~ H29・3・9 ~ 26 (18日間) ~ |
2017年4月21日 草津市在住 橋本 修 (記)
“写真をクリックすると拡大できます!”
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◆80歳(傘寿)の記念に!
6年前の事、行きたいな~ そんな思いで居る時、馴染みの山の店で“日本で唯一のヒマラヤ専門のガイド”が居ると
教えられた。幸いにも帰国中と聞き、自宅を訪問(大津市)、経歴や考え方、具体的な内容を聞き、この人ならと即決、
時期を5年後の80歳(傘寿)の記念に案内をして欲しいと依頼 約束をする。
しかし、2015年のネパール大地震が発生し、ガイドは災害被災者支援に東奔西走、やむなく 1年延期 となった。
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◆そして、今春 決行の運びとなる
行き先 |
4つの8,000m峰を一望できる“ゴーキョピーク” |
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ガイド |
(株)サパナのヒマラヤ専門ガイド、 浅原 明男 氏
全行程同行し、旅行手配、日程管理など、全てを担当する。
ネパール語堪能で英、印、中の会話にも対応可能、
ネパールでの人脈も豊富とのことです。
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トレック中の
食事 |
比良山のびわこバレー・レストランで日本食の特訓を受けた
専任コックが担当する。
食材・調味料も日本から持ち込み、旅行中の体調管理に
万全を期す配慮をしてくれる。
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参加者 |
3月9日 関西空港に集合。
(写真右から)
橋本(本人)、好奇心旺盛なハイシニア
友人のS氏(二人目)日本100名山 挑戦中(後期高齢者)
豊中のOGのMさん、イギリス留学など海外経験豊富な娘さん
今津山上会のHさん、海外旅行大好きオバサン(後期高齢者)
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◆念願のヒマラヤへ
18:00 発 中国国際航空 462便で、四川省の成都空港へ向かう。
成都市内のホテルで1泊。 |
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◆3月10日 成都 ~ カトマンズ
このコースは、3時間 のヒマラヤ上空を通過するフライトで、左窓から“チョモラリ”、“カンチェンジュンガ”など無数の
ヒマラヤ山群が見え、右窓から“大姑娘山”、“マカルー”、“エベレスト”などが間近に見える。
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◆13:30 カトマンズに到着
大混雑の中を我等のガイドは手際よく入国ビザを取得し、 迎えの車で歓迎のレイを受け、大渋滞の市街地をホテル
に向かい、チェックインする。
時差は3:15、 時計の針を戻す。
空港の歓迎モニュメント |
歓迎のレイを受ける
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*ホテルに着いて暫し疲れを癒す。
*スーツケースを受け取り、
トレッキングの準備に取り掛かる。
大きな荷物は、ポーターが運んでく
れるので、スポーツバッグにつめる。
自分が持つのは、貴重品とカメラ、
水筒 程度のデイバックのみ! |
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◆3月11日 ルクラに向けて
朝5時起床 早朝より空港に駆け込み待機、雨が降り出す。
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「時間は有効に使おう。」
インドの坊さんと交流、
赤い僧服の方を女性と
思い話しかけ、実は男
と判り大笑いされる。
旅は楽しい!!
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この女性、東京の某
大学3回生で単独で
エベレストBCにTRY
すると言う。
パッキングが成って
ないと指導し、
仲良しに!!
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昼前になって、本日はルクラの天候が悪く欠航となり、ホテルに引き上げる
食事の後、ガイドは予定変更に伴う手配に没頭、昨年も来たM嬢がタウンウオッチングに案内をしてくれた。
*名所のタルバール広場に向かうが、人・車・バイクでなかなか前に進めず、裏通りは雨で泥濘、その上混雑がひどい。
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◆3月12日 ルクラに再挑戦
早朝から空港で待機、その間、交流やパフォーマンスで時間を過す。
*結婚式に向かうインド人
一行を祝福。
我がメンバーと記念写真を
撮る。
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*今日もフライトは中止の
可能性大、ガイドは予測して
いて、ヘリを予め予約、空港
食堂で昼食、そこでガイドより
経過と変更の説明を受け
了解、ヘリポートに向かう。
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ヘリは、スイス人パイロットを
含め定員6名?。
助手席に乗り込み、他の4人
は後部座席にギュー詰め
状態。凡そ40分のフライトだ。
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世界で一番危険と言われるルクラ空港。
標高 2,800m 滑走路 460m、幅 20m、勾配 12%
駐機場スペース 小型機 4機、へリポート 1機
滑走路の手前は、600mの断崖
* エベレスト方面の登山の玄関口として賑わい、
街は登山用具店がひしめいている
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◆ルクラに到着
待ち受けていたスタッフと合流。
スタッフのリーダーは、コックのテンバさん、キッチンボーイ、ポーター(途中から2頭のヤクと
ヤク使いの青年に代わった)の総勢8名で我々の世話をしてくれる。
食料・調味料・メンバー5名の大型バックを託して、直ちにスタート 時刻は15:30分。
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◆コースと日程
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◆トレッキング スタート
街並みを通り抜け、ゲートを潜ると
エベレスト街道になる。
「急ごう」、夕闇が迫り、小雨がぱらつ
き出す。
レインコートを着込み、へッドランプを
点け、ひたすら歩く。
19時過ぎ、パグディン村のロッジに
到着、夕食後、湯たんぽを受け取り
就寝した。
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ルクラの街並み
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街外れにあるゲート
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◆3月13日 快晴
ナムチェに向け、ドゥードゥ・コシ川沿いを歩き、大きな吊り橋を何度も渡る。
景色は抜群、さすがエベレスト街道。 トレッカーや大きな荷を運ぶヤク、ロバ、ポーターで混みあう。
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ジョルサレ村で国立公園(サガルマータ国立公園)の
入域手続きを待つ間、インド人トレッカーと交流。
我々の事を「素晴らしい家族」と思ったようだ。
「ならば、娘を中心に 父・母・叔父の関係で楽しもう。」 |
◆3月14日 晴 ナムチェ ~ シャンポチェの丘 ~ サナサ へ 1回目の高所順応日
◆3月15日 晴 サナサ ~ ドーレ
ここからゴーキョ街道に入る、モンラ峠(4,000m)を越えて快適なトレッキングコースを辿る。
◆3月16日 晴 ドーレ ~ マッチェルモ(4,400m)
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右下にドゥードゥ・コシの渓谷、前方にヒマラヤの山並を見ながら雪のトレールを行く。
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◆3月17日 曇 マッチェルモ 2回目の高所順応日
◆3月18日 晴 ゴーキョ (4,750m)
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昨日の丘に昇る、Hさんはリタイア、此処までこられた事に満足し、マッチェルモのロッジで静養する事に、
ガイドの浅原 氏が付き添う事になり、この先はコックのテンバさん(元ガイド)が担当してくれる。
ドゥードゥ・ポカリ(氷河湖)も、今は白銀の世界、(写真右)中央にゴーキョピーク、麓に村が見え出す。
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◆3月19日 晴 ゴーキョピーク (5,360m)に 登頂)
正午 ピークに登頂!!
頂上にタルチョー(祈願の旗)に包まれた
仏像が安置されていた。 祈る!
天候:快晴、無風、気温 ‐15℃(推定)
寒さは感じず。
*前日登頂したオランダ人夫妻の話
では、この日だけが快晴だったらしい。
*81歳と1日、一日遅れの誕生日を
天も祝ってくれたのか感謝!!
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バンザイ!!
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娘と二人の爺さん
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リンゴをかじる、美味い!!
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頂上からの眺望は360度、“エベレスト”、“チョーオーユー”、“マカルー”、“ローツェ”の8000m峰が、
そして無数の6~7千m峰、荒涼と広がる“ゴジュンバ氷河”(写真右)など、時の経つのを忘れる。
ガイドに促され下山、ロッジについて振り返ると山はガスで覆われていた。
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◆3月20日 往路を逆に、マッチェルモ ~ ナムチェ ~ ルクラ に
マッチェルモ で静養組みと合流。帰路はペースが速い、後ろを振り返りながら、雪解けで泥濘む斜面に
悪戦苦闘し、欠航で遅れた1日を挽回するため頑張る。標高3,000mを19kmのアップ・ダウンは厳しい!!
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