我が故郷の偉人〜伊能忠敬〜 |
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今回、伊能忠敬について紹介することを思い立ったのは、私の実家がある千葉県に帰省した時に地元の人との何気ない会話の中から、伊能忠敬の話題が自然に出てきた事でした。 |
伊能忠敬(像) |
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◆佐原市の風景と伊能家(旧宅) | |||||
(1)佐原市の風景(利根川と小野川) 伊能忠敬は利根川の支流にある小野川の近くに居を構え、17歳から49歳までの半生を送っています。 |
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小野川 |
小野川(観光舟) |
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(2)伊能家の家業と旧宅 伊能家の家業は川船運送や酒造業、米の売買等を手掛けており、佐原でも指折りの資産家に発展して行きました。 |
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伊能家(旧宅) |
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◆忠敬の地域貢献活動 | |||||
(1)飢餓救済に尽力 江戸時代中期には利根川の度重なる洪水や浅間山(群馬県)の大噴火が重なり、関東一円は飢餓に見舞われていました。 (2)名主に抜擢 |
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◆伊能忠敬記念館 | |||||
伊能忠敬は50歳を過ぎてから、日本全国を測量して歩き、わが国最初の日本地図を作り上げました。 (1)伊能忠敬記念館の展示物 @像現儀(小)・・・三角関数を利用して山や坂の角度を測定する器具 |
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@象眼儀(小) |
A 象眼儀(大) |
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C導線法・・・海岸沿線など曲った地形などを計測 |
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D子午線1度の計算 |
E天体観測(日食の軌跡) |
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(2)滋賀県(琵琶湖)の地図 忠敬は、第5次測量(1805年〜1806年)で近畿・中国地方の測量を行っています。(忠敬の当時年齢:60〜61歳) |
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<琵琶湖の地図比較> 忠敬の測量(左)/現在の地図(右) |
関西への測量ルート |
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(3)伊能家の家訓(1791年、寛政3年) 忠敬は、長男の景敬(かげたか)に宛てて家訓を残しています。 |
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〜おわりに〜 | |||||
忠敬は家業や村政に励むかたわら、50歳から本格的に天文学の勉学に励み、55歳から北海道の測量を皮切りに、以降17年間にわたり、全国測量を行っています。 |
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<佐原市、伊能忠敬記念館へのアクセス> | |||||
(佐原市へのルート) (伊能忠敬記念館) JR佐原駅から徒歩10分 |
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(資料提供) 伊能忠敬記念館 (取 材) 堀井 好巳 2008年12月 |
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