中山道ひとり旅


 

2014年6月
 守山市在住
    植木 龍夫 さん
 
 ◆ きっかけ

   旧・中山道は私が住んでいる守山市伊勢町のすぐ西側を通っています。
   南に行けば草津を経て京都へ。北に行けば野洲を経て江戸へ。若いときはそれほど気にもならな
   かったのですが、年を重ねるにつれて古から連綿と続いてきた街道や宿場町の風景のイメージが
   膨らみ、安藤広重の浮世絵や十返舎一九の「弥次喜多道中 中山道編」にも登場したこの道を「
   一人で歩き通したい」と思うようになりました。

   そして昨年(2013年)6月に65才で現役を退き、サンデー毎日の生活になったことをきっ 
   かけに、「ひとり旅」の準備をスタートすることにしました。

   家内や子供たちに話すと、驚くと同時に大賛成してくれました。東京に住む長男夫婦も「日本橋 
   についたときは、孫も連れて盛大に迎えるわ」とうれしいことを言ってくれたことも、背中を大
   いに押してくれました。
 


 ◆ 旅の方針

   中山道は京都三条大橋と東京(江戸)日本橋を69の宿場でつなぐ534kmの街道です。
   昔の人は一日に、男なら30km・健脚だと40km・女性だと20kmくらいを歩いていたそ
   うですが、長歩きの経験がない自分には到底無理な話なので次のような方針を立てました。

 
   ① 楽しく   :できるだけ晴天を狙って、気持ちよく楽しく歩く。

   ② 安全で   : 一日15km~20kmくらいを目安とし、酷暑・極寒の時期は無理を
             しない。(この距離には自宅から守山駅までの往復や、途中での寄道距離
             等は含めない。)
    
   ③ 気ままに  :一人で歩く。旅の途中に興味をそそるものがあれば気ままに動く。



 ◆ 準備


   ① 体力づくり :まずは徒歩で歩き通す体力をつけるために、
            ・自宅の近くに60分程度のコースを作り速足で歩く訓練を実施。
            ・駅やビルなどではできるだけ階段を歩いた。

   ② ルート調べ :旅行好きの皆さんのブログなどの紹介・本を活用し調べた。
             比較的簡単に旧街道の道順等の情報が入手できた。  
      

   ③ 一日のコース:東京までぶっ通しで歩かない。尺取虫方式を採用。
     計画      都度自宅に戻り、また後日その地点から歩く。
             ・京都から滋賀県・岐阜県の途中までは日帰りで継ぎ足し。
             ・その後からは一泊や二泊を繰り返すとした。

 ◆ 出発 第一日目:2013年6月16日 京都/三条大橋~山科/大津 11km






 よく晴れた暑い日だった。本当は6月末で退職したの
 で、7月以降に歩きはじめようと思っていたのだが、
 準備が整い晴天が続くと我慢ができずに、勇んで出
 かけた。

 朝8時に三条大橋(海抜41m)のたもとで、記念写真
 を撮り出発。

 ちょうど朝のきつい日差しが東の進行方向から照りつ
 けるので、眩しくて暑くて・・・・。
 黙々と蹴上までのだらだら坂を上っていく。

8:00三条大橋を出発


朝日を正面から浴びて歩く
   途中でホテルから出てきたアジア系外国人の女性二人から南禅寺までの道順を尋ねられて、
   ここは国際親善の一翼を担うべくかっこよく身振りとカタコト英語で教えて大いに感謝された。


 
三条白川の柳

 
山科を超えて逢坂の峠に向けて登る

  
   あとはまた歩く、登るの連続。逆方向から歩いてくる同じような志で歩いてくる旅人達と挨拶を
   交わしつつ、海抜95mほどの九条山の峠を越えて、山科駅前(海抜56m)で休憩。
   汗を拭いて、少し斜度が急になる逢坂の峠道をひたすら登る。

   百人一首で有名な「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」の逢坂の
   関所跡(海抜170m)に立ち寄り、「さあ、いよいよ大津への下り坂やーっ」と意気揚々と国
   道一号線の左側を下り続けると、「歩道が無い!」。突然歩道が途切れて無くなり、車道だけに
   なって愕然。車道の反対側を見るとちゃんと歩道が続いている。あちらに渡りたいけどすごいス
   ピードで行きかう国道を横切るなど自殺行為なので、安全第一を考えて、来た道を峠の頂上まで
   100mほど登って引き返し、横断歩道を渡って無事大津まで降りることができた。


逢坂の関

もうすぐ大津に到着 左側には歩道がない


 第1回目は11kmと短い距離だったが、二つ
 の峠を越えてかなり体力も使ったので、本日の
 予定はひとまずこれで終了。

 大津駅からJRで帰宅の途に就いた。


  ◆ 第二日目:2013年9月17日 大津~草津 19km


 
大津市内:街道筋には土壌や土嚢が残る

 
   昨日は大型の台風18号が通り過ぎ、嵐山の渡月橋周辺が浸水したり、滋賀でも41年ぶりに南郷
   洗堰を全閉鎖するなどの被害が続出。
   一夜明けて、台風一過の晴天。後始末に汗を流す皆様には心の中で謝りつつその被害地を歩くこと
   となった。

   大津の町中では土嚢が積まれ、道筋には山からの砂利があちこちに堆積。ある神社では上流の川が
   氾濫して境内に土砂が流れ込み、ご婦人が汗を拭き拭き土砂の掃除をされていた。「大変でしたね」
   と声をかけると、「本当に厄介なことで・・・」とのご返事。
   (神社の効能書きを見ると、「厄除け」の文字が・・・)

   木曽義仲と松尾芭蕉が並んで眠る国指定史跡「義仲寺」でひと休み。自分のほかに一人もいない
   静寂の境内に腰かけ「古池や蛙飛び込む水の音」の風情をしばし楽しむ。


  
  街道を外れた膳所城跡地で休憩し、濁った水がどんよりとたまった状態の瀬田川を、瀬田の唐橋で
  渡って草津へとひたすら進む。

 
膳所城跡:町中のピンクの線が旧中山道

  膳所城跡から近江大橋を望む
 
 「瀬田の唐橋」と台風で濁った瀬田川の水
 

 途中、建部大社に立ち寄り旅の無事を祈願。午
 後になるとかなり日差しが暑くなり、木陰で休
 憩を取り、水分補給をしながら進む。

 瀬田駅前や南草津駅前あたりの旧街道は土地勘
 もあるのでほとんど迷うことなくどんどん歩き
 、あっという間に草津本陣跡へ。

 京都三条大橋からここ草津宿までは東海道と中
 山道が重なっている区間で、
 【右 東海道 左 中山道】の碑が建っている。

 今日の予定はここまで。

 
              建部大社と右は建部大社が印刷されている幻の千円札

 
   昼食に立ち寄った街道横のオムライスの店

     瀬田駅前一里山にある一里塚
 
  草津の矢倉橋

草津宿:右「東海道」 左「中山道」
 
   第三日目:2013年10月22日 草津~武佐 21km


 今日は少し秋の気配が感じられる日和。
 草津を出発し我が家(守山市)のすぐ横の旧
 街道を通って、守山の町中へ。京都三条大橋
 から34.4kmの工程にある守山の宿は、
 昔の旅人にとって、「京立ち 守山泊まり」
 と言って、最初の宿泊先だったとのこと。

 
 同年輩の男性が、「街道を歩いてんの?いい
 なー、最近そういう人たち多いよ。私も歩き
 たいなー」と気軽に声をかけて通って行った。

 【やりたいと思った時がやるときですよー】
 
守山・今宿の一里塚

守山宿に入る土橋
 
延暦寺の東方を守る守山の東門院


野洲川と三上山
   野洲川を越え、古墳と銅鐸の町 野洲へ。街道沿いの甲山古墳や丸山古墳などの古墳群の横を通る
   ときは、少し寄り道して一つ一つ古墳の中を覗いて回った。

 
野洲の街道標識

甲山古墳

 
無常の休日

 旧街道は適当な食事の場所がなかなか見当たら
 ない。街道沿いは人家が並ぶだけで、食堂など
 がある商店街はたぶんかなり外れたところにあ
 るのだろう。

 地図を見て、今回は竜王の「かがみの里道の駅」
 での昼食を計画していたのだが、着いてみると
 「本日休業」の札。疲れとガックリ感と空腹で
 しばし唖然。

 「定休日を事前に調べていなかった自分が悪い
 わなー」と、非常食のアンパンをリュックか
 ら出して、とりあえずの昼食。
   鏡の里前の「鏡神社」は鞍馬山を脱出して奥州に向かう牛若丸が「源九郎義経」と名乗り元服の式
   を挙げた場所。源平時代や戦国時代の歴史には大いに関心のある自分としては、ここでも街道を外
   れて、鏡神社近辺の義経ゆかりの場所をいろいろと見て回った。

 
義経元服の地、鏡神社

義経宿泊の館跡

   鏡神社を後にして、日野川沿いの堤防上を歩き、浮世絵師安藤広重が描いた武佐の船渡しの場所を
   通って、中山道67番目の宿、武佐宿へ。帰りの交通の便の関係で、近江鉄道の武佐駅が今日の終
   着点。

   コスモスが風にそよぎ、柔らかい秋の日差しを受けながら、時には国道の横を、時にはのどかな村
   里の道を、鼻歌を歌いながら気持ちよく歩きました。

 
   秋の風情がいっぱいの少しさびしい中山道

  日野川の堤防が旧中山道
 
武佐の船渡し跡

    コスモス畑を横目に歩く歩く
 
近江鉄道 武佐駅(無人)

  ◆ 第四日目:2013年11月16日 武佐~豊郷 14km

   秋晴れの日。JRと近江鉄道で無人駅の武佐駅
 まで行き、8時30分。さあ、出発。

 武佐駅は旧街道沿いの旧跡などがよく整備され
 ていて、本陣跡・脇本陣跡などを見ながら、八
 風街道を横切って、東海道新幹線と国道8号線
 の間を北上。
 
 
1728年、輸入された像が武佐宿を通った

武佐宿の本陣跡

 
新幹線に沿って国道8号線をこわごわ歩く


天秤の町 五個荘町
   近江商人発祥の地のひとつ五個荘町の街並みを過ぎ、中仙道愛知川宿に到着。宿場町を気持ちよく
   歩いていると、女性の声で「ひと休みされませんかー?」と声がかかる。そこは愛知川の商工観光
   課の皆さんが営む「休憩&街道案内」。

   お言葉に甘えて縁台に腰かけてお茶やアメをいただき、旅の話題にしばし雑談。最近は中高年で、
   中山道を旅する人が確かに増えているらしい。
   お世話になった二人の女性の記念写真を撮って再出発。

 
愛知川宿
 
お世話になった休憩所と、スタッフのお二人

   「江州音頭のふるさと」と言われる豊郷で、今日の旅は終わり。
    近江鉄道豊郷駅から彦根を経由して帰宅した。
  
 
江州音頭のさと 豊郷
 
旧庁舎前には江州音頭のデザインが

 ◆ 第五日目:2013年11月21日 豊郷~鳥居本 11km

 
 前回から五日しか経っていないのに随分と秋の
 深まりを感じさせる日だった。

 豊郷の駅前から北に向かって一直線に伸びた旧
 中山道を、ひたすら歩いている最中に空模様が
 おかしくなる。
 そして犬上川を渡り、高宮宿についたときに、
 ついにシトシトと冷たい雨が降り始めた。傘を
 さして歩き始めたが、さらに本降りになりそう
 な強い雨脚に、逃げるように近江鉄道高宮駅ま
 で行き雨宿り。

 まだ歩き出して時間も経っていないけど、冷た
 いし周りは暗くなるしで、気分は一気にブルー
 に転落。「もう帰ろうかなーっ!」と諦めかけ
 た時にようやく小降りになり、ポツポツ雨にな
 り、そして晴れ間が見えてきた。

 「天は我に味方したか」。天気も気分も一気に
 回復して再出発。

 
豊郷を出発して北へ歩く

 
高宮宿の「むちん橋」
   芹川を渡る直前の旭森公園でひと休み。紅葉がきれいな公園の横の山は大堀山。昔々は鳥籠山
   (とこのやま)と言って、壬申の乱のときに大海人皇子軍が朝廷軍を破った古戦場らしい。

   左手に彦根市街地を見ながらさらに北上し、彦根カントリー東側の小野町へ。ここは小野小町
   誕生の地としての伝承があり、「小町塚」が残っている。

 
旭森公園で休憩

小町塚
 
晩秋の里道を行く
 晩秋の風情豊かな谷あいの街道を歩き、近江鉄
 道鳥居本駅{無人駅へ)

 雨宿りをしていた時間があり旅程は11kmと
 短かったけど、諦めずに歩いてよかった。

近江鉄道 鳥居本駅

近江鉄道の「ゆるキャラ電車」

 ◆ 第六日目:2013年12月3日 鳥居本~柏原 15km

   師走に入って空気にもピンと張りつめた感があ
 る晴天の日。今日はいよいよ山道に入る。

 8時30分。まずは鳥居本から北上し、フジテ
 ックのエレベーター試験塔の側あたりで摺針峠
 に向かって人ひとり通れるくらいの狭い間道
 に入る。
 
 「これが中山道か!?」。昼なお暗く鬱蒼と茂
 る森。台風18号で折れた木が垂れかかる荒れ
 た山道。前後に歩く人はなく、心細いことこの
 上ない。

 「冬眠前のクマがでてきたらどうしよ
 う!クマよけのすずもってないし!」

  
「またおいでやす」彦根市

ここからいよいよ山道に入る
 
竹や雑木が両側に迫る
 
暗い!胸の蛍光ワッペンが光る
 
台風18号で荒れた山道

右の小道から出てきました
 
今度は手すり付の小道を登ります

そして舗装道路へ出てきます

   そんな不安いっぱいの山道を登り、ようやく峠に出た時は小さな達成感で晴れ晴れ。
 
峠から見た琵琶湖方面

 
舗装道路を歩く歩く
 
番場宿
 そうこうするうちに、瞼の母「番場の忠太郎」
 で有名な「番場宿」に到着。街道から少し入っ
 たところにある蓮花寺には忠太郎地蔵尊が建立
 されており、

 「親をたずぬる子には親を、子をたずぬる親に
  は子をめぐりあわせ給え」との碑が
 
 書いてあった。思わず合掌。

 境内をいろいろ見て歩くうちに急に太陽の光が
 背後の樹間を通して差し込み、自分の姿がシル
 エットに。周囲の静寂さと光の神々しさに写真
 を一枚。 
 
由緒のある寺 蓮花寺

 
樹間からの日光を浴び感激

忠太郎碑(親をたずぬる子には親を・・・)

   山あいの街道はおいしい空気と自然の美しさがいっぱい。家々の庭の松の木には雪吊りのロープの
   風景があったりしてのんびりと歩いた。

   しかし、歩道が無い国道21号線の脇を歩かざるを得なかったと時、後ろから大型トラックが抜い
   て行ったら、すごい風圧に押されて跳ねられそうな危険を感じた。
   そんな怖い思いもしながら醒ヶ井宿に到達。

 


   駅前の「醒ヶ井水の宿駅」内のレストランで食事をする予定だったのに、またしても「休館日」の
   仕打ち。前調べをしていないという同じ過ちをしてしまった自分に腹を立てる。

   気を取り直して近くの食堂で昼食。夏になると醒ヶ井の川に咲く梅花藻について食堂の主人から話
   を聞く。食堂内には梅花藻の写真がたくさん飾ってあった。
    

「本日休館」
 
夏の梅花藻で有名な醒ヶ井の川

   午後になり、今日の予定地である柏原宿へ。途中にはまたしても山道みたいに荒れた街道があった
   けど、きれいな並木道があり、ぽっかり浮かんだ白い雲と青空ありで、今日も清々しい一日を過ご
   すことができた。


腹ごしらえも済み、再出発

またまた樹間の道に入る

かなり荒れた道をひたすら歩く

樹間を抜けるとすっきりした風景

柏原宿入口の碑

並木道が気持ちいい!

柏原宿内の街道

柏原宿は古い家並が多く残っている

  ◆ 第七日目:2013年12月5日 柏原~岐阜県/垂井 13km+関ヶ原古戦場散策 4km



 今日で滋賀県に別れを告げ、岐阜県に入る。

 朝の8時半に柏原駅着。柏原の町中を歩いてい
 ると町内の皆さんが藁(わら)を裁断していた
 。何をやっているのか聞いてみると、「神社の
 しめ縄づくりを始めるところです」とのこと。
 こんな所にも師走の行事があるんだなあ。


私の右側が旧・東山道の暗い道
 さらに少し歩くと今は廃道になった
 「旧東山道」の道しるべ。

 この鬱蒼とした暗がりを通らずに済んで
 よかった。
 
 
   きれいに整備された楓並木を歩いてしばらく行くと、幅数十センチの溝を境にして滋賀県と岐阜県
   の県境の標識が立っている。ここは中山道の古跡「寝物語」の場所としても有名な場所だそうで、
   近江の国と美濃の国の旅館や番所が狭い溝を境に軒を接していて、寝ながらにして他国の人と話あ
   えたということだ。
   源義朝を追ってきた常盤御前、源義経を追ってきた静御前が、それぞれに旧知のものと巡り合った
   場所とも伝えられている。

 
もうすぐ「寝物語の里」

楓並木のウォーキングが気持ちいい

   このすぐ近くには「おくの細道 芭蕉道」「野ざらし芭蕉道」と銘打った碑があり、寒々とした
   景色とあいまって、しばし往時を偲んだ。


 この細い道が県境であり「寝物語」の由来 

芭蕉の句、野ざらしの文言そのままの風景

今須峠を降りていく

   岐阜に入るともうそこは関ヶ原町。今須峠を越えてしばらく行くと、先ほどの常盤御前の墓。
   母として牛若丸の行方が案じられてならず、行方をさがしていた途中に土賊に殺され、里人がここ
   に塚を築いたと伝えられているそうだ。いつの時代にも変わらぬ母の愛に合掌。

   山里の街道をしばらく歩くと、いよいよ関ヶ原古戦場跡に入る。中山道からはかなり外れるが今日
   の旅の楽しみの一つでもあるので、中山道のルートを外れて関ヶ原を巡ることにする。関ヶ原を訪
   れるのはこれで6回目くらいになるが、いつ来てもワクワクしてしまう。
   まずは壬申の乱(672年)の「不破の関記念館」を尋ねる。
  

関ヶ原に入る

壬申の乱で東西両軍が向かい合った「藤古川」

 お客は自分ひとりだけの贅沢な見学になり、ゆ
 っくりとビデオを見せていただき、敗れた大友
 皇子が自害したのは、滋賀の山前か京都の山崎
 かということで、記念館のスタッフの方と二人
 で話し込む。
 
   次は関ヶ原の戦(1600年)の古戦場。鹿児島に縁のある自分としてはいつものことながら最初に
   島津陣跡を訪れ、徳川本陣めがけての敵中突破に思いを巡らす。さらにいろんな陣所跡を見て回り
   最後は石田光成の笹尾山へ。千葉県から来たという一人旅の若者と関ヶ原の魅力について語り合い
   、ここで昼食をとる。
   ススキの穂が光る古戦場跡の道を通って元の中山道に戻り再出発。

 
島津義弘公陣所跡

石田光成の笹尾山から関ヶ原古戦場を見る
    
笹尾山から見た左・桃配山方面

 ススキの穂が光る関ヶ原古戦場

   青空に白い雲、ポカポカ陽気の中、徳川家康が最初に本陣を構えた桃配山の麓を過ぎ、きれいに
   整備された並木道を気持ちよく歩いて、陽も傾いてきたころに「垂井宿」に到着。国史指定を受
   けている「垂井一里塚」前を通ってJR垂井駅へ。
   今日の予定はここまで。

  
桃配山の麓の並木道を過ぎる
         国史指定「垂井一里塚」

安藤広重が描いた雨の垂井宿
 桃配山の麓から垂井に着くまでに、誰々武将の
 陣跡、というのが街道筋に延々と続いた。

 関ヶ原の戦いというのは、笹尾山から見るだけ
 では窺えないほどの想像以上に広範囲かつ大規
 模な戦場だったのを再認識した旅だった。
 
 ◆ 第八日目:2014年2月24日 岐阜県/垂井~美江寺(みえじ) 16km
 
   

   今日は最初から失敗をしてしまった。垂井に向かうJRの車中でデジタルカメラを忘れたことに気 
   が付いた。まあ、しょうがないかと思いながらも、宿場町としてきれいに整備されていれている「
   赤坂宿」を通るときには「ああ、やっぱりカメラに収めたい景色やなあ」とため息。

   岐阜経済大学の近くにある喫茶店で昼食をとる。ここにきて初めていつも持ち歩いているタブレッ
   ト端末のIーPad-miniにカメラ機能がついていることに気付く。
   写真と言えばデジカメという短絡思考にまたまた自己嫌悪。ここから先はタブレットのカメラで映
   すことにした。
   少し進むと揖斐川(旧名・呂久川)の昔の渡船場「呂久の渡」跡に着く。往時をイメージしながら長
   い長い鷺田橋を渡る。

 
 
呂久の渡し

揖斐川近くの水郷風景
 
冠雪した伊吹山
 このあたりは関ヶ原の山間から抜けて全体に
 平坦な地になるので、遠くに冠雪した伊吹山
 を見ながら進む。

 揖斐川の東側も田圃が開けていてのんびりし
 た景色の中を歩く。
   
   そして本日の終着点、中山道55番目の宿場「美江寺(みえじ)宿」に到着。
   帰りは淡墨桜の花見で有名な垂水鉄道を利用。美江寺駅から大垣経由で帰る。

 
美江寺宿の看板


垂水鉄道「美江寺駅」(無人)
   第九日目:2014年3月28日 美江寺から那珂 18km
 
 

   冬の寒さから春の日差しに変化し、晴天にも恵まれた気持ちのいい朝に自宅を出発。

   9時に美江寺(みえじ)からの旅を再開。河渡宿を経て長良川を越えるべく大きな堤防に上がる。行
   きかう人もほとんどなく、耳を澄ませば広い河原から鶯の鳴き声が・・・
   ホーホケキョ ケキョケキョ・・・・ 「ほー情緒あるなー」と鶯の声を聴きながら堤防上を河渡橋に
   向かって進む。

   しかし堤防から橋に上がるには一旦堤防から降りて大きくバックする必要があった。運よく通りか
   かった地元の男性に尋ねると「足元は悪いけど橋の手すりが途切れてるところから登れるよ。気を
   付けてね」とのこと。よかった。

 
河渡宿の一里塚跡

長良川の堤防上。ホトトギスの声がのどか
 
堤防から橋に上がる場所(隙間)があった
 長良川を無事に渡って東へと歩いていると、街
 道沿いの神社の境内には早くも桜がチラホラと
 三分咲き。

 守山の辺りはまだほとんど咲いてないのに、全
 国的に少し早目の開花ということなので、さて
 は今日のポカポカ陽気で咲き始めたかな? 
 
 
桜が咲き始めた街道脇の神社
 
斉藤道三ゆかりの祭らしい
  
加納宿の参勤道中の絵
 川沿いの桜

   皇女和宮が江戸に向かわれたときに宿泊されたという加納宿を過ぎて、タンポポが咲き誇る街道を
   通り鳥屋一里塚を過ぎて岐阜の市街地へ。岐阜駅構内で昼食と休憩をとり、午後もひたすら東へ東
   へと歩く。この道は旧中山道とはいっても都会の街並みが多く、距離を稼ぐためにただ歩く。

 
タンポポの咲く道を行く

新加納宿
   
   15時45分JR那珂駅に到着。本日はここまで。


   <まとめ>

   ・三条大橋を出発して、大津宿・草津宿・守山宿・武佐宿・愛知川宿・高宮宿・鳥居本宿・
    番場宿・醒井宿・柏原宿・今須宿・関ヶ原宿・垂井宿・赤坂宿・美江寺宿・河渡宿・加納宿
    の17宿場、138kmを歩いた。

   ・中山道69宿のまだ4分の1にすぎないが、一人旅を通じていろんな人と出会い、街道筋の
    季節の移ろいも肌で感じることができ、驚きや感動を得ることができた。中山道はこれから
    木曽の山道に入っていく。

   ・今回は中山道ひとり旅の第一部となったが、この旅日記はこれからも書き続けていき、機会
    があればご紹介したいと思う。

   ・松愛会HPの貴重な紙面を割いていただいたことに感謝申し上げ、一旦筆を置く。