昨年7月から5期目に入りましたが、正直中身についてどれだけ理解しているか疑問で、一度勉強(整理)しておくことも必要かなと思っていました。今回 ホームページの作成(会員だより)を指名され、これを機会に取り組んでみました。 
同じこの地に生活する会員の皆様にも、ご一読いただけたら幸いです。
 
◆近世の農村

 戦国時代や江戸時代の水争いの様子は、様々な資料によって今に伝えられていますが、江戸時代の野洲川には、78ケ所もの井堰が造られていました。下図は1,700年頃の野洲川の堰(せき)ですが中流から下流にかけて、びっしりと堰が築かれているのがわかります。5年から10年ごとに起こった大規模な干ばつの度に上流と下流、右岸と左岸との間で野洲川の水をめぐって争いが起きました。
 中でも、のちの一ノ井である荒井六郷(栗東市伊勢落)、神ノ井(野洲市三上)、今井十郷(守山市勝部)ら三つの井組(村落を結ぶ水利組織)による争いは、裁判沙汰にまで発展するほど熾烈なものだったようです。その後も神ノ井と一ノ井の争いなど流血を伴う争いがたびたび勃発しています。



野洲川水域図

 「勝部に嫁をやるなら桶をもってやれ」「月夜に田が焼ける」など今なお伝えられているこれらの言葉は、当時の水不足の深刻さを雄弁に語っています。
 上流部から順番に水を引き入れるため、一度干ばつが起こるとおのずと下流部では深刻な水不足の問題が生じます。そのため下流では必要に迫られる形で多種多様な取水方法が生み出されました。
 湧水地帯では井戸を掘り、“はねつるべ”で水を汲みあげていました。又、琵琶湖岸ではクリークを掘り、水を引き入れ、“竜滑車(りゅうこつしゃ)”や“足踏み水車”で水を汲みあげる方法で用水を確保していました。

◆S35年(1960年)8月4日付毎日新聞には

 『湖国は、このところ連日35℃と水銀柱はうなぎのぼり。きのう3日夕刻におしめり程度の降雨があったが、焼け石に水。琵琶湖やダムの水位はぐんぐん下がるし、井戸水は枯れて、もらい水という有様。彦根地方気象台の話では、S17年以降18年振りの干天、最高気温で水が少ないから特に火災を起こさないようにして欲しい。と注意している。』
 「野洲川ダムが大減水」「あと4日でからっぽ」「干し上がる井戸」「農業用水も危機に」といった見出しが躍っていました。

◆『野洲川土地改良区設立40周年記念誌』 発刊の言葉より

 永き歳月に亘って繰り返された水利紛争を根絶せんがため、S14年に関係5町14ヶ村にまたがる普通水利組合が設立され、上流の鮎川村地先に堰堤(えんてい)工事が県営事業として着工されたものの、戦争の激化に伴い中止となった。しかし敗戦による食糧難時代の要請に応え、S22年事業再開後は国営(農林省直轄)事業として戦後の資材不足と幾度かの台風被害に悩まされ乍らも、これらを克服してついにS26年7月初めてダムに貯水、その翌27年4月には旧来の「普通水利組合」は「野洲川土地改良区」に組織替えし、ここに40周年を迎えた。この40年間農業には本当に目まぐるしい変化があった。
 
家族労働    から 機械化農業へ
食料増産    から 休耕、転作へ
受益地      から 転用、都市化へ
農地、農村    は  圃場整備から環境整備へ
 
 以上のように野洲川水利は、いろいろな時代を経て、今日に至ったわけですが、時代がどう変わろうとも地域住民のための用水確保とこれに伴う一連の施設の安全管理は絶対必要であり、又、我々は先人の造ってくれたこの宝を後世に引き継ぐ責任を怠ってはならないと思います。

 
◆野洲川ダム

  野洲川の最上流に位置するダムで渇水に対応するための水源確保を目的とした農業用ダム
 
  S14年 滋賀県の県営事業で着手
  S19年 ダム仮締切、仮排水トンネル工事を完了して中断、食料増産が緊急課題に
  S22年 ダム工事再開、国営事業に移管
  S26年 野洲川ダム完成

 その後の水源地における山林の荒廃、降雨強度の増加等に伴う洪水流出量の増大に対応するため、H13~21年度にかけて国営総合農地防災事業にてダムの提体を厚くする為の増厚コンクリートの施工や洪水吐をゲート型から自然越流型に変更する等、旧ダムの堤体を利用しつつダムの安全度を高めるための抜本的な対策を実施しました。     事業費:132億円


 


 野洲川ダム 
 
◆石部頭首工

  頭首工(とうしゅこう)とは、川をせき止め、水位用水路に水を引き込む施設
 石部頭首工は、滋賀県湖南地域の約1,400haの農地にかんがい用水を供給するための重要な取水施設です。旧頭首工はS29年に完成していましたが、その後の地域開発の進行等に伴う洪水流出量の増大に対応するため、H11~18年度にかけて国営総合農地防災事業にて旧頭首工の下流約100mの地点に洪水流下能力を高めた新しい頭首工を建設しました。
 新しい頭首工は洪水吐部分の締切(堰)に空気を注入した日本で最大級のゴム引布製起伏堰(通称ゴム堰)を採用するとともに魚道を1連から3連にするなど最新の技術と、より自然に配慮した方式が採用されました。
    事業費:108億円

石部頭首工

◆昔の農業と今の農業の変化

昔の農業 今の農業

牛を使っての“荒起こし”

 

トラクターでの“荒起こし”


足踏み水車“じゃ車”を使って灌漑


ポンプで灌漑


牛を使って“しろかき”


トラクターで“しろかき”


家族総出での人手による“田植え”


機械での“田植え”


人手による鎌をもっての“稲刈り”


コンバインでの“稲刈り”と“脱穀”


藁(わら)の上で天日による“籾(もみ)干し”


カントリーエレベーターで“乾燥”


“脱穀”

  


  参考文献
   ・近畿農政局野洲川沿岸農地防災事業所発刊 「国営総合農地防災事業野洲川沿岸地区 事業誌」
   ・水土里ネット野洲川発刊 「野洲川土地改良区の概要」
   ・野洲川土地改良区発刊 「野洲川土地改良区設立40周年記念誌」