『エジプト旅行記 U (後半の旅) 』
  エジプトの不思議

 超自然の力が、語りかけてます。砂漠の中の壮大な歴史の遺跡には、ただただ茫然とするばかりです。
エジプトの歴史は5000年、中国でも4000年。このエジプトがローマによって滅ぼされた2000年前、日本ではまだ弥生時代だった。そんな大昔に、古代の人々はなにゆえに、どうやって、この美しい三角錐を幾何学的に作り上げることが出来たのだろうか。 正四角錘のピラミットは30階建ての高層ビルに相当し、今都心に建っていてもその迫力はすごいのでは。使われた石は、約2トンの石灰岩が約260万個と言われいる。多すぎてピンとこない、気の遠くなるような量ではないですか?

パピルス(papyrus)がpaper(紙)の語源であることは良く知られていますが、古代エジプトでは茎から紙状のものを作りました。
これらは「守り神」ですが、意味を理解しないままお土産に買ってきました。

パピルス
神々の話

パピルス
天体図

パピルス
生命の木

 
地  名
交 通
<*はクリックすると大きな写真になります>

7月6日

ルクソール
バス 旅も半ばとなりました、朝からアスワンに向けて出発。

バスは隊列をつくり武装したパトカーが先導して出発。エジプト政府の主な財源である
観光事業を妨害しようとするゲリラが観光バスを襲ったことがあったからと説明された。
銃口がこちらに向いている時,不安を感じます。気を引き締められる思いで出発。
途中、隼の神を奉るホルス神殿やワニの神を奉るコムオンボ神殿を見学。
ホルス神殿 巨大な壁でしきられ、中は列柱廊でその柱の頭部にはハス、パピルスなどのパターンがあり、壁に描かれたレリーフからは古代
文化をうかがい知る貴重な資料とのことです。
コムオンボ神殿 隼とワニの神様のために作られたとのこと。壁の医療器具のレリーフは現代でも通じるとのこと、大昔の技術はすばらしい。
壁には象形文字カレンダーもあり、中にワニのミイラが展示してありました。


 

 

ホルス神殿

<ホルス神殿>

周囲を壁に囲まれた、ホルス神殿はハヤブサの形をしたホルス神に捧げられた神殿
(国内遺跡としては、最も保存状態が良いとのこと)

 

ホルス神殿

ホルス神殿>


コムオンボ神殿
コムオンボ神殿>

コムオンボ神殿
コムオンボ神殿>

アスワン   アスワン観光 アスワンはカイロ南ナイル東岸の町です。
古代の石切跡場へ
制作途中に亀裂が入ったため放棄されたオベリスク(石の塔)の背面はまだ岩盤から切り離されていない。
この切りかけのオベリスクは長さ42mで完成していれば、古代エジプト最大とのこと。

古代の石切跡場
< 古代の石切跡場>

オリベスク
オリベスク>

オベリスクは古代エジプトにおいて、花崗岩の岩場から切り出された一枚岩の高くて長い直立の記念碑である。 丹念に研磨された四面の肌と天空を突き刺すオベスクの姿には、心から魅了され驚愕せずにはいられない。


切りかけのオペリスク
切りかけのオペリスク>

巨大なアスワンハイダムに
ダム完成のおかげで古代から悩ませられたナイル川の氾濫を防ぐことができたが、貴重な遺跡が水没した。
ここはすべて撮影禁止、広いのになぜか?

アスワンハイダム
<アスワンハイダム>

★宿泊(アスワン):「ピラミサ イシス アイランド」










7月7日

アスワン

  午前 ホテルプールで休息。
プールには水がたっぷり砂漠では、贅沢な気分。 
わらぶきのパラソルの中に鳥の巣がたくさん、自然を感じました。
世界遺産アブシンベル神殿観光は中止
バス

午後の見学はラムセス2世の巨像が4体鎮座する
偉大な遺跡です。
おなじみの最強の王朝ファラオ、ラムセス2世は長期に
わたりエジプトを支配した。
15mの巨像は神殿跡の建物内に横たわっている。
 
(注)ひげがストレートだと生前に製作、曲げてあれば死後に製作したとのこと

  ラムセス2世のお話
 彼のミイラが考古学博物館に展示してますが、各地の神殿
には彼の名前が刻まれており、自己顕示欲の強い王でした。
正妻4人、側室200人以上、王子、王女は200人もいたそうです。
羨ましい限りですね。


ラムセス二世の巨像
ラムセス二世の巨像>

ナイルエキスプレスにてカイロへ12時間。 値段は(約10000円)2人の個室で2段ベット、夕食と朝食は運んできてくれるが、乗り心地あまりよろしくなく、熟睡できず。

車中でも、またバスの移動中によく見えたのは、エジプト市民の住まいです。同じ色の赤土で長方形の組み合わせ、ほとんどどこも同じ形、しかも工事中の家ばかり、それはなぜ?雨が降らないから出来るのかも知れませんが、予算がないので資金ができたら増築するとのこと。忍耐強いですね。 発車したときはまだ、明るかったが、砂漠の果ての大地、赤い夕日が、まぶしくなってきました。
緑も多く、ナツメヤシが沢山栽培されている農村の風景が車風からも見えました。
カイロ駅
<カイロ駅>
★列車内

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月8日

カイロ

バス

着後、カイロ市内観光へ。(定刻近く朝7:00到着、列車は遅れるのが当たり前で、めずらしいそうです)
カイロ最大の@モハメッドアリモスクや Aスルタンハッサンモスクなどイスラム地区の宗教空間を訪ねる。
周知の通り、モスクはイスラム教の寺院ですから、見学者といえどもその教義に
最低限は従う必要があります。
 まず肌を露出してはいけません。・・・・同行のアメリカ女性はほとんど露出中。
注意され白衣を渡された。その国の文化を侮ってはいけません。
巨大な建物だ。天井をみると驚く。
その青色のクリスタルの装飾は言葉で表現できないほどです。
うす暗い中、美しい照明で彩られ、イスラムの息吹が感じられました

モハメッドアリモスク      モハメッドアリモスクの内部     スルタ ンハッサンモスク
  <モハメッドアリモスク>        <モハメッドアリモスクの内部 天井>     <スルタ ンハッサンモスク>

古代文化遺産 考古学博物館へ
エジプト各地から出土された貴重な品々財宝10万点を所蔵するエジプト考古学博物館に。
古代文化遺産を見るには、広すぎ、疲れました。写真撮影禁止なので、残念
王家の谷で発見されたご存知ツタンカーメン黄金の仮面見ました。不思議な魅力に引かれます。  

エジプト考古学博物館
<エジプト考古学博物館>

古代エジプト文明の遺品、美術品の数々が膨大な数で、テーマごとに展示されている。
秘宝コーナーには、ツタンカーメン王の墓から発掘された黄金のマスクなど古代文化遺産を見ることができます。

ツタンカーメン黄金の仮面
<ツタンカーメン黄金の仮面>
ツタンカーメン黄金の仮面
出土した装飾品
<出土した装飾品>

昼食は懐かしの中華料理。まずまず美味しかった。

貴金属「カルツーシュ」店でネーム(象形文字)入りゴールドペンダント注文
留守中の娘たちの土産に,仕上げて夕方ホテルに届けてくれるが象形文字は読めない。

夕食はナイル川ディナークルーズにてベリーダンスに参加、エジプトらしい弦楽器と打楽器が奏でる音楽にあわせ美女が登場色っぽい視線が私を捕らえた。
そして早々お誘いのまま参加してしまった。それは、クレオパトラの時代から本物のエジプト女性として表現しているとか?


豪華ナイトクルージング船     東ナイル川
      <豪華ナイトクルージング船>                      <東ナイル川>

最後の晩餐は、ナイル川クルーズ船で移り行く夜景とベリーダンスを楽しみました。色っぽい視線にドギマギ、つい乗せられてショーに参加。その(谷間)が忘れられませんでした。

Belly(腹部)Dance 
ベリーダンス
ベリーダンス>

  
ベリーダンス
<私のマネして見なさい?>

 
ベリーダンス
ベリーダンス>

スーフィーダンス(カスタネットでリズムをとりながら踊る民俗舞踊)

 着ているスカートが2層、3層になっていて回転すると、きれいな模様に見えて美しい。見ていると目が回り気持ち悪くなりそう。

スーフィーダンス   スーフィーダンス
スーフィーダンス>                      

静かなナイルの夜景を見ながら、しばしハーレムに来たムードで、疲れもとれた次第です。

★宿泊:(カイロ):メリディアン ピラミット
7月9日

カイロ

 

カイロ発

バス

 

航空機

カイロ発祥の地、オールドカイロへ。

アムロ寺院 アビセロガ寺院などへ


空路12H、エジプト航空直行便にて帰国の途へ。
はまちゃんが「ぜひまたエジプトに来てください」 と日本語の大変上手なガイドでした。


市内のモスク  オールドカイロ市内
   <市内のモスク>            <オールドカイロ市内>
★航空機内
7月10日
関西空港着  

無事到着しました。 湿度が高いのか、日本のほうがむしろ暑いかも?

ベリーダンスも、百恵ちゃんともお別れでした。


各地遺跡の入場場所およびその価格

人類史を覆す驚愕の事実

 遺跡の壁画には、電球、飛行機の図、脳手術など、現代の考古学では説明できない不思議なことが刻まれてある。
これは、われわれ人類よりはるか以前に、高いテクノロジーを持った超古代文明があったことになるのでは。
当時の人が、後世に技術を伝えるために書かれたのではないだろうか。

 とにかくスケールの大きさ、巨石文明に感服しました。また不思議なことばかり、超自然現象的ナゾが色々ありましたがそれは、5000年の昔にタイムスリップして旅の途中で少しづつ解明されていきました。

たとえば、巨大な石を道具もない時代にどのようにして切り出したのか? またそれを如何にして遠路運んだのか?
そしてその目的は?
またさらに、それは、どのようにして垂直に建造することが出来たのか?
巨石の切り出す方法は、クサビを入れ周囲を焚き火で暖め、注水して、クサビの膨張を利用したとの説です。
そして完成した1000トンものオベリスクはいかだでナイル下流 700kMに運ばれたそうであります。
石切り場は山で、かなり高い位置にあり、この場所でいかだが浮くレベルまでナイル川が増水する年を待つわけで何年、自然のサイクルを待ったのかはかり知れない。

 はまちゃんに(現地ガイド)聞いたのですが、作業にあたる10万人とも言われる人夫は奴隷でも強制労働でもなく、自主的に国民が参加したとのことで、当時ナイル川はたびたびの洪水のため、住民は悩まされていたそうです。
そこで、ピラミット建設に従事して生計をたてていた、いわば失業対策にもなっていたそうです。
ギザのピラミットは、現代の技術力をもっても出来ないそうで、運搬に10年製作に10年以上。ひとつ作るのに、世代を引き継いで完成していったのですね。

そして、この古代の国策が、世界遺産となり、観光立国として、現代のエジプトの財源の柱となっているのですね。
事前にその国の文化や歴史の流れを知っておけば、旅の深さ、楽しさ、この感銘はもっと倍増したことでしょう。    おわり