隕石ロマンの街 大津市田上(たなかみ)に住む
 
私の住む町『田上(たなかみ)』について
JR石山駅ホームの名所案内を紹介する看板に『湖南アルプス』の記載があります。
石山駅の東方7.3キロ、バスで20分くらいの場所にあることも表示されています。

我が家は湖南アルプスのある田上地区にあります。 以前は田上**町と言われていましたが、
現在は田上と冠する住所はほとんどなくなってしまいました。
  (最近、以前の住居表示板があるのを発見し、とても懐かしくなりました)
【石山駅ホームの名所案内】
 
【古い住居表示】 (いしずえ町) 
大津市の南部、瀬田川に架かる南郷洗い堰を東に渡ると、そこが田上です。
南には太神山、矢筈が岳、笹間が岳、堂山など(総称して田上山)が連なり、北には瀬田丘陵があります。その丘陵に沿うように大戸(だいど)川が流れ、瀬田川に合流しています。

田上山は今でも所々白っぽい地肌がむき出しのところもある山で、その山の容姿などから湖南アルプスと呼ばれているのは皆さんよくご存知だと思います。

多くの住宅は田上山の麓か大戸川沿いにあり、それらの間に田上平野が広がる豊かで歴史ある土地です。最新の田上市民センターだよりによれば、学区内人口は11,271人となっています。  (平成25年2月現在)

なお、「たなかみ」の発音はフラットな発音でなく、地元の人は「たなかみ」と、前を強く読みます。
 
 
【堂山から琵琶湖方向を望む】
 
 
『田上隕石』について 
今回、我が在所を紹介するに当たりいろいろな発見がありました。『田上隕石』もそのひとつです。
最近(2013/2/15)ロシアに隕石が落下し話題になりましたが、この田上でも過去に田上山のどこかに隕石が落下していたのです。
その現物は現在、東京上野の国立科学博物館に保存されていることを知りました。 
この在所に居を構え約30年になりますが、かつてここに住む誰からも『田上隕石』のことが話題になったことはなく、また子供たちからも聞いたことはありません。
 
たまたま最近、上京する機会があり国立科学博物館に行って、展示されている『田上隕石』を見学しました。
過去に日本に落下した隕石のコーナーに展示されており、展示ケースの中には過去日本に落下した数十個の隕石が展示されていましたが、その中でもひときわ存在感のある黒褐色の石で、大きさは横40cm、奥行き30cm、高さ20cmくらいで、一部が鋭くカットされてていました。
重量は別として、大きさは大き目の漬物石を想像していただくとイメージしやすいかも知れません。
  (隕石には、ちょっと失礼かも?!)

  
 
 
【田上隕石(展示ケース)】
 

【日本に落下した隕石(展示ケース)】
(赤い丸が田上隕石)
 

【田上隕石の解説(情報端末)】
  
 
【鎧ダム】
 
展示室の情報端末の解説

  ◇田上(田上山)隕鉄
日本に落下した隕石で一番重いものである。明治18年(1885年)頃に現在の滋賀県大津市にある田上山の山中で、鉱物仲買人の上野滝蔵氏が発見したと伝えられている。発見時の重さは174kg。高壮吉氏らの努力で隕石であることが確認され、明治32年(1899年)帝国博物館が買入れた。博物館にて一部切断され、主成分元素の分析等が行われた。後に国立科学博物館に移管され、現在まで展示されてきた。主成分は鉄ニッケル合金で、ニッケルを約9%含む典型的なオクタヘドライト(八面体)隕鉄である。切断面を薄い酸でエッチングするとウィドマンシュテッテン構造と呼ばれる八面体構造を持つ模様が見られる。これは非常にゆっくりと冷却され、カマサイトとテーナイトと呼ばれる二種類の金属相が成長したためで、鉄隕石特有のものである。田上隕石のカマサイトのバンド幅は1.0-1.7mmである。微量元素の化学組成による分類では、IIIEグループと呼ばれる珍しいグループに属し、特殊な鉄カーバイドを含む。なお、国際的な登録名はTanokami mountainとなっている。
 
また、上京に先立って県立図書館で館員の方に田上隕石についてお聞きしましたが、資料はほとんどなく、わずかに『滋賀の自然』(S35年、滋賀県科学教育協会発行)という書籍に記載があることを紹介していただきました。
この書籍によれば・・・滋賀県大津市田上山の谷間において、偶然農夫が発見したといわれるもので、我が国においては初めての隕鉄に属し、重量約173Kgもあるといわれている。(明治32年高工学博士はじめてこれを地質学雑誌において世に紹介した。つづいて翌33年大築理学士によってこれが同誌に紹介された)目下東京帝国博物館に陳列さている。との記載があります。
  

 
取材を終わって
いずれにしても、いつ頃落下したのか、誰が発見したのか定かではありませんが、田上山で盛んに砂防工事が行われていた時代に、おそらく地元と関わりある鉱物仲買商か農夫が発見したのではないでしょうか。オランダ人技師により砂防用の鎧ダムが完成したのが、明治22年(1889年)ですから、鎧ダムはひょっとしたら真相を知っているかもしれません。現時点、私の調査では残念ながらここまでしかわかりません。
もし『田上隕石』の情報をお持ちの方がおられたら、情報を投稿していただくと幸いです。
 (ホームページ担当者まで、メールをください。転送します。)
なお『田上隕石』は上野の国立科学博物館に常設展示されているので、開館中はいつでも見学できます。ちなみに大人600円(65歳以上は証明書有りで無料)ですので、興味のある方は上京の際には見学してはいかがでしょうか。
  2013年 5月
 
    <投稿者>

       大津市在住   岩成 剛