「東海道複々線  瀬田駅近辺」

           
  私の住んでいる大津市大萱の最寄り駅である「JR瀬田駅」は、地元の熱望により当初の予定を半年以上も前倒し
 して、昭和44年8月に開業したそうです。
 
◇方向別複々線の瀬田駅

  この瀬田駅は日本一長い「東海道本線(草津駅)~山陽本線(西明石駅)」の複々線区間(120.9km)に
  あります。
   
  鉄道には線路が一本だけの「単線」、上り・下りが各一本の「複線」、更に上り・下りが各々二本の「複々線」
  などがあります。
  その「複々線」にも、「西明石~新長田間」のように各駅停車の上り下りが海側二本、新快速貨物などの
  列車が山側二本を走る「線路別複々線」があり、それに対して「新長田~草津間」のように
  各駅停車が内側二本、新快速、貨物などの列車が外側二本を走る「方向別複々線」もあります。

  田駅では、この「方向別複々線」になっていて、新快速が止まらない駅のため一番ホーム、四番ホームは
  貨物列車や特急列車の通過専用になっています。(一部の草津線乗り入れ列車は別)
 
 
二面四線の瀬田駅①

 
二面四線の瀬田駅 ②

 
線路が4本の複々線

 
内側上り線の普通電車


◇複々線化が進んだ時代
 
   一時間に一本だけ蒸気機関車の牽引する列車が走る、単線の国鉄日豊本線で通学をしていた私にとって
  複線区間は、夢の鉄道。
  昭和44年、大阪、門真の寮に入った時、京阪電車の京橋~守口間(当時)の複々線を見た時は、嬉しくなって
  途中下車をしてホームで走り去る電車を眺めていました。
   
その秋には工場移転で草津に引越しましたが京都~草津間の複々線延伸が完成したのもこの時期です。
  時は、我々と同じ大阪の企業・工場が滋賀県に移転、拡張をしていた時代。京都、大阪のベッドタウンとして
  多くの人が住宅を求めて転居してきた時代でした。
  和45年開催の大阪万博の旅客輸送強化も、複々線延長の背景のひとつ挙げられます。 
 
◇複々線化進展の痕跡

京都~草津間の複々線延伸工事の跡が近くに残っています。
瀬田~南草津間の狼川鉄橋横の跨道橋には「1969-2」の工事年月が刻まれています。
ここは又、旧東海道線が天井川の下を通っていた時代のトンネルが今でも残っていて昔を偲ばせます。
 
狼川ガード下に刻印された複々線工事年月


旧線トンネルと現在の鉄橋

 
狼川(天井川)の未電化旧東海道線トンネル

 
瀬田から石山方面の大江一丁目のガード下にも「1967-1」の刻字が見られます。その壁面を見ると旧複線と
追加した複線分のコンクリート仕上げ面が全く違い、上り線の部分が継ぎ足しされた事が一目で分かります。
もう少し石山寄りにある小川の鉄橋も、旧線は鋼製で新線はコンクリート橋と時代の違いを感じます。
この違いは瀬田川を渡る鉄橋にも見られます。瀬田川橋梁銘板の下り線は旧線(昭和25年)で鋼製、上り線は
新線(昭和42年3月)でコンクリート橋になっています。
 
大江川一丁目ガード下の複々線工事年月

 
ガード下壁面、仕上げの違い。右:旧線、左:新線

 
玉野浦宮川のガード下(右:旧線、左:新線)

 
ガード上を走る普通電車

 
瀬田川橋りょうの銘板(下り線が旧線、上り線が新線

 
左が旧線で鋼製、右が新線でコンクリート製

 
このように昭和45年開業の京都~草津間の複々線工事の跡を見て回るのも楽しみの一つです。

◇複々線の楽しみ方

さて、複々線運転の電車に乗ってみますと、新快速なら普通電車を次々と追い越して行き、吹田近辺では
貨物線を走る特急列車との並走、追い越しを楽しめます。
   
朝の通勤時間帯では普通電車が駅に到着してドアが開いたと同時に同じホームに新快速が滑り込んできて
すぐ乗り換えができるという方向別複々線ならではの醍醐味も楽しめます。
内側線を走る普通電車では外側線の貨物列車との並走。昔まだ貨物列車がコンテナ車でなかった時代
にはスピードが遅く普通電車が各駅に停車してもすぐ追いつき、いつまでも並走する事がありました。
   
京都~草津間の線路はもっと電車が走れる余裕があります。鉄道ファンの私の勝手な希望で京都止まりの
各駅停車を、草津まで伸ばして欲しいものです。
   
 ちなみに滋賀県内で、新快速の止まらない駅で乗車人員最多は瀬田駅です。
皆さんもっと電車に乗って下さい。

 
 
 
 2014年9月

  <投稿者>
   大津市市在住 渡會 清志