「下手の横好きあれこれ」退職後に始めたこと 
 
                                 近江八幡市在住 今村 高
 
  「会員だより」を拝見していると、皆さんそれぞれ得意の趣味の紹介をしておられたり、日本のみな
  らず世界のあちこちを旅行された経験を紹介しておられます。残念ながら、私は趣味の力量で際立っ
  たものもなく、紹介すべきビックイベントにも乏しく、さてどうしたものかと思案しておりましたが
  、生来の浮気性でいろんなことにちょっとずつ手を出して来た事に思い至りました。
  そこで「下手の横好きあれこれ」と題して、退職後に始めた「あれこれ」を紹介しようと思います。

1.グループ農業
  子供の頃、100坪ほどの畑で母親がさつま芋や、えんどう豆、西瓜などを植えるのを手伝っていた
  記憶があります。その影響か、退職後は野菜作りをしようと決めていました。といっても畑はなく始
  めるきっかけを模索しておりました。
   始める契機となったのは、近江八幡市が退職前後の男性に「仲間作り」を目的に参加者募集をして
  いる催しでした。その年に参加した30人ほどが、市のお世話で数ケ月間幾つかの活動を行いその後
  はグループの自主的な活動が始まります。ウォーキングや料理教室、ボランティア活動などに加えて
  私はやりたかった野菜作りを提案しました。というのは、メンバーのAさんの目が少し不自由になっ
  たため畑の維持が困難になったという話を聞いており、一方サラリーマンをしながら30年間、野菜
  作りをして来たBさんという方がおられたので(この方は後で松下冷機に勤めていた方だと分かりま
  した)、Bさんを先生役にAさんの畑を使わせてほしいというお願いをした所、それぞれ快く引き受
  けていただきました。他にもやりたいという方がおられ8人のグループで活動をスタートしました。
  さらにAさんの近くの方の畑も使ってほしいという申し出があり、現在は2つの畑を使って活動をし
  ています。
   
   作るものは春夏野菜では、じゃがいも、スイカ、トマト、メロン、きゅうり、ナス、オクラ、枝豆
  、かぼちゃなど、秋冬では、定番の大根、白菜、キャベツ、人参、じゃがいも、さつまいも、さとい
  も、にんにく、ほうれん草、春菊、水菜などです。その他ぶどう、山芋なども植えています。
  活動時間は週一回金曜日午前中、繁忙期は金曜と日曜の午前が基本です。水やりは当番制でやってい
  ます。先生役のBさんが耕運機を持っているので大いに助かります。またグループでやることによる
  いろんなメリットを感じています。
   ①夏場の草取りなどつらいことも分担して作業ができ、短時間で楽にできること
   ②誰かが病気、用事などで欠席しても作業進行に滞りが出ないこと
   ③同年輩と情報交換・コミュニケーションをしながら作業ができること  などです。
  デメリットは、自分の欲しいものが十分手にはいらない場合があるということですが、トマトやレタ
  スなどは庭の片隅で作って補っています。
   
   尚、毎年生まれるこうした退職者のグループの総称を「おやじ連」と称して、各グループはゆるや
  かな連携をしています。作品展の開催や大きな行事(ヴォーリス建築展など)の際は、各会が分担し
  てボランティア活動などをやっています。

 

スイカの植え付け準備 
穴を掘り肥料を撒いて2週間ほど寝かせます


冬野菜の収穫風景



収穫した野菜


庭の片隅に植えたレタス

2.水彩画
   小中学校時代、「図工」はほとんど「3」で、大人になっても絵筆を握ることのなかった私が、退
  職後、絵を描き始めるとは全く予想していませんでした。
  私の義兄が中学の美術の先生であったことや入社後間もない頃の社用カレンダーに東山魁夷さんの絵
  が使われていて関心を持ったことなどから、絵に興味はあり時々絵の展示会に行くこと程度はしてい
  ました。
   
   絵を描くことの動機になったのは、私の長男が高校時代に美術部に入り3年間でそこそこ上手にな
  ったことが大きかったと思います。上達ぶりを見ていた私は「あれ、この子がこれ位描けるのなら俺
  にも描けるはずだ」という変な自信を持ったのが最初のきっかけだったような気がします。
  その後、家内が24色の透明水彩絵具を買ってくれて背中を押したことなどもあり、たまたま現在所
  属している水彩クラブの作品展があった時に見学に行き、その場で入会の申し込みをしました。
   
   会は教室ではないのであまり細かく教えてもらうことはありませんが、月2回程度例会に行って静
  物などを描きます。場所は八幡堀にあるので天気の良い日は外でも描けます。年に2回屋外写生会を
  行い、また年に1回は女性モデルを呼んで人物を描いています。当初の頃は絵を描くというよりは恥
  ばかり描いていましたが、恥を恥と思はない年令になったこともあって今日まで続けて来れました。
   
   長男は「絵は知能と関係があるので子供より大人の方がはるかに上手に描ける」と言っています。
  絵の良さという点ではまた別の見方があるのでしょうが、私も1年位でスケッチはそこそこ正確に描
  けるようになりました。ただ彩色は未だに分からないことが多くなかなか上達しません。混色の難し
  さもありますが、「透明水彩」という絵具の扱いが難しい面が大きいようです。皆さんが子供の頃使
  っていた絵具は「ガッシュ=不透明水彩絵具」と呼び、油絵と同じく上から描いた色が下の色を消し
  ます。透明水彩絵具は文字通り色が透けるので、濃い色の上に淡い色を置いてもその色はほとんど出
  ません。従って、 
    ①うすい色から先に塗る
    ②先に塗れないうすい部分はそこを抜いて塗るか、マスキング液でマスキングして後で塗る
     などのテクニックが必要になります。
   
   さすがに恥は描かなくなったと勝手な判断をしていますが、絵に隙が多いなあと自覚しています。
  しかし、絵を描く人はボケないとも聞きますし、まだまだ上達の余地はありそうだという思い込みも
  あるのでこれからも絵を続けて行こうと思います。
 
 

比較的初期に描いた
「クリスマスツリー」


今年の人物写生会で描いた
「本を読む女(ひと)」


作品展に出した「冬の比良山系」


屋外写生会で描いた「浮身堂(堅田)」


屋外写生会の作品「湖畔のレストラン」


屋外写生会の作品「五月の長命寺港」

3.日本画
   水彩を描くうちにふと日本画も学んだら水彩画の上達にも役立つのではないかと思い、日本画の教
  室に行くようになりました。近くの画材店でも教えているようでしたが、長くやる予定はなかったの
  で、草津の「KEIBUN文化講座」に通うことにしました。左下の「筍」が初めて描いた日本画で
  す。この時は「顔彩」という主に絵手紙を描くのに使われている絵具を使いました。これを描いて日
  本画独特の色の魅力があることに関心を強くし、次のステップへと進みました。
   
   その後、使う絵具が「水干絵具」や「岩絵具」へと広がりました。「顔彩」はすぐに溶かして描け
  るようにデンプン質や膠分を加え固めた絵具ですが、「水干絵具」「岩絵具」は自分で「膠(にかわ
  )」をお湯で溶かし、膠液に絵具の顔料を混ぜて使います。
  尚、「水干絵具」は「泥状」のものを干して作った顔料、「岩絵具」は岩を砕いて作った顔料です。
   
  日本画を描く手順もちょっと複雑で、まず鉛筆で画用紙等にスケッチし、それをトレーシングペーパ
  に写し取り、それをもとに「麻紙ボード」等に鉛筆で写し取り、さらにその上に墨で線や濃淡を書き
  込んだ「骨書き(水墨画)」(右下写真)というものを仕上げて初めて下塗りと彩色が始まります。
   プロは墨から描く人もいるのでしょうが、普通の人にとっては絵具の扱い、絵の下書き共に手間が
  かかるので日本画を描く人は沢山いないようですが、独特の色彩は非常に魅力的です。
  短期の予定だったので、KEIBUNの講座は昨年末で一旦退会しましたが、日本画の魅力を知り改
  めて近くの画材店の教室を訪ねてみようかと思っています。
 
 
初めて描いた日本画「筍」

 
日本画の骨書き(水墨)「八幡堀」

   
右上水墨「八幡堀」の元になった水彩画

 
以前描いた絵の修正中

4.短歌
   短歌は高校時代から好きで、「箱根路を わが超えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 浪の寄る見ゆ」
  (源実朝)という和歌などは今でも良く覚えています。実際に短歌を作り始めたのは、以下のような
  出来事がきっかけでした。
   ある日、かつての職場の先輩から電話があり「煎茶の茶会」に来ないかという誘いがありました。
  茶会当日、久しぶりにお会いして話を聞くと瀬田の「龍谷大学社会人講座」で「煎茶」「川柳」を学
  んでいるとのことでした。その際「講座のパンフレット」をいただきましたので内容を調べてみると
  短歌講座がありました。当時家内が亡くなって日も浅いという時で心の整理をする気持もあり、若い
  時から好きだった短歌を始めてみようと決め、講座の生徒となりました。
   
   どんなやり方をするのだろか、作り方なども教えてくれるのだろうかと思いながら初めての講座に
  参加しました。残念ながら作り方らしきことは教えてくれないようで、毎回のテーマとして「詠題」
  というものが提示されます。例えば「秋」「旅」といったキーワードが提示されますのでそれに関
  連する、あるいはその言葉から想起される短歌を5首作り、あらかじめ講師に届けます。講座では講
  師が三首選び紹介します。いわゆる添削ということはされません。
   
   最初はキーワードから五首作るのに四苦八苦し、なかなか5首作れませんでした。他の方はどんな
  やり方をしているのか分かりませんが、結局私が採った方法は、
     ①最近あったことからキーワードに相応しい出来事を想起する
      ②昔の記憶をたどり、キーワードに相応しい思い出を探す  の2つが主な方法でした。
  体験の多さや深さが歌作りに影響を与えるのではないかと思いがちですが、必ずしも波乱万丈の人生
  が必要なわけでなく、平凡なことに「何か」を感じる感受性が歌の命ではないかと思っています。
   
   表現テクニックでは、永くやっている方の短歌は比喩も上手で言葉の使い方がおしゃれです。また
  絵と同じで短歌はその方の個性が色濃く出ます。或る方の歌はいつもこんな感じで個性的でした。
 

   「馬車にする かぼちゃ抱える 魔女一人 大人になっても 奇跡は起こる」

   
   短歌の最高レベルは、名歌として時空を超えて未来の人と繋がりを持てるレベルでしょう。
  たとえそうしたレベルでなくても短歌の魅力は十分に味わえると思います。例えば、ともすれば暮ら
  しの中で消え去っていく出来事をその時の心情も含めて記録として残し、後で追想できること、さら
  に普遍的な一瞬の記録として他の人との共感・共有ができることなどがあるかと思います。現在短歌
  教室は中断していますが、機会があれば再開したいと思っています。
   以下、主に教室の宿題で詠んだ未熟な歌ですが、幾つか紹介します。
   
  詠題「秋」    「あの日から 幾日が過ぎぬ 彼岸花 今年の月夜 ひとり夕餉す
                           ~家内の死去から半年経った秋に~
   
  詠題「旅・地名」 「比良からの 冷たき風に さらされて 大根を抜く 師走の畑 」
                         ~年末の畑作業のひとコマ~
   
  詠題「旅・地名」 「亡き人と 旅を語りし ことありき ボッチェリ歌う トスカーナの丘」
                  ~アンドレア・ボッチェリの野外コンサートに想いをはせて~ 
   
  詠題「音楽・音」 「思い出す 異質の音から 半世紀 ビートルズ聴きし 中二の夏を」
   ~中二の時にラジオから流れるビートルズの「A Hard Day's Night」聴いた 思い出~
   
  詠題「五月・初夏」「県境の 山の集落 やや遅く 五月の空に 春の芽が吹く
 

              ~カメラ講座で米原甲津原に行き山間部の遅い春の訪れを詠む~

   
  詠題「芸術」   「窓灯り 町屋の家並み 除夜の鐘 雪降り続く 今はなき京」
                              ~東山魁夷作品「年暮る」に寄せて ~
   
  詠題「橘 曙覧(たちばなのあけみ)」の「独楽吟」スタイルで
            「たのしみは ふと思い立ち 家を出で 小春日浴びて 散歩する時」
   
  番外編      「亡き妻の 形見の衣 身に纏い (ひいな)優しく この娘(こ)をあやす」
               ~孫娘の顔を見ないまま亡くなった家内の着物で雛人形を作った折に~
 
 
5.カメラ
   カメラを始めたきっかけは、実にたわいないことです。それまで持っていたコンパクトカメラが壊
  れたため、ミーハー的な気分でCANONの一眼レフカメラを購入しました。そして、バカチョンカ
  メラと同じ感覚でパチパチ撮っていたのですが、物足らなくなって来ました。その頃、滋賀支部で
  フォトウォーク同好会が発足したので迷わず参加しました。
  また、KEIBUN文化講座でカメラ講座があることを知り、受講することにしました。講座ではあ
  まり細かい撮影技術などは教えず撮影会終了後、各自3点の写真を提出し先生が講評するというスタ
  イルでした。
  KEIBUN講座に通い先生の講評を聞くうちに、絵画とカメラの共通点及び異なる点に気づきまし
  た。共通な点は主に構図の取り方です。異なる点の背景には次のような事情があります。絵画は10
  0人が同じ所から描いても、おそらく100枚の異なった絵ができると思われますが、カメラの場合
  同じ場所から100人が撮影すると、非常に良く似た写真が続出することが予想されます。従って作
  品展などに出展する写真の評価を私なりに理解すると、
   ①基本として、ピントがあっている~ピンボケは最初にはねられるそうです。
    ②次に、他の写真にはない独自性・違いがある。
   ③優れた芸術的要素・訴えるポイントを感じられる。
  の3点が必要になるのではないかと思います。
  言うは易し行うは難しで、なかなかいい写真はとれません。下の写真の上段2つはKEIBUN講座
  の中で先生にピックアップしてもらった写真です。一方、その下左の「島の路地」という写真は、
  沖島に行った際、「路地の中に生活」も視点の一つと言う先生のアドバイスで撮った写真ですが、
  当日先生がNo.1に押した写真は、同じような路地のアングルで赤い少女の長靴がおいてある写真
  でした。私はその場所を見つけることが出来できず、写真を撮る時の目・集中力の重要さを思い知ら
  された撮影会でした。以来、写真の難しさを感じっぱなしで、下手の横好きの典型です。
  フォトウォーク同好会などで相変わらず撮り続けていますが、どうもこの分野だけは自分の腕が上達
  しているのかどうかが分かりにくい分野です。まあ、気長に気楽にやって行こうと思います。
   
 
KEIBUNカメラ講座「山村の営み」
(米原甲津原)


KEIBUNカメラ講座「漁網」
(沖島)

 
KEIBUNカメラ講座「島の路地」
(沖島)


フォトウォーク同好会「少女時代」
(三井寺)

 
フォトウォーク同好会「清流一輪」
(醒ヶ井)


フォトウォーク同好会「お堂はもうすぐ」
(京都栂ノ尾「高台寺」)

 
フォトウォーク同好会(半木の道)
「ひそやかな思いを秘めて花の影」


フォトウォーク同好会(半木の道)
「桜散り妻の祥月近づけり」

6.「一万人の第九」への参加
   昨年、毎年大阪城ホールで開催される「一万人の第九」に参加し、本年も当選したので目下12月
  6日の本番に向け、ほぼ毎週レッスン中です。
   これに参加しようと思ったのは偶然のきっかけです。今年の五月まで私は滋賀支部のホームページ
  担当をしておりました。記憶にある方も多いと思いますが、昨年の4~5月に竜王町のSYさんが、
  「一万人の第九に魅せられて」というテーマで会員だよりに投稿されました。その原稿のHP化を私
  が担当しましたが、HP作業を開始した段階ではまさか私がその年の12月に大阪城ホールの舞台に
  いるなどということは夢想だにしておりませんでした。
   ベートベンの第九コンサートについては何となく知ってはいたのですが、「一万人」で歌うコンサ
  ートがあるということは、この原稿のHP制作で再認識しました。そしてHP作業が完了した時、「
  一万人の歌声を聴いてみたい!」「いや一万人の一人として歌ってみたい!」という思いが猛然と湧い
  て来たのです。
   
   合唱経験ゼロ、カラオケ経験少々の私が、怖いもの知らずの無謀な発想をし、幸か不幸かその年の
  応募に間に合い、抽選にも当たったので、第一回目のレッスンに初参加。早速テノールパートの練習
  用CDと楽譜を買い、家で練習開始。第二外国語はドイツ語だったので問題なし、CDに合わせて歌
  ってみると楽に歌える。「楽勝」と思いながら楽譜をよく見ると、あることに気が付きました。「あ
  れ、一オクターブ下で歌っていたのでは?」そうだったのです、ガ~ン。急遽一オクターブ上げて歌
  おうとするも、裏声らしきキンキン声が精一杯。一気に自信を失いました。早速次回のレッスンの後
  で先生に相談すると、私の声を聞いて「まあいけるんじゃないですか」とのご宣託。それでもしばら
  く、「こんなキンキン声でいいのかな?」と悩んでおりました。その悩みが軽くなったのは本番の指
  揮をとる佐渡裕さんがある本に書かれていた次の言葉でした。
 
  「最初はみんな『私1人くらい歌わなくても大丈夫だろう』という気持ちで参加する。しかし、それ
  では苦労して1万人でやる意味がない。1万人が冷めて歌っている光景ほど、ぞっとするものはない
  。だから僕は練習のたびに『ガラガラ声もキンキン声も全部受け入れるから、1人ひとりが主人公に
  なってほしい』と訴えてきた。(中略)年齢も職業も経験もバラバラな1万人が、自分自身が実感で
  きるよろこびを思いながら「歓喜の歌」を歌いあげる。文字通りひとつになって、「フロイデ」とい
  う言葉を口にする。(中略)1万人がただ集まって歌う場ではなく、1人ひとりが自分の人生をひ
  っさげて、1度きりの本番に臨む。」
   
   またレッスン時には柔軟体操の後に発声練習があり、その中で参加者共通の悩みである高音の発声
  法について理論・方法を丁寧に教えていただくので、徐々にですが私の高音部の声が変化して来た様
  な気がします(思い込みかなあ)。しかし合唱経験のなさで、隣でソプラノの歌声が聞こえるとすぐ
  にそちらに引っ張られる癖はなかなかなおりませんが、習うより慣れろでやって行こうと思います。
   「一万人の第九」の昨年の参加者の年齢は、下は7才から(小学生から参加可)最高齢の方は90
  才台だったそうです。そこまで生きておれるか分かりませんが、健康のためにも出来るだけ長く歌い
  続けたいと思っています。
   
   
昨年の「一万人の第九コンサート」
大阪城ホールにて

 
今年の練習会場
京阪「中ノ庄」駅下車「FIGARO」ホール

7.最後に
  以上退職後にやって来たあれこれを紹介しましたが、その中で幾つか感じたことがあります。
   
  ①継続は力
   初めてやることは、最初はうまく行きません。しかし、年の功で恥ずかしいこともあまり恥ずかし
  いとも思わずやって来られたことが、継続できたひとつの理由かと思います。
  続けて行くと下手は下手なりに少しずつ上達していく自分を発見できます。年を取っても人は成長し
  て行けるんだなあということを実感しています。
 
  ②仲間を持つ・何かの会に入る
   長く継続するためには、やはり何かの会に入ったり教室に通って一緒にやる仲間を持つことが大切
  かと思います。
  自分の作った作品を見てもらい、聴いてもらい、さらに感想を聞くということが、やりがいにも繋が
  って行き、継続する力へと転化していくように思います。
   
  ③芸術の共通性
   先般、ヨットのロープを細かく描いた私の絵について水彩画の先生が「あまり説明的に細かく描か
  ずに、シルエットとその色・濃淡だけを追って描きなさい」という指導をされました。
  「説明的表現」は、短歌や俳句の世界では好ましくない表現と言われているのは知っていましたが、
  絵の世界でも指摘されたのにはちょっとびっくりしました。指摘されたことの意味は、おぼろげなが
  ら理解できるものの、すぐに消化できそうにはありません。それはさておき、他にも芸術の共通性を
  感じることがあり、深く追及していると共通の世界が見えるのかなあと思う出来事でした。
 
  ④人との縁
   こうやって原稿をまとめてみると退職後いろいろとやって来たことは、いろんな人との「縁」で始
  めたことが多いなあという気がしています。私に情報を与えてくれた方、きっかけを与えてくれた方
  、技術を与えてくれた方に感謝してレポートを終わります。