〜鯖街道を往く〜

若葉の季節、福井県小浜市から京都市の出町までの『鯖街道』を2日間を掛けて走破しました。

『鯖街道』道中記をご紹介します。

◆実施日:2005年5月26日〜27日

◆ルート:
  5月26日(木)   小浜−6km−遠敷−10km−山上根来−6km−小入谷−18.5km−久多(泊)
                (1:00)      (2:30)       (3:00)       (5:00)

  5月27日(金)   久多−5km−オグロ坂−13.5km−花背峠−5.5km−鞍馬−9.5km−出町
                 (2:30)        (4:00)         (1:30)      (2:30)

           *歩行距離:全行程72km   *山岳歩行:標高差500m三つの峠・坂超え。

◆メンバー: 松愛会滋賀支部、京都支部、高槻支部の会員 計7名(平均年齢68歳)

<赤の太線が今回歩いたルートです>
◆第一日目(5月26日)
 前夜小浜入りして、小浜公園近くの民宿【さわ】に一泊し、5時起床6時出発で五月晴れの下、穏やかな
 若狭の海を背景にストレッチし、爽やかな気分の気力十分のスタートができた。
 小浜の商店街に在る鯖街道起点プレートを踏み、京都出町の街道口碑に向かって勇躍壮途に就いた。
 京の食文化を代表する鯖が運ばれた街道や峠道の中で、南へ直下する最短ルートの根来坂越えから
 鞍馬へ入る1泊2日コースに挑戦する。
 江戸時代に1日10里を駆けて塩加減の良い鯖を届けた同じ道を、今昔の変化あるものの自分の足で歩い
 て、健脚と歴史の一端が確かめられれば幸いと期待した。

< 鯖街道資料館>

<起点のプレート>

<プレートにタッチしてスタート>
6:30 起点のプレートにタッチし団結の誓いを行いスタート。
約1時間で、若狭鎮守一ノ宮の姫、彦の上下社に到着、参拝し安全祈願、見事な万年杉を見上げて歩きを再開。遠敷川(おにゅうがわ)沿いに鳶が飛び交うのどかな田園風景と平坦なアスファルト路が続く。

<若狭姫神社>

<のどかな田園風景と平坦な路を>

<鵜の瀬>

約1時間で、『鵜の瀬公園』に。鵜の瀬公園は三月二日に行われる東大寺への“お水送り”で有名。
川原でみそぎして、清らかさを実感しながら小休止。
渓谷に咲くウツギが満開で、その色や花の姿が実に多様で街道中楽しみながら、上根来の『山の家』へと向か。
廃校を利用した『山の家』で、皆の小学生時代を語り合い、きつい坂道も懐かしんだ。
上根来の集落は廃屋が多く目立ち、墓石を多数集結した霊園に村の事情が察せられた。

11:10 『鯖街道登山口』にやっと着く、歩き始めて5時間掛かった。
初の山道に入る、杉の植林された傾斜面のジグザグ路は足裏に心地よい感触が残り嬉しかった。


<満開のタニウツギ>

<上根来山の家>

<鯖街道登山口にやっと着く>
12:15 林道との交叉地で昼食の時間となるも遅れと、食後の負担を考え50%の食事制限を厳しく言い渡された。『池の地蔵』を経て往来で深く掘れてしまった深道でやっと昔を偲ぶ古道に会え、一歩一歩を踏みしめながら登り、『根来坂峠』着、ブナの大木がそそり立ち、昔から絶対信頼の安心の道しるべと思う、『百里が岳登山口』の標識。

< ジグザグ路を>

<上根来坂のブナ林>

<九十九折の坂道を登り根来坂峠へ>
14:10 『小入谷登山口』へ降りつく、小川の辺で残りの昼食に有りつけた。山越えは終了、雪解け水で壊れた小川の修復工事中で、傍にいたおじさんは『久多までほんの2時間、17時にはゆうに着く』との一言は、元気も貰ったがある種の挫折感と人間不信を生んだ結果となった。
小入谷バス停からは、延々と針畑の舗装路が続き、皆、重い足取りとなった。

15:28 郵便局から民宿へ一報入れ、17時到着はムリを告げる。

17:45 山本酒店着、街道のオアシスと言える。ビールやジュースで一息入れる。
店のおばさん曰く『あと4キロ、1時間ぐらいやから頑張りなされ』の言に奮い立つ。

19:00 久多(京都市左京区)の民宿“だん林”へ到着。11時間歩き通したきわめて稀な体験である。


<遠望の山:武奈ガ岳・打ち見山>

< 舗装路が延々続き重い足取り>

<山本酒店:ビールやジュースで>
萱葺き大屋根の風格ある民家に泊まるのは初体験で興味津々である。コタツがまだあり、山奥の生活に隔世の感がした。地鶏のすき焼きと刺身、とりどりの山菜料理に舌ずつみをうち、酒も進み大いに盛り上がった一夜だった。

<だん林 玄関 「19:00着」>

<夕食後炬燵を囲み談笑>
◆第二日目(5月27日)
第2日はやや短い行程と言うことで、1時間ずらしの6時起床としたが、皆さん肉離れや靴擦れ、足腰の痛み等の対症療法に余念なく、慌ただしい朝立ちとなった。
記念撮影、ストレッチをひんやりとした山の冷気のなか気持ちよくやれた。
出発がやや遅れたが、『まあ〜いいや〜』の甘い考えがあったこと、後で反省する。

7:30 登山口、看板に「鯖街道の表示」がない、京都では皆無なのが寂しい限り。

山道は、よく手が入った杉林で小川のせせらぎや鳥のさえずりを聞きながら、木漏れ日を踏みつつ登る。
好調な滑り出しといえる。
大きく道が崩落している。オグロ坂の峠まで山も深く、つづら折りの登り道が延々と続く。

<久多郵便局前:オグロ坂入り口標識>

< 木漏れ日を踏みつつ登る。>

<道が崩落>
道々見下ろすと新緑の深い森のふちに吸い込まそうだった、森の魅力たっぷりの道といえる。

9:35 『オグロ坂峠』着。表示がダブり戸惑った結果、『八丁平』の一面の笹原を周回して元に戻るがロス発生となる。
10:42 林道端に入り『同志社高山小屋』前で小休止。
林道でバイクの筍取りおじさんに、大見までの道のりを尋ねると前例同様の答だった。
半信半疑ながらも多少期待したが、結果はきつい舗装の長い坂道を登らされた。マムシ草がやたら多く見受けられ、背丈ほどのものも有り驚いた。

<オグロ坂登り口>

<急傾斜地の栃とブナの林>

<オグロ坂峠>

12:15 『大見地蔵』着。昼食の弁当をひろげおにぎり3個頂いた。
小石に足を滑らせながら、山道を登っていく道すがら、熊に皮を剥がれた木々を見て緊張した。
800m余りの大見尾根には、大きな水溜りがあるが、なんとその中には古タイヤ始めいろんな物が捨てられどす黒く濁っていたのには、強い怒りを覚えた。
14:16 『滝谷山登山口』を通過、山の左側から右側へ抜け、尾根を伝い歩く格好の道である。
和佐谷峠で山で初めて人に出会う。『花背山の家』で山科の中学生がオリエンテーション中で若い女先生が立ち番している所だった、当然話しが弾んだ。
15:15 花背峠着。ついに鞍馬街道に合流した。後は京まで一直線、安堵感が襲った。
長いヘアピンカーブの連続を延々と下り降りるが、案外と急な坂道で一段と足腰に響き堪えた。


<大見地蔵>

<滝谷山登山口の標識>

<花背峠より琵琶湖大橋方面の遠望>
16:50 『叡山電鉄鞍馬駅』着。電車の選択肢もあり、一応中締めの乾杯を挙げた。30分程休憩すると皆、最後の力を振り絞り出町へ向け重たい脚を進めた。
一層交通量が増して、分離帯の無い車道歩きは、昔を偲ぶ面影も少なく、疲れもあり一番危険を感じた。
市中に入り精華大学前の新しい道から宝が池の国際会議場を通り、トンネルを潜って南へひたすら歩き続けた。
暗がりの下鴨神社の境内を足早に通り抜け、駅の灯りを目にした時はホッとした。

20:45 『京阪出町柳駅』着、手分けして石碑探索にかかり、ようやく賀茂川に架かる出町橋の袂にあることが判明、急いで二つの橋を渡った。

21:00 『鯖街道口の碑』発見、暗がりのなか碑にタッチし記念撮影、全員が独力で完全踏破した感激にしばし浸った。
個人の健脚は言うまでもないいがリーダーのもと、お互い励まし助け合う一致団結のチームワークの勝利であると信じ疑わない。一人一人のケースを考えると必ず何処かでリタイアする条件は整っていた。

<百井別れ:バスに乗りたし...>

<叡山電鉄鞍馬駅>

<鯖街道口の碑>
この旅で得られた感慨と言うか教訓は【千里の道も一歩から】を実感できたことで、生涯の心の糧になるであろうと確信する。
  栗東市 森 田 龍 二