「砂擦の藤」三大神社

 三大神社(さんだいじんじゃ)はJR草津駅の北約3.5km、条里集落の遺構地吉田の中心にあります。
 祭神は志那津彦命、志那津姫命です 本殿の傍らにある高さ2m、六角柱の石灯篭は鎌倉時代の石造美術を代表するもので、正応四年の刻銘があり、国指定の重要文化財になっています。
 この神社は、毎年4月下旬から5月上旬にかけて、穂が地面に擦れるほど長くなることから「砂擦の藤」と呼ばれる見事な古藤が開花することで知られ、毎年、近畿一円からも多くの見学者が訪れます。

 
◆由 緒
   条理制に関係する天智天皇の直を受け、大中臣金連が天智四年(665年)風神の二柱を祀った式内伊布伎神社がこれである。
 その後、応徳年間(1084年〜1086年)に安太包光が大宅公主命を合祀した後に三大権現と称して、志那三郷の総祭が当社で斎行されていたが、明治初期に三大神社と改称し、各郷で例祭を行うようになった。
◆老 藤
  老藤の伝説によれば、摂政・関白藤原氏の隆盛を記念して植樹され、巨木となったが、織田信長の兵火(1571年推定)に罹り消失する。
その後、株元から芽生え、次第に繁茂して今日に至る。 老藤は「のだふじ」種で、つるは右巻きが特徴。
花は可憐な紫色を呈し、穂は長く2m近くになり「砂擦のふじ」と呼ばれ、平成八年に県自然記念物、平成十五年に市天然記念物として指定された。
 
<開花最盛期は四月下旬から五月上旬に見事な花を咲かせます。
開花時期のお問い合わせは草津市観光物産協会 077-566-3219 >
◆石灯篭と文化財
   本殿の傍らにある高さ2m、六角柱の石灯籠は鎌倉時代の石造美術を代表するもので、正応四年(1291)の刻銘があり、国指定の重要文化財になっています。
  ◇室町時代の文化財
 黒漆塗両輪外側の中央と左右に三頭の獅子文を夜光貝の螺鈿によって表した室町時代中期の工芸美術を代表する貴重な文化財である。
(京都国立博物館にて保管)
◇市指定文化財 三合
 応永十年正月廿八日(1403)年の銘文があり、鎌倉時代の優れた漆工芸品である。
 
◎三大神社から足を延ばして、志那街道を訪ねてみてはいかがでしょう。
  志那街道は志那港を起点として、片岡、長束などを経由し、守山市今宿に至る。全長約7kmを計る街道です。
 沿道には式内社である印岐志呂神社(いぎしろ神社)をはじめとし、志那神社や芦浦観音寺などの古社寺が点在するほか印岐志呂神社には古墳時代後期の築造と思われる古墳群が所在するなど、この地が古くから人々の活動の舞台であった事がわかります。
<蓮海寺>
 草津市志那町の湖岸べりに位置する蓮海寺。
 古来より蓮の名勝地として知られ、俳諧の祖・志那(山崎)宗鑑ゆかりの古寺としても有名です。
 この蓮海寺には「元朝の 見るものにせん 不二の山」という句を彫った句碑があります。
<印岐志呂神社>
 鎮座地は琵琶湖岸に近く、志那の渡しは大津・坂本から東山道守山の駅に通じ、湖上交通の要港であった。
 弥生時代の遺物も近辺から多く出土するなど、農耕の豊かなところであったことからも、農耕神の性格の強い神
 社である。
<芦浦観音寺>
  鎌倉時代になり、湖西の坂本が山門のお膝元として成長を遂げると、対岸に位置する矢橋や山田、志那などの港の重要性が増してきます。 そしてこれらの港へ通じる分岐点として草津に多くの人が寄り集まり宿として発展していきます
 このとき、この湖上水運の支配権を握っていたのが芦原観音寺で、比叡山焼き討ちの際には対岸の延暦寺から多くの仏像が持ち込まれたと伝えられています。
 また、この寺院は豊臣時代には船奉行を勤めるなど琵琶湖の水運を掌握し、権勢を誇るその表門はお寺と言うよりお城を思わせます。
芦浦観音寺の表門
明智光秀の書状
◇桃山時代の作例として有名な「王会図」
◆草津市志那街道・社寺map
取材 杉本 守  2008年5月