住んだことがない第二の故郷へ夜行バスで里帰り

大津市在住  大橋 守

 
  〔93才の父が一人住まい〕

埼玉県秩父市で93才になる父が一人で住んでいます。妻(私の母)を亡くして20年になりますが、炊事・洗濯・掃除などの家事を自分でしています。
敷地内に30坪程の畑があり、季節の野菜を作って隣近所に配るのを楽しみに しています。手入れが良くて草一本はえていません。これが、父が元気な源のようですので、帰っても私は手伝わないようにしています。
また、日本経済新聞(朝、夕刊)を隅から隅まで読むのが父の日課になっています。

野菜に水をやる父

草一本生えてない畑

新聞を読む父
   
 

〔第二の故郷秩父とは〕

  秩父市は埼玉県の北西部に位置する人口約7万人の地方都市です。秩父多摩甲斐国立公園を有し、荒川の清流を下る『長瀞ライン下り』などが有名で自然豊かなところです。12月には、祇園祭、高山祭とともに日本三大曳山祭の秩父夜祭が行われ、町の人口の3〜4倍の人が訪れ賑わいます。また、秩父34ヶ所霊場巡りのお遍路さんの姿をよく見かけることがあります。23番札所音楽寺は、歌が上手になるようにと、一流プロ歌手もお参りにくるということです。
産業は、古くは養蚕・秩父ちりめんが盛んで四六時中はた織機の音が絶えることがなかったと言われていますが、今では町のあちこちに残る桑畑が当時のなごりをとどめているだけです。また、セメント生産が盛んで、毎日ダイナマイトの音が響いていて、町のシンボル『武甲山』は丸裸にされています。
 

長瀞ライン下り

秩父夜祭

23番札所音楽寺

丸裸の武甲山

〔父と暮した(同居)ことがない私〕
  私ども『大橋』は滋賀県蒲生郡日野町の出身です。父が就職した昭和初期の雇用形態(条件)は妻子は国元に置いておくことになっていました。 父は昭和3年に就職し秩父市に移りました。私は昭和18年日野町で生まれ、育って、就職し、今は大津市に居を構えています。
そんなことで、生まれて64年間、私は父と一緒に暮したことがありません。
 
〔今後の住み家について綱引き〕
  私が退職した5年前から、今後どこで一緒に住もうかと、綱引きが続いています。
父は15才の時から78年間秩父に住んでいます。同年輩の人も亡くなり、日頃尋ねてくる人はほとんどありませんが、永く住み慣れた秩父をどうしても離れることが出来ません。
私は秩父に住んだことがありませんので、知り合いもなく秩父には住む気持になれません。そんなことで、父との綱引きが5年間続いています。
※実は、12年前に父を大津につれて来たことがあります。しかし、1ケ月居ただけで秩父へ帰って行きました。以降、大津へは遊びに来たこともありません。
〔夜行バスで里帰り〕
  両親が健在の時はほとんど家には帰りませんでした。母が亡くなって父が一人暮しになってからは、正月・GW・盆休みに帰り、退職した5年前からは年5回帰ることにしています。
以前は新幹線で帰っていましたが、5年前からは夜行バスで帰っています。
夜行バスは浜大津を夜9時30分に出発し、滋賀県内の数箇所(草津、東近江、彦根、米原など)でお客を拾い、途中二箇所のSAで休憩をとり、東京(池袋)に翌朝5時30分に到着します。池袋で西武鉄道に乗り換え、8時に実家に着きます。

夜行バスに変えた理由は2つです。
@運賃が安いことです。新幹線は25420円、バスは14130円です。(往復)
A父と居る時間が長くとれることです。父と一緒にいても特に何をする訳でもありませんし、夜行バスは寝心地が悪く疲れます。しかし、同じ日程ですと父と過す時間(昼間)を長くとることができるからです。
父もまだまだ元気です。当分の間、綱引きが続き、夜行バスのお世話になることになりそうです。
また、この5月で5年間務めた松愛会滋賀支部の地区委員を退き、時間の余裕が増えました。父と居る時間を少しでも多くするようにしたいと思っています。
 

21:30
浜大津出発


0:05
養老SAで小休止


5:30
池袋到着


7:30
西武秩父(仲見世 通り)到着
 

20:34
西武秩父(仲見世通り)出発


22:50
池袋でバスを待つ人達


3:40
恵那峡SAで小休止

6:50
浜大津到着