〜大相撲行司の祖・志賀清林〜

  1.国技「相撲」の原点を探る

 近江八景のひとつ「比良の暮雪」で知られている比良連峰の麓に、相撲行司発祥の地があることはあまり知られていない。
 お天気の日には子供たちの声で賑わう「清林パーク」の南側に殆ど訪れる人がいないひっそりした侘しさが漂う一角に、国技相撲の始祖と伝えられる志賀清林の墓碑がある。
 昨今、とかく世間を騒がすことが多い相撲界であるが、古来の相撲の精神を考えるよい機会と思い紹介します。

   2.「志賀清林」記念パーク(大津市木戸1125−1)
 木戸村出身の奈良時代の力士「志賀清林」を記念して作られた相撲公園の入口がびわ湖バレイに通じる道路を横切って北へ進むと、すぐ間近の国道161号線沿いにある。
 比良山(打見山1108m)に向って右側に志賀清林記念パーク、左側に志賀清林の墓がある。

〔公園内の紹介〕


清林パーク案内板

相撲公園番付駐車場:横綱

相撲公園番付駐車場:大関

相撲公園番付駐車場:関脇

相撲公園番付駐車場:小結・前頭

遊歩道に埋められている相撲48手の陶板
:あしとり

遊歩道に埋められている相撲48手の陶板
:そとがけ

遊歩道に埋められている相撲48手の陶板
:がっしょうひねり

雪景色の中のやぐら太鼓=時計

相撲公園から見る打見山
   3.相撲行司「志賀清林」の功績

 聖武天皇の神亀年間(西暦724〜729)宮中での相撲節会を開くに際し、天皇は近江国の滋賀清林を召して行司を勤めさせた。
 志賀清林は、その時新たに相撲公認の作法をつくったことから国技相撲行司の始祖と伝えられている。
 それまで明確な作法も土俵もなく、生死を賭けた闘技であったものを「突く・蹴る・殴る」の三技を禁じ手とし、手を使う「なげ」・足を使う「かけ」・腰を使う「ひねり」・頭を使う「そり」の四手を基本に、それぞれ十二手の決まり手(四十八手)を制定することを天皇に奏上した人物とされ、相撲の形と礼法を確立した第一人者である。

 その後、志賀家は相撲行司の家として代々つとめたが、平安末期に戦乱により相撲が中断されたときに断絶、1186年後鳥羽天皇により相撲節会再興の沙汰がだされ、元義仲家臣で越前住人の吉田豊後守家永が従五位の位を授かり、朝廷の相撲行司司家となった。これが吉田家の起こりである。

 その後、吉田家から木村家・式守家によって現在も継承されていることは相撲フアンであれば周知のとおりである。

 (注釈)相撲節会〜古代、朝廷で節目、その他公事のある日に天皇が出御し、開催される宴会で力比べの相撲(神事)が行われていた。

   4.志賀清林の埋没地
 清林の名は昔話として親しまれていたが、明治時代に清林の墓が発見されたことを受け、大正7年(1918年)1月地元の関係者が、相撲協会の後援を得て志賀清林会を結成した。
 志賀清林の遺徳を顕彰するため、埋没地の木戸村の墓碑に記念碑を建設。
 建碑後に記念大相撲を開催するが、その総裁に選ばれたのは相撲好きの国技館の名づけ親でもある「板垣退助」(当時の内相=総務大臣)である。

志賀清林の墓地

志賀清林の碑

清林の胡坐像

板垣退助の碑
   5.志賀清林の顕彰運動(相撲協会との関わり)
 昭和36年(1961年)に「清林顕彰会」が設立され、日本相撲協会へ顕彰行事への参列を要請し、昭和39年に相撲公園を建設した。
 同年10月、当時の横綱「栃ノ海」・大関「豊山」立行司式守伊之助らのほか200人が参列、清林をしのんで慰霊祭が行われた。
 立行司「式守伊之助」の先導で横綱「栃ノ海」が、露払い「若鳴門」太刀持「北ノ富士」を従え土俵入りした後、「栃ノ海」によって片屋(控え所)開きが行われている。
 平成17年(2005年)3月7日に、高砂親方(元大関、朝潮)と第68代横綱「朝青龍 が志賀清林の墓碑を参拝していることから日本相撲協会からも認められた存在である。


雪の方屋=控え所

雪の相撲公園
      6.木戸周辺の案内

木戸エリアマップ
       

清林記念パーク

雪の清林記念パーク

清林パークより打身山を望む

雪の蓬莱山



山手より沖島を望む
◆地図を見て頂くとお解りのように、比良の山と琵琶湖が最も接近しているエリアで景色が綺麗なところです。
 国道161号線(湖西道路含む)の木戸周辺は、大津北警察署管内では、景色に見とれるよそ見運転による事故が多発している地区です。

◆琵琶湖に注ぐ河川は、天井川が多く、比良山から流れる水は地下水となって琵琶湖に流れ込みます。
 琵琶湖の中でも透明度が高く、水泳場が賑わう地域でもあります。

◆写真で紹介のとおり、比良山に近いことから冬季は積雪量が多く、木戸周辺から北は装備の無い車は非常に危険です。
 
          

          参考文献 : 「志賀町史」・「滋賀県の歴史散歩」

                       取材   大津市在住(旧志賀町) 出野 進  2009年1月